『小泉さんや竹中さんが思い描いていたこと』をどんどん進めていくのが日本維新の会

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そして「あらゆる業界の規制緩和を進める」と強調した藤田氏。しかし「規制緩和を進めて民間の競争に任せ、成長を促す」というのは、小泉純一郎元総理が竹中平蔵氏と組んで進めた「小泉構造改革」を想起させる。新自由主義的な小泉改革には「格差を拡大させた」という批判が付きまとうが、藤田氏はどう答えるのか。

「竹中さんは何であんなに叩かれるんですかね。合理的なこともたくさん言っていると思います。小泉さんや竹中さんが思い描いていたことの、数パーセントくらいしかできていないのが今じゃないですか。それをどんどん進めていくことが大事じゃないかと。ただ競争を認め、淘汰も受け入れる代わりに、従業員や家族にセイフティーネットをちゃんと敷いて不安を取り除いた上でチャレンジする。これがセットで行われるべきだと思っています」

(2ページ目)「竹中さんは何であんなに叩かれるんですかね」“第二自民党”維新は、帰ってきた小泉・竹中路線なのか? 42歳・藤田幹事長を直撃 | 文春オンライン

文春は「竹中さんは何であんなに叩かれるんですかね」の部分をタイトルに持ってきたわけですが、この文言は維新がどういう風に社会を認識しているのか、端的に表していますね。

この竹中氏は何であんなに叩かれるんですかね、というのは維新の原点です。結党時にも橋下徹氏が竹中氏を候補者選定委員長にする際に同じようなことを述べています。

橋下氏は同日、「竹中さんの考え方に僕は大賛成ですから」と表明。「竹中さんは言われなき批判を受けたり、事実誤認の批判を受けてきた」とのべ、「基本的には竹中さんの価値感、哲学と僕らの価値感、哲学はまったく一緒」と持ち上げました。

「日本維新」候補者選定委員長に竹中平蔵氏/考えに大賛成 橋下氏が表明/小泉改革の“戦犯”

維新の馬場伸幸氏の『第二自民党』発言も、要するに小泉自民党の後継候補は我々だと言いたいということなのでしょう。

ところで維新の『競争を認め、淘汰も受け入れる代わりに、従業員や家族にセイフティーネットをちゃんと敷いて不安を取り除いた上でチャレンジ』というのは「従業員」という言葉からして、失業しても大丈夫なように…みたいな話だと思いますが、そりゃ相対的に過去よりは大丈夫とか、そういうことにはなるでしょうが、自分や家族の人生は一度きりと考えると、失業保険や職業訓練などの求職者支援制度の充実では、いくら充実したとしても失業により人生が停滞する可能性への不安を払拭するには十分と言い切れず、失業や淘汰についてとりきれない不安というのは残る、そういう部分と向き合わないといけないと思うんですよね。

これをある程度で「十分な保険とスキルがあるんだから自分で生きろ」「大丈夫だから心配すんな」と突き放すというか、自力で解決(自己責任)させるのが、小さな政府とか自由主義なんでしょうが。

このセーフティネット云々というのも、竹中氏の主張でもあることで、最近維新が色々と見直すとしたベーシックインカムも竹中氏の主張と同じです。

“月7万円支給で年金も生活保護も不要” 竹中平蔵氏のベーシックインカム論は正しいか | 毎日新聞
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維新 馬場代表「ベーシックインカム」支給金額見直しなど検討 | NHK
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【読売新聞】 日本維新の会は、次期衆院選に向け、重点政策「日本大改革プラン」を見直す方針を固めた。国民に一定の現金を支給する「ベーシックインカム」(最低生活保障)は「段階的に導入」と明記する方向だ。具体的な導入方法や財源論に関する記

また、竹中氏とそこから学んだ維新の共通認識として、既得権益をどこに見るかという部分があるでしょう。

橋下徹氏や維新は当初から既得権益打破を名目に台頭してきた勢力です。

橋下さんの話で特徴的なのが、あらゆる既得権益に対して闘いを挑むという基本姿勢です。

その既得権益とは、例えば、大阪市役所に代表される官僚組織であり、外からのチェックが働かない教育委員会であり、巨大権益集団である電力業界であるわけです。

確かに、今の日本社会は様々な面で、こうした既得権益に覆われていて、前に進めなくなってしまっているという面があると思います。

東日本大震災では、電力業界の既得権益の大きさが明らかになりました。地域独占という絶対に倒産しない守られた環境の中、莫大な税金もつぎ込んで原発は各地に作られ続け、発送電分離も行われず、結果、電気料金は世界一高いものになっていました。

霞が関を代表とする官僚組織も絶対に倒産しないという甘えから、硬直化した仕事しかせず、しかも天下りや特権的な公務員宿舎など、自分たちの権益だけはしっかり死守するという悪評が尽きません。

そして、政治家も、国や地域を良くするという初心を忘れ、選挙で生き残ることしか頭にはなく、2世3世議員が跋扈するという、特権的な身分制度となってしまっていますよね。

橋下さんは、そういうこの社会を覆っている様々な既得権益をぶち壊し、新しい秩序を作ろうと、熱を発しているのだと思います。

山口豊

この文章はテレビ朝日のアナウンサーのものなんですが、多分多くの人が既得権益打破と聞いて思う内容と大して相違がないのではないでしょうか。

官僚・政治家・電力会社・教育委員会。一般人から遠い存在を既得権と定義して盛り上がったりするわけです。

一方、(維新や竹中平蔵の)打破する既得権益にはここに存在しないものがあります。

例えば、大阪市の西成特区構想担当の顧問だったこともある鈴木亘氏も書いていますが、『真の弱者』以外が受け取る一般的な社会保障も既得権益です。

社会保障改革に立ちはだかる「既得権益層」 フォーサイト-新潮社ニュースマガジン:時事ドットコム
学習院大学経済学部教授鈴木 亘 Suzuki Wataru〔一九七〇年生れ。上智大学経済学部卒。日本銀行勤務。大阪大学大学院修了(経済学博士)。大阪大学社会経済研究所、日本経済研究センター、東京学芸大学を経て、二〇〇九年四月より現職。規制改革会議専門委員(保育担当)。主著に『生活保護の経済分析』(共著、東京大学出版会、...

正社員も既得権であるというのはよく竹中平蔵氏が言う話です。

竹中氏は正規社員が法律によって過剰に保護されていると指摘。非正規社員が増えているのは、1979年の最高裁の判例で整理解雇の四要件が示されたことが原因で、企業側が労働者を解雇した際の訴訟リスクを恐れて正社員を雇えなくなっているとした。一方で、訴訟リスクが低いと考える中小企業では、正規社員であっても簡単に解雇する現状があると述べた。

竹中平蔵氏の「正社員をなくせばいい」発言に賛否 | ハフポスト NEWS

このように、一般人すら既得権益として裁かれかねないのが維新や竹中平蔵の『既得権益打破』です。

(支持者はこういうのを見て『年寄りの正社員の邪魔が無くなるから若者が就職できる』とか『これに困るのって社内ニートやってた能力も役職もないようなカスだけ』とか『正社員をなくせば非正規社員の待遇は上がる』とか自分は既得権益層ではなく得をする側だと[都合よく]考えるのでしょうが)

そんな一般人を巻き込む既得権益打破を掲げながら、竹中平蔵は以下のように「そういう人(田舎の商店街の真面目な職人的な商売人)たちがもっと普通に暮らせないんだろうかと。」と言うわけです。

多分、竹中平蔵を支持する者は「朝早くから店を開けて、一番遅くまで店は開けて」いたところで、商店街は既得権益だとか言って衰退して真面目な商売人が困窮しても放置ではないかと思うのですが。

竹中平蔵氏 田舎の商店街で生まれ育って父親が近所で朝早くから店を開けて、一番遅くまで店は開けてる。真面目な職人的な商売人だった。そういう人たちがもっと普通に暮らせないんだろうかと。

一方で既得権益者はやっぱりいる。特に皆さん地方都市にいると、そういう既得権益者がものすごくよく見える。私はそういうのが嫌で東京に出てきたし、そういうのを正したいと思って政策を勉強して生きています。だから既得権益者と戦っていると。それはもう事実。だから叩かれる。それでラベルを貼られる。

「こいつこそが既得権益者だ」。卑怯。私は政策研究者として純粋に国民みんなのためになる政策どうしたらいいかと。そうするとやはり既得権益者がそこにいるのはおかしいと。この人たちがもうすごい権力を使っていろんなことを自由にやらせない。つまり自分たちに有利な規制を守っている。規制緩和をやらせない。それはやっぱり頭にくるし、それに対してはおかしいと言い続けてる

「パソナグループ会長・経営陣のひとりとして『五輪で1円も儲けていない』のはどうなのか?」:竹中平蔵氏「弱者切り捨て論」を否定 | ビジネスジャーナル

一方、既得権益と戦うと言ったときのイメージのズレとして、『政治権力』をどう捉えるかという部分もあると思います。

橋下氏は泉房穂氏や鮫島浩氏との対談イベントで以下のように発言したようです。

橋下氏は、泉氏の「権力に近いからダメだ」という発想が自身とは大きくことなると語り、「権力と近いから大阪で万博ができる」と述べ、こう続けた。

「権力に近いか遠いかが問題ではない。その権力をどう使うか。世の中を変えるために権力が必要。自分が権力者になれば、すぐに変えられる。手段、どう使うかを批判しないといけない。立憲民主党的な人はすぐに権力に近いか遠いか、反権力かどうかの発想で語る。泉さんの意見も学級代表的な理想論で、変えたい、と言うだけ。世の中をよりマシにするために泉さんも政党を作って行動を起こせばいい」

この「権力に近いか遠いかが問題ではない。」「手段、どう使うかを批判しないといけない。」という理屈で権力自体を問題視することは無いわけです。

ちなみに、この理屈は既得権の擁護にも使えます。既得権がある程度害をなしているが、そのおかげで世の中がマシになっているのだ、と。

これをどこまで許容するかどうか、それを判断する基準は各々のイデオロギーによる、ということになるでしょう。

(橋下や維新の)既得権益の打破という言葉の裏にはそういう何を既得権益と見るかというイデオロギーに基づいた個々の判断という実態があるにも関わらず、既得権益の打破という言葉が大好きそうな鮫島氏の橋下の評価は「イデオロギーへの固執は全くなく、既得権益への怒りをたぎらせ」となるのです。既得権益という言葉でイデオロギーが漂白化されるわけです。

その結果、みんな描いてる細かな部分は本当は違うのに、『既得権益の打破』という言葉で勝手に描いている絵が共通だと思い込むことで出てくるのは、小泉政権のマニフェストとして出されたあの郵政民営化の図のような、既得権益の打破ですべて解決、みたいなイメージ図なのかもしれません。

Wayback Machine

このように、私は、維新や竹中氏などが言う既得権益の打破は、イデオロギー的に都合のいい既得権を優遇し、イデオロギーに沿って一般人の利益を既得権と見なし没収することを指す言葉だと思っているのですが、これに賛同してくれる人は多くなさそうだなと思っています。

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