果たして何人が覚えているだろうか。『新党ゼロ』という党名候補がどういうタイミングで誰の手で出てきていたのか。

当時の私のツイートにも垣間見えるように、私はこの『新党ゼロ』のノリが嫌いだったのですが、このときの中心人物であった関健一郎氏が維新から出馬することが決まったみたいです。

関健一郎氏については、そもそも維新から出ていないのを不思議に思っていたので、有るべきところに落ち着いたと言えるのではないでしょうか。
(あと、新党ゼロが通らなかったときに『まったく、どこを見てるのかさっぱりわかりませんが』と同じ党の議員に対する愚痴としか言えない言動を露骨にしてたのがとても私には悪印象でした)
(以下のようなツイートとか維新にピッタリでしょ?)
菅直人氏に批判されて『民主党のお家芸』とまで言ってた人が、しれっと本来なら打ち首の人間と同僚になる立憲民主党に入って選挙に出て、当選しなくて本当によかったわけなんですが。
関さんは取材に「維新の身を切る改革が自分の政策と一致する」と話した。 維新への転身理由を「現職時に党内で提案してもできなかった文書通信費(調査研究広報滞在費)の透明化、議員の給与削減などが維新の改革に通じる」と説明。
立民を引き合いに「何でもかんでも反対ではなく、良いものは良いと言うべきだ」と述べた
関健一郎前衆院議員が維新から出馬へ 衆院愛知15区、前回選後に立民離党:中日新聞Web –
議員の給与削減については、国民民主時代に、コロナの痛みを共有する的な名義ではありますが、新党ゼロのメンツで議員歳費5割削減を提案してました。
では、なぜここまで政策やノリ的に合ってなかったようにしか見えない立憲民主党に合流していたのか。
それは以下の今回のインタビューにてわかります。
「(立憲民主党への復党はなかったのか?) ないです。大きな塊を作らないと自民党を利するだけなので(立憲民主党に)世話になったが、他党との向き合い方やあり方も考え方に大きな違いがある」(関健一郎前衆議院議員)
「考え方に大きな違い」元立憲民主党の関健一郎前衆院議員 次期総選挙は維新から出馬へ – Locipo(ロキポ) 無料テレビ動画・見逃しネット配信サービス –
『大きな塊を作らないと自民党を利するだけなので(立憲民主党に)世話になった』
大きな塊と言っていますが、支持率が野党第一党だったから身を寄せた、程度のものでしょう。ここに関しては、希望の党から国民民主に入る際も同じようなことを述べています。
そういう流れに乗って政党を乗り換える身の振り方がどう見られるか、個人的に気になります。維新に入るまでもなんか動いていたようですし。
ちなみに、関健一郎氏と同タイミングで公認発表された維新の候補者、直近の地方選で落選した方が多く、なんとも『使えるものは全部動員してなんとか数を集めよう』感が強いような気がしますが…
あと、維新が行田市長選挙落選者二名を行田市関係ない選挙区公認で取り込んでるの、まさか行田市の選挙区の立憲候補(新党ゼロ関係者)が上田清司氏と仲がいいのと関係あったりするのでしょうか?
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