安倍氏が知らなかったのは疑わしいし、叱責していたとしてもそれだけでは派閥を動かせなかったのでは?

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安倍晋三氏の番記者として、色々と有名になった岩田明子氏が、近頃色々と騒がれているパーティー券キックバック不記載問題について、夕刊フジのコラムで書いたようですが、安倍氏に都合よく一部を誤魔化している気がします。

【岩田明子 さくらリポート】安倍元首相は激怒、会計責任者に「ただちに直せ」自民パー券疑惑、岩田明子氏が緊急取材「裏金」は細田派時代の悪習だった(1/3ページ)
自民党派閥の政治資金パーティー券疑惑で、最大派閥・安倍派(清和政策研究会)の複数議員が最近5年間で、1000万円以上のキックバック(還流)を受けて、裏金化し…

この記事では自民党への批判、岸田総理への批判、安倍派の批判がなされてはいるのですが、主目的は夕刊フジの宣伝にも書かれている安倍晋三氏の話でしょう。

具体的に書いている部分を引用します。

関係者に取材すると、細田博之前衆院議長がトップだった細田派時代(2014~21年)、現金で還流した分を政治資金収支報告書にどう記載するかについて、派として統一方針が提示されることはなかったという。

派内からは「このままでいいのか」と疑問の声が上がっていたが、細田氏側からは明確な指示は示されなかった。

安倍元首相が21年11月に初めて派閥会長となった後、翌年2月にその状況を知り、「このような方法は問題だ。ただちに直せ」と会計責任者を叱責、2カ月後に改めて事務総長らにクギを刺したという。

22年5月のパーティーではその方針が反映されたものの、2カ月後、安倍氏は凶弾に倒れ、改善されないまま現在に至ったようだ。

【岩田明子 さくらリポート】安倍元首相は激怒、会計責任者に「ただちに直せ」自民パー券疑惑、岩田明子氏が緊急取材「裏金」は細田派時代の悪習だった(2/3ページ) – zakzak:夕刊フジ公式サイト

岩田氏の記事は、細田氏やその後の安倍派の面々がなにも対応しなかったのが悪くて、安倍氏は2022年まで何も知らなくて、知ってからはちゃんと対応しようとしたのだ、という感じに読める書き方になっています。

安倍氏の方針?

この内、安倍氏が対応しようとした、という話に対応しそうな内容については、それっぽい報道が時事通信や毎日新聞によって数日前になされていましたが、ちょっとニュアンスが違います。

複数の自民関係者によると、安倍派では22年に還流を取りやめるとの方針が示され、今年5月のパーティー分の還流は行われなかったという。

18年以降、清和研で事務総長を務めたのは、就任順に下村博文・元文部科学相、松野博一官房長官、西村康稔経済産業相、高木毅・党国会対策委員長の4人で、現職の高木氏は22年8月に就任した。パーティー券の会計処理を巡る視線が厳しくなる中、派閥幹部らが不適切な処理を認識して慣習を見直した可能性がある

自民裏金疑惑、安倍派ぐるみの構図 23年は還流取りやめに(毎日新聞) – Yahoo!ニュース

安倍派では長年還流が続いてきたとされるが、問題視する声が上がり、22年春ごろのパーティー券販売開始後、事務方が「キックバックはしない」と議員側に伝えたという。突然の方針に混乱が生じたことや参院選もあり、22年5月のパーティー開催後に還流があったとされる。23年は早期に方針が示され、還流はなかった。特捜部はこうした経緯を調べるもようだ。

自民党安倍派の1000万円キックバック 高木毅国対委員長、世耕弘成参院幹事長も環流受けたか – 社会 : 日刊スポーツ

安倍氏の意思で行われたかどうかについては各報道では伝えられていません。不明です。

また、岩田氏は『22年5月のパーティーではその方針が反映されたものの、2カ月後、安倍氏は凶弾に倒れ、改善されないまま現在に至ったようだ。』とまるで直後のパーティーだけはまともにやったかのように書いていますが、時事通信報道では、『突然の方針に混乱が生じたことや参院選もあり、22年5月のパーティー開催後に還流があったとされる。』と、直後のパーティーでも参院選のために何も見直さずにキックバック分を払っていたというような記述になっています。

その参院選の選挙活動中に安倍晋三氏は亡くなっているため、安倍晋三氏が亡くなる前にも普通にキックバックが行われていた可能性が高いと思われます(参院選前に払わないと参院選で使えないため)。

つまり、安倍晋三氏が、生きている間もキックバックについて参院選のために改善をスルーしていたのを岩田氏が誤魔化しているのか、相変わらずキックバックが行われていたのに岩田氏は取材でそれを把握できなかったか、そのどちらかになる可能性が高いのではないでしょうか。

また本当に安倍氏が動いていたならば、それが『突然の方針に混乱が生じた』と書かれてしまうほど、粗雑な動き方だったのが改善されなかった理由になり得るのではないでしょうか。

岩田氏の書き方を鵜呑みにするならば、誰かを叱責しただけで物事が動く、そんな風に周囲に忖度された環境に慣れていた結果のように見えますが。(岩田氏は過去に、岸田批判として、安倍氏は首相時代根回しを徹底していた、とか言ってましたが…)

その上で「(岸田首相は)1強というものをはき違えている」と指摘。自身が食い込んだ安倍晋三元首相の手法との違いに言及し「安倍さんが1強になったのは、根回しを徹底して党が納得したから『官邸の指示通りで』となっていた。そのプロセスを省いて、総理がいきなりトップダウンで落とすことが1強ではない」とも訴えた。

元NHK岩田明子氏「1強をはき違えている」根回しなし岸田首相のトップダウン手法を疑問視 – 社会 : 日刊スポーツ

一方、『改善されないまま現在に至った』と岩田氏は書いていますが、毎日新聞や時事通信は23年にはキックバックはやめたという報道内容ですので、キックバックについては安倍氏が亡くなった後に改善されていた可能性があります。

一方、キックバックされた金額の不記載の問題については支払いながらでも修正可能であるにも関わらず、なにもされていなかったということから、キックバックについては問題視したものの、今回の裏金と言われる理由となっている収支報告書への不記載問題については、なにも問題視していなかったという可能性もあります。

こういう不記載関係については、安倍氏自身が桜を見る会にて収支報告書不記載を問題視された経験があったはずで、キックバックについて不記載であったという問題について何も知らなかったのか、そういう経験を経ても不記載を問題と思っていなかったのか、問題だと思っても改善不可能だったのか、どれだったのでしょうか。

安倍晋三前首相の後援会が主催した「桜を見る会」前日の夕食会は、2019年までの7年間毎年開かれていた。ただ、東京地検特捜部が略式起訴の対象としたのは、16年以降の4年分の収支の「不記載」だった。不記載の罪の時効は5年だが、4年分だけが立件対象となったことで、政治資金規正法の「ザル法」ぶりが浮き彫りになった。

略式起訴の対象となったのは、政治団体「安倍晋三後援会」の16~19年の4年分の収支報告書に記載されなかった夕食会の収支計約3千万円。時効にかからない15年分も同様に約700万円の不記載があったとされるが、検察幹部は「立証証拠を十分に集めるに至らなかった」と語る。収支報告書の提出先である山口県選挙管理委員会には、特捜部の捜査時点で原本が保存されていなかったという。

立件できぬ「ザル法」浮き彫り 収支報告書、保存は3年 [桜を見る会]:朝日新聞デジタル

この不記載をなにも修正しなかった、キックバックも亡くなるまで行われ続けていたという点で安倍氏が本当に怒っていたとしても、その怒りには何も意味はなかったのではないでしょうか。

しれっと違っていそうな話

ところで、岩田氏は『現金で還流した分を政治資金収支報告書にどう記載するかについて、派として統一方針が提示されることはなかった』と書いていますが、むしろ記載しなくていいと派閥から指示された、強調されたという報道が出てきていますが…

派閥から還流を受けた議員側秘書らが東京地検特捜部の事情聴取に「政治資金収支報告書に計上しないよう派閥から指示された」と説明していることが12日、関係者への取材で判明した。

自民党安倍派「裏金」、派閥が主導か 議員秘書「指示受けた」 – 日本経済新聞

還流資金を受領し、裏金化したとされる安倍派の議員の関係者は毎日新聞の取材に、派閥側から「収支報告書に載せなくて大丈夫と強く言われた」と証言した。還流資金を議員側の報告書に記載しないことは「派閥のルール」と受け止めたといい、問題意識を持つこともなかったとした。ノルマ超過分は事務所の収入になるため「パーティー券の販売を頑張ろうという気持ちになった」とも述べた。

「キックバック不記載は派閥の指示」 特捜部聴取に議員側が説明 | 毎日新聞

安倍氏は22年まで知らなかった?

安倍氏は2022年の2月にキックバックの状況を知った、と言うのが岩田氏の記事での怒りの前提でした。

はたして安倍氏は本当に2022年までこのキックバックについて何も知らずにいられたのでしょうか?

今回のキックバックについて、各種報道を見るとかなり昔から行われていた可能性があります。

安倍派 国会議員 「キックバックについては『派閥から政治資金収支報告書に書くなと言われた』と事務所の会計責任者が言っていた。修正しなければならないと思っている」

さらに、キックバックの慣例がいつから続いてきたかについては…

安倍派 国会議員 (キックバックについて)「20年ぐらい前から続けられてきた。本来であれば、正式な手続きを経なければいけなかったものが、ある時点から『それはいいじゃないか』となおざりになっていった」

【独自】“派閥から「収支報告書に書くな」と指示された” 安倍派議員が証言 キックバックの慣例は「20年ぐらい前から続けられてきた」(TBS NEWS DIG Powered by JNN) – Yahoo!ニュース

田崎氏は、麻生太郎副総裁が現在の“派閥罪悪論”に不満を持っていると言い「麻生さんは“派閥が悪いんじゃないだろ。安倍派がああいうことをやったのが悪いんだろ”と。だから今、安倍派に対する風当たりが非常に強い」と言い、「安倍派がキックバックをいつ頃からやっていたかと調べると四半世紀にわたってやっているんですよね。1998年くらいから」と“暴露”。「長きにわたってやっていて、それをやっているということは、ほかの派閥にも知れ渡っていて“うちの派閥でもやってくれ”という人がいたのに、ほかの派閥はやっていないわけですよ。だから安倍派に対する風当たりが非常に強いんです、今。だから岸田さんが強硬なことをやっても“それはそうだよね”と。安倍派の中にはもちろん不満はありますけど、ほかの派閥は“それくらいやってくれよ”という感じじゃないですか」と話した。

田崎史郎氏「安倍派がキックバックをいつ頃からやっていたかと調べると、四半世紀にわたってやっている」(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース

これらの報道の「キックバック」は(田崎氏が「ほかの派閥はやっていない」と言っていたりするのを考慮すると)不記載のキックバックを前提にして喋っている、と私は認識したのですが、そうだとすると、政治資金パーティーの不記載キックバックは1998年くらいから(「20年くらい前」もそれに近い認識でしょう)行われていた可能性があるということです。

また東京新聞などは20年前に似た話が共同通信で報じられていたことを書いています。(多分共同通信とか が素材を各社に配信したのではないか?と思います)

今回と似た疑惑は「森派」だった時期にも問題になったからだ。

 森喜朗元首相が会長だった2004年の政治資金パーティーでは、ノルマを超えてパーティー券を販売した議員に収入の一部が還元され、資金の流れが収支報告書に記載されなかったと共同通信が05年に報じた。支給額が数百万円に上る議員もいたと伝えられた。

 森派の事務局は「議員側が受け取った金は、党から派閥を経由した『政策活動費』。収支報告書に記載する必要はない」と疑惑を否定した。政策活動費とは「こちら特報部」が追及してきた政治資金の「抜け穴」。収支報告書の記載義務がなく、使途は分からない。

裏金追及され「頭悪いね」と逆ギレした安倍派議員…説明拒否のよくある言い訳「捜査中」ってどうなの?:東京新聞 TOKYO Web

安倍氏は1993年に初当選してから総理になる2006年まで、また、2008年に派閥に復帰して2012年に派閥離脱するまでの間、清和会に所属していたはずで、さらに離脱中もその後「安倍派」になるくらいには中の議員と関係はあった可能性が高い(例えば、萩生田議員の総理発言のブリーフィングは度々問題になっていた)でしょうし、これらの話を全く知らないまま生きていたとは思えません。

そんな自分が昔在籍していた時からあった可能性のある問題を2022年にようやく把握したというのは、ちょっと事実とは言いづらいというか、事実だとしたらあまりにもそういう話に疎すぎるのではないでしょうか。

すべて秘書に任せていた、という言い分はありえますが、その場合むしろ、なぜその前(細田派時代)に派内で問題になっていた段階の近辺ではなく、2022年にわざわざ知ることになり、わざわざ怒ることになったのか?という部分が気になります。

亡くなった方がどう考えていたかについては、その当時喋った方が漏らす内容や表に出ている事実から察することしかできません。しかし、知り得る立場であったことを利用して、都合の良いことを喋っているように見える人の意見を鵜呑みにするのは、ちょっと難しいように思いました。

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