【過去の質疑を振り返る】災害時の自助、共助、公助

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平成25年04月11日 災害対策特別委員会 今回は現在、維新の党所属の高橋みほ議員と椎名毅議員の二人の質問に注目していきます。

高橋みほ議員の質疑。
まず、質問で出てきたのは『災害時の学校に滞在する子どもの保護』について。災害時のマニュアルについて、学校ごとの事情への配慮は必要だろうが、最低限『災害時に、子どもを原則家に帰すのか、それとも原則子どもは学校で預かるのか』という統一基準は必要であり、また『普通、避難所=学校なのだから、原則学校で預かってくれることがハッキリとしていたほうが、保護者は安心なのではないか?』という内容の質問を行っていました。これは本当に至極真っ当だとおもいます。自治体に広域避難場所や収容避難所と指定されているような学校は特に預かるということを原則化したほうが、余計な動きを起こさずに済むのではないかと思います。

災害における『自助・共助・公助』について。
高橋みほ議員は、この自助共助公助について
『災害に関しては全てを公的な対策で対応できないものであることは国民の皆さんは理解されていると思います。しかし、実際、どうしたらよいのか、具体的に何をしたらよいのか、こんなときはどう手をとり合っていったら効果的なのかということは、個人個人にはなかなかわからない、簡単にわかるものではないというような心配もしております。』
というように、なにを自助で対応しないといけないのか、何が共助するべきことなのか?何なら公助で助けてもらえるのか?何を公助で助けるべきなのか?、そういうことがハッキリとできていないのではないか?という問題点を指摘しています。なので、東日本大震災などの災害時の経験をキチンとなんらかの共有できる形にすべきではないか?という提言も行っています。

その上で『自助、共助、公助』について大臣に所見を尋ねたところ古屋大臣の答弁は、『公助だけでこういう災害のときは対応できません。やはり、みずから考え行動する、そしてお互いに助け合う。ですから、私は、所信の中でも、自助、共助、公助がバランスよく機能して初めて災害対策が、災害時の対応がうまくできるということを申し上げたんです。』と、要するに現在不足しているのは自助と共助であって、公助はコレ以上充実のしようがない、というようなニュアンスの発言が冒頭。そして、釜石の奇跡を例にして共助の重要さを指摘し、地域や学校での防災教育の大切さ、また自主的なマニュアル作りの重要さを指摘して、そのマニュアル作りのノウハウやひな形を政府や地方公共団体が提示してサポートします。という内容の答弁でした。

この答弁からは、あまりにも公助の概念が抜け落ちています。このように自助と共助ばかり推進して、公助を充実させる努力等を疎かにされては困ります。
それを高橋みほ議員も心配しているようで『私が少しだけ危惧しているのは、これは自助の範囲だからといって、公助ができない言いわけに使われないかという点です。もちろん自助は大事ではありますが、国や地方公共団体の言いわけにならないようにぜひしていただければと思っております。』と最後に苦言を呈して、質問を終えています。

椎名毅議員の質問。

この内容にリンクする前に幾つか質問を行っているのですが、そこは省略します。

椎名議員はこの自助、共助、公助に関する質問を切り出す際に、こういう発言でその質問に入っています。
『私自身、一つ問題意識を持っている点がございます。昨今、この防災、減災という観点について、政府のみでは災害対応を行っていくことが難しいということで、基本的に自助、共助という観点を強調されているということがあろうかと思います。 先ほど日本維新の会の高橋先生の質問に対しても、大臣の方から自助、共助の役割について強調されていたかと思います。しかし、やはり民間の役割というものを定義することが正直難しいというか、自分たちのことは自分たちでやれと切り捨てているというか、そういうふうに聞こえてしまう部分が正直あったのも事実でございます。

要するに、この自助、共助というのはどういったことなのか、現実に理解している方々というのは、特に、この首都圏、実際に首都直下型地震が起きた場合に被災者になるであろう方々が理解をしているということは、そんなに多くはないんじゃないかというふうに思います。

私自身、ハードのみならず、ソフトによる防災、減災政策というところで、このソフトの防災、減災政策というものの重要性を強調したいというふうに思っております。それで、東日本大震災において被災された方々から、特に現場で誘導に当たっていた方々、消防団の方々、それから自治会の会長の方々、実際に避難に当たった警察の方々、それから学校に避難をした児童、そして児童の誘導に当たった学校の先生、幼稚園の先生、それから保育士の方々、こういった本当に市井の方々の意見を取りまとめて、教訓を共有することというのが物すごく重要なんじゃないかというふうに考えています。 

ソフトによる防災、減災政策というと、防災ハザードマップをつくろうとか、マニュアルをつくろうとか、そういう形で最終的に形になるものをつくることに落とし込むのが、どうしてもこれは役所の性質上しようがないのかなと思いますけれども、そういう形になるものではなくて、最終的にはやはり、知恵の共有というか、知恵の内在化というか、そういったことが必要になるんだと私自身思っています。』

そして政府の東日本大震災の被災者からのヒアリングなどの充実具合を質問したところ『防災対策推進検討会議の取り組みとして、平成二十四年の四月から六月にかけて、同年三月に取りまとめた中間報告及び東日本大震災の課題、教訓について、岩手県、宮城県、福島県及び大槌町など被災五市町の防災担当者から幅広く意見聴取を行った』等の内容の答弁が帰ってきました。

椎名議員はそれを受けてこう感想を述べています。
『やはり、どうしても、政府が主導すると、県、市町村の担当者の方々からお話を聞くという話になりがちなのかなというふうに思ってしまいます。 

しかし、ちょっと話はかわりますけれども、例えば、私自身、せんだって女川原発というところに行き、話を聞いてきたわけでございますけれども、あそこで原発の設置を決めるに当たりまして、昔から、古来伝承されている、リアス式海岸といえば高波が起きる、津波が起きる、そして波が高くなる、だから高台に設置をしようという、そういう言い伝えみたいなものをある程度やはり参考にしたという話を聞いたわけでございます。 

こういった形で昔から口伝えで伝わってくる知恵というものこそがまさにソフトなんだと思うんです。決して、津波ハザードマップ、それから防災ハザードマップを住民に配っておしまい、地域防災計画をつくっておしまいなのではなくて、知恵を国民、全土に内在化させて、災害が起きたときに臨機応変に対応できるような国民をつくることこそがソフトによる防災、減災政策の目的であるべきではなかろうかと私自身は思っています。 

だからこそ、私自身、もう一回、大臣の先生方に御提言申し上げますけれども、政府、地方自治体の関係者ではなく、市井の方々が持っている経験談を取りまとめるという作業を行うことをぜひ御検討いただきたいなというふうに思っています。 

特に安倍政権の中では、防災、減災というものがアベノミクスと呼ばれる経済政策の第二本目の矢と一緒に語られることがあって、公共事業中心のハードの政策ばかりが強調されているようにどうしても聞こえてしまうわけです。 

しかし、例えば南海トラフの地震で津波高三十四メートルというものが予想されている。三十四メートルの津波高が予想されているから、では四十メートルの防波堤をつくればいいのか。ではその想定が四十メートルに変わったら、四十五メートルに防波堤を高くすればいいのか。 

結局、ハードによる防災、減災というのは際限がないですし、要するに答えがないわけでございます。結局イタチごっこになってしまって、コスト・ベネフィット、景観といった別の観点から問題点が出てくるということなんだと思います。 

やはり、今後の防災、減災政策は、リスクゼロという発想をなくした上で、どのようにリスクを極小化していくかというところについて政府それから民間の役割分担を考えていくということが非常に重要なのではないかなというふうに私自身考えているところでございます。どうか御検討いただければというふうに思います。』
要するに政府は、自身の取り組みに関わるとかんがえるようなところばかりに最低限のヒアリングを行いがちだが、もっと幅広い内容のヒアリングを行って、幅広い知恵を国民が共有できるようにすべきだ、ということです。

また、椎名議員はBCP(事業継続計画)策定へのサポートを強調する政府の姿勢について
『大企業については、大企業の中の従業員をどのように災害から守るかということ、それから事業の継続性をどのように維持していくかというBCPの観点に関しては、基本的には自助、共助というところを重視していいんじゃないかというふうに思います。しかし、先ほど来結構話題になっておりますけれども、社会的弱者が集合している災害弱者という問題、これについてはもう少し政府の役割を積極的に考えていく必要があるのではないかというふうに思います。 すなわち、何かというと、病院それから老健施設、こういったところについての災害対策、BCPの策定、そして避難といった問題だと思います。 

政府の役割が基本的には国民の命、健康を守るということであって、防衛だったり治安維持だったりというところが最終的な、究極的な政府の役割の肝の肝だとするならば、やはり災害からの国民の保護というのも同じような重要な役割だというふうに思っています。 

社会的弱者については、自助、共助、自分たちでやってほしいといって切り捨てるのではなくて、やはり政府が主導的な役割を果たして、避難をしていくべきなのではないかというふうに私自身思っています。 

私自身、国会事故調というところで、原子力発電所の事故が起きたときに、二十キロ圏内にある病院が全病院、避難をするというような事態に陥ったというところで、その避難の過程でさまざまな苦労があった、合計して百人以上も避難の過程で亡くなっている、そんなようなお話をやはり聞いてきたわけでございます。 

地域防災計画の中では、病院がみずから避難計画をつくるというふうに書かれていて、全て国民の方に責任が寄せられているわけでございます。』

『先ほど来、私自身、ソフトの重要性というのを強調させていただいているわけでございますが、BCPをつくるというのは恐らくスタート地点にすぎないんだというふうにやはり私自身は思います。その後、どうやってフィージブルな避難手段を確保して、そしてその避難のプロセスの中で、例えば人が亡くなるというような不幸な事態を避けるための実現可能な避難手段をどうやって確保していくかというところまで考えていくことが望ましいのではないかというふうに思います。 

先ほどの厚生労働省の参考人の方にいただいたのも、受け入れ側の確保、それからマッチングといったところの準備について御指摘をいただきましたが、問題は、例えば、先ほどどなたかの委員の方も指摘しておりましたけれども、透析患者が多数入院している病院を、全病院、入院患者ごと避難しなければならないというような状況、そうしたときに、どういうふうに、どういう手段で、どういうロジスティクスで避難をするのかというところ、それから、寝たきりの老人がたくさんいるような病院について、どのような手段で現実的に避難ができるかというところまでやはり考えたいわけでございますし、そういったところについて政府の役割を明確化してほしいなというのが私の希望でございます。』
という風に、BCPだけではなくて、避難計画など、もっと政府が踏み込んでサポートをしていかないといけないだろう対象もいるという事を強調していました。

また最後の質問では
『私自身、ハード中心の考え方ではなく、自助、共助といって国民を切り捨てる、切り捨てるというのは極論ですけれども、国民にこうやって責任を押しつけるのではなく、国民の生命身体を守るということが政府の役割である以上、やはり政府の役割というものを結構大きく考えてほしいというのが、防災の観点から非常に重要だというふうに思っています。 

その中で、知恵の内在化ということについて御検討いただきたいということを申し述べてきたわけでございます。国民全体が臨機応変に災害に応じて行動することができるようになること、これこそがまさに最終ゴールなのではないかというふうに私自身考えています。』
というような見解を再度ハッキリとさせていました。

私はこの『災害時に重要なのは公助である』ということ等の椎名議員の見解に全面的に同意します。
個人的には、もう一歩踏み込んで、災害時だけではなく、『自助、共助、公助』という単語が出てくる場面では、どんな時でも『国民の生命身体を守るということが政府の役割である以上、やはり政府の役割というものを結構大きく考えてほしい』と考えてしまうのですが、そうしたときに『政府が余計な縛りまでかけてくる』『災害に乗じてへんな法律を組み上げる』等などのデメリットを考えて憂鬱になる、というところでいつも思考停止してしまうのですが。

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