日報が公開された後、様々な反応が起こっています。
その中の一部に、その日報の一部のゆるい文章の部分だけを見てなのか、廃棄されてても当然、という反応がありました。
しかし、自民党の中谷議員に反論する形で過去にも書きましたが、日報は保存も(一定程度黒塗りで)公開も当然なものです。
このことについて、日報が公開された日に、産経新聞と朝日新聞が改めて記事にしていたので、それを紹介します。
平成16年から18年にかけてイラクに派遣された陸上自衛隊の日報が公表された。「隠す必要のない文書」「なぜ、こんなことになるのか」。隠蔽問題に発展させた防衛省の対応に、派遣された元隊員たちは複雑な思いを抱えている。
(中略)
「戦闘という言葉も使いましたよ」と話すのは、復興業務を担う本隊として派遣された60代の自衛隊OB。「軍事用語ですから。大規模だったら武力紛争。小規模だったら戦闘。武力衝突、小競り合いという言い方はしない」と証言した。
本隊を支える業務支援隊として半年間、派遣された男性も「行く前は戦闘状態と聞いていたが、行ってみたら、そうでもなかった。われわれの感覚としては『ゲリラ攻撃』。本気で殺しに来る感じはなかった」と当時の状況を振り返った。
2人とも日報について「組織として現状を報告するのは当たり前。今後の教訓のために保管するのも当然のことだ」と口をそろえる。元業務支援隊の男性は「今後の行動に支障があるものは出せないが、黒塗りにして出しておけばよかった話だ。そこをなぜ、きちんと整理できなかったのか」とため息をついた。
日報は部隊の日々の行動記録であり、陸自が存在を隠蔽(いんぺい)する性質のものではない。だから稲田朋美・元防衛相がイラク日報を「見つけることができなかった」と説明した際に「あれ?」と思っていた。
日報には「戦闘」という表現も含め、現実に起きたことがありのままに記される。当然保管されるべきものだし、将来の派遣に必要な装備や部隊の規模、現地対策など教訓を得る上で極めて重要だ。他国からの提供情報や装備の能力といった機密情報も含まれるため、すべてを公開することはどんな国でもあり得ないが、公開の範囲を慎重に判断すれば、国民に開示することはできる。
自衛隊の活動について国民の理解を得るためにも、防衛省は情報公開のあり方についていま一度見直してほしい。
朝日新聞、産経新聞、二社とも保存されていて当たり前であり、公開されるのもおかしなことではない、という元関係者の声を記事にしています。
日報の内容自体への評価は違うでしょうが、日報の公開と保存については一致しているわけです。
一方で中谷議員も元は自衛隊関係者だったはずですが、このような関係者とは違う意見を発しています。
自民党の国防部会で公開に否定的な意見があったという報道がありましたが、そこにある意見は中谷議員の主張と概ね一致していました。多分中谷議員もいたでしょう。
防衛省側は「部隊の安全に関わる情報などは黒塗りにして不開示にしている」と説明したが、議員らは「専門家がみれば大方の見当はつく」「黒塗りにしてばんばん出す国は例がない」などと開示することを問題視した。
先日、民進党の小西議員に、統合幕僚監部の若手幹部が国民の敵だと詰め寄った事件がありましたが、もしかすると、自衛隊にも世代間ギャップというか、OBと現役で考えが全く違うものになっているのかもしれません。
その考えの違いみたいなものが、悪いことにならなければいいのですが…
コメント