2023/08/10ぐらいに、一部でこんなツイートが話題になっていたようです。
このツイートへの引用リツイートなどでの反応は、どっかの都議会議員も含め太陽光発電のために山が切り開かれたと思ったのであろう反応ばかりです。
というわけで、この土地について『現実が嫌いな左翼』が真実をお伝えしようと思います。
というか、引用リツイートでの反応を見てると左翼でもなんでもない、むしろ右翼みたいなリツイートとかしてるような地元の?人からちらほらこんな反応があるんですよね。(そもそも汐木山という場所だということもこういう反応で私はわかりました。)
事実としてこの方々のおっしゃるとおりで、遅くても1975年にはこの山は採石場として切り開かれていたことが航空写真で確認できます。
また、この山が採石によって削られたことは、この汐木山を訪れた方のブログなどの記録によく書かれています。(山自体は立ち入り禁止のようですが)
この山は採石で削られた山ですが、永く削られたままだったところに最近になってなにか造っているようです。正面のくぼみは貯水池のように見えます
汐木山[写真詳細]-ヤマレコ
詫間湾の南に、かつては甘南備山として美しいおむすび型の姿を見せていた汐木山。今は採石のために、その「美貌」も昔のことになってしまいました。
三豊市 汐木湊の今昔 : 瀬戸の島から
登山道は道路を横断して吉津峠方向へと下っているが、道路の北西の尾根からは採石によって削られた汐木山が異様な山容となって目に飛び込んでくる。
水面を歩ける海岸とその背後のパノラマ山 – 志保山[三豊市] – 2018.02.17(土) – 山と溪谷オンライン
地元の方の地域ブログだとメガソーラーに活用されるまでのほんの少し詳しい経緯もかいていました。
ここは昔の採石場跡、高いので景色はいいね。(右上写真)一時期ごみ焼却場の計画案があり、住民らが反対運動。その後20年ほど放置されたが今回ソーラー発電設備として活用するようになった。
風のつぶやき:汐木山、メガソラー見学
というように、削られて異様に見えるような山の様子であることは、メガソーラーのせいではなく数十年以上前から採石のためにそういう山になっていたということのようです。
ちなみに市議会でも危険だから等々で何度か話題に上がっていたようです。
3、爺神山、汐木山の再生について
この2つの山の頂上付近は非常に危険な状況になっているが、行政指導で再生してはどうか、市長の考えを伺う
発言通告書の要旨(一般質問)平成25年第3回定例会
汐木山砕石跡地の再生に向けての市長の考えは
平成18年 第1回定例会 一般質問
個人的に、冒頭のツイートが盛り上がった理由の一つに『讃岐十景』という言葉によって、ツイートを見た人の「綺麗な光景であったのであろう」という想像力を掻き立てたこともあると思っています。
では、ここで触れられている『讃岐十景』とは何なのか。
これはどうも現在でいう四国新聞社が、1927年に読者投票で決めたもののようです。
投票期間は二ヶ月以上もあり、関係者が会社の近くに泊まって票読みしたりと盛り上がったようです。
戦前に旧吉津村は、青年団を中心とした運動によって汐木(塩木)荒魂神社を「讃岐十景」に当選させています。その記念碑が誇らしく建っています。
三豊市 汐木湊の今昔 : 瀬戸の島から
(下にリンクを貼ったブログに載っている当時の新聞記事を見ると上位陣は投票数が一箇所辺り数十万票となっており、組織票やら一人あたりの投票数やらがとんでもない事になっていたのではないかと思われます。アイドルオーディション番組みたい。)
選定方法は県民の投票により用紙は葉書または香川新報の紙面刷り込みの用紙としたが9月1日から始まり11月30日の締め切り(11月1日の紙面の社告で締め切りは11月10日正午までと訂正発表になる)までの投票期間全県下の関心はこの行事一点に集まり県内外から投票数は日を追う毎に激増し候補地元民は社の附近の旅館に泊まり込み形勢を観望して一喜一憂するという白熱戦を演じた
『塩江 「讃岐十景」と「讃岐五景」 <第一回>』



この1927年の讃岐十景で選ばれたのは『塩木荒魂神社』という汐木山の中腹にある神社です。
以下にリンクを貼る実際に訪れた方のブログによると神社の裏山部分が、採石のために削られた場所にあたるようです。

この方によると讃岐十景には『現在のメジャーな観光地ではない場所もある』とのことですが、定められたのが約90年近く前だということを考えればそれも当然のことと思います。

ちなみに、讃岐十景の40年ほど後に『さぬき百景』というものも定められていて(同じ新聞社の投票企画)そこでは『汐木山と荒魂神社』という枠組みで定められたようです。




このように汐木山と荒魂神社は地元に観光地として推されていたのは確かなようなのですが、ではいつ採石場となったのか。
詳しくは具体的に資料を調べてみないとわかりませんが、ヒントらしきものは見つけました。
それは汐木山と同じ市内、5kmくらい離れた場所にある爺神山の話です。
山を削ったのは、昭和30年代に始まった採石事業だ。爺神山で採れる安山岩は硬く、アスファルトや建設用コンクリートの材料に最適だった。事業は徐々に大規模化し、昭和50年代には斜面が急速に削られていった。
時代は高度経済成長期。道路や建物の建設に、大量の資材が必要とされた。周辺の山も採石され、上半分が真っ平らにされた山もあった。
「毎日昼の12時になると、ドーンと爆発音がしとった」。昔から住む人たちは口をそろえる。爺神山を砕くダイナマイトの音だ。800メートルほど離れたJR高瀬駅のあたりまで響き、山に近い家は振動で揺れた。
爺神山での採石は平成初期まで続いたが、地元住民が反発し、山の半分を残したまま事業は終了。採石業者は解散し、山だけが残された。採石場跡は広大な空き地になっているが、崩落の危険があり、一般の立ち入りは制限されている。
再び憩いの里山へ 爺神山 採石で失われた美しい姿:朝日新聞デジタル
この爺神山と同時期に汐木山も採石事業の対象となったのではないでしょうか。…と、ここまで書いたタイミングで、Twitterにて『瀬戸大橋のために削った』と書いている地元の方を見つけました。どこまで正確かはわかりませんが。
少なくとも、汐木山が削られたのを『まさか讃岐十景の一つがこんな姿になろうとは。』と表現するには、今はもう数十年遅いのではないでしょうか。
ツイートした本人は砕石跡地の尾根を削ったという冒頭ツイートの言い訳になりそうな『銭ゲバ』云々という文言を含んだツイートをリツイートしていて、そうじゃないだろ。

メガソーラー批判は特定界隈(主に左翼嫌いな方々)のブームのようなものになっていますので、粗雑な指摘が多いと思いますので、皆さんどうか事実関係にお気をつけください。
(メガソーラーも高度経済成長の延長線上にある環境破壊による無理な経済成長云々…という批判なら汐木山への指摘は正当だと思いますが、盛り上がってる方々はどうも左翼のメガソーラー云々と言いたいだけで、高度経済成長云々とかそんなこと言ってなさそうなので)
2023/08/12追記
元のツイートにコミュニティノートが付きました。
正直なんか物足りない気もしているのですが、なかなか一つの出典で書きづらい内容なので仕方ないのかなと思っています。
ただ、市議会議員の方のインスタグラム投稿は私は見つける発想がなかったのでありがたいです。
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