LGBTをめぐる寄稿や企画が批判されている月刊誌「新潮45」について、発行元の新潮社は25日、休刊を決めたと発表した。部数が低迷し試行錯誤を続ける中で「編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や原稿チェックがおろそかになっていたことは否めない」と説明。「会社として十分な編集体制を整備しないまま刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて、休刊を決断した」「限りなく廃刊に近い休刊」としている。
「新潮45」の休刊を発表 杉田水脈氏の寄稿問題で批判:朝日新聞デジタル
新潮45が休刊になってしまうようです。
この件について、小川榮太郎のことに、このブログでは触れています。
この騒動の結果の休刊なのですから、今回の新潮45は私からすると「杉田水脈と小川榮太郎の売名に利用された」としか思えません。
そのような事態に一矢報いることもできずに休刊なのですから、この程度では新潮社の名誉には何ら傷がつかない、その他の書籍などの売上には影響しないという判断なのでしょう。
悲しい判断です。
今回の小川榮太郎の文書掲載に至る流れについて、小川榮太郎本人は以下のようにフェイスブックにて証言しています。
今回の原稿は編集部の注文とは別内容を勝手に私が書いた。編集部は多様な言論を尊重して、拙エセーを注文の方向に直すよう要求せず、あえて掲載してくれたのである。
https://www.facebook.com/story.php?story_fbid=2043283479097796&id=100002484907402
このフェイスブックの記述の締めは「くれぐれも私の原稿という私的な責任領域の問題を、組織への責任に転嫁する恐怖・忖度・イデオロギー専制社会の到来そのものの危険な選択だけはしないよう強く望む。」という文です。
小川榮太郎が私的な文書を私的な責任で発表するために新潮45を利用できてしまうほどに、新潮45の編集という仕組みが、自らの手で責任を取らせてもらえないほどに機能していないということを、この小川榮太郎の言及は示しているのではないでしょうか。
少なくとも直近の新潮45の編集というものの存在はこの程度の存在しかなかった。
それについて『会社として十分な編集体制を整備しないまま「新潮45」の刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて、このたび休刊を決断しました。』と言いつつ、朝日新聞にあるように「限りなく廃刊に近い休刊」と臭いものに蓋をする程度の対応になりかけているのは残念でなりません。
同じ新潮社の別媒体でいいので、しっかりと検証などの公表が行われてほしいです。
といっても週刊新潮や新潮新書のラインナップなどを見ていると、難しいだろうなぁ、という感想になるのですが。
コメント