『紅霞後宮物語~小玉伝~』という漫画を読みました。ピッコマで1日だけ全部無料になっていたので。
全部を一気に4時間位で読んだのですが、ボロ泣きしてました。
やはり、こういう時代を描くと死の描写がつきものとなってしまうのですが、それがこの作品は一つ一つの死がとてもクリティカルヒットするというか、かなり重要な人が死んでしまうんですよね。主人公の関小玉にとって(とくに盟友の死はとても読んでてつらかった…)。
そんな理不尽さに折れつつも抗って生きていくわけですが、ほんとに辛い。でも、抗うことで希望が見えてきたりする。でも辛い。みたいな。
また後宮ものというのは『女は醜い』みたいな偏見を肯定するような、偏見をベースにすることでわかりやすさや共感を得る作品がちょこちょこ見受けられることがあったりするように思います。これは、後宮ものに限らず現実社会にある差別偏見をどう取り扱うかというのは作品として色々やり方はあると思うのですが、この作品は、後宮の女官たちについて『後宮の中で彼女たちに自由はありません。すべての言動は自分以外の誰かの意思なのです』と書いていたり、全体的に人間の不器用さみたいなものを描いていることによってなのか、そういう偏見により理解度を深めさせるみたいなことは皆無とは言いませんが(世の中に差別偏見がある以上、皆無なんて作品はないでしょうし)露骨とか、一辺倒てきなやつではなかったのではないかな、と思います。(まぁ、連載媒体的にそんな作品はありえないか…)
ただ、2巻の後宮のブランド志向についての記述はちょっと、なんか引っかかるなぁ、と思いはしましたが。(あと女尊男卑の女帝国家の描写も、詳しく書かれていたらうんざりしたかもしれないですね。細かい描写がほとんど無かったのと、最終回での描かれ方で個人的には安心したというか、満足しましたが、人によっては満足しないかも…。)
多分僕は運命に振り回されるみたいな話にとても弱いんだろうなと思うんですが、この作品もまさにそれで。
皇帝が運命について『信じているがくそったれだなあれは。俺の場合は人生がめちゃくちゃになった。それで、そのめちゃくちゃになった人生に満足するんだ。恐ろしいだろ?』と言っていたことがとても刺さって。
ただ、この運命に振り回されるもの好きというのは正直性格が悪いというか、人体実験をフィクションで行なってる気がして、趣味の悪さを感じてしまうときがあります。
あと、単純に重い話になりがちなので、とても疲れて読み続けられないということが多々あります。
しかし、この作品は、多分Wikipediaとかを見るに原作である小説(小説は未読なので正確なところはわかりませんが)とは、ちょっと(原作者の原案で?)路線を変えているのではないか、と思います。漫画にするときに、多分ちょっとポップでエンタメのエッセンスを強めてそうだなと。
その軽さ的な部分がきちんとあることで一気読みができるような作品になっているように思いました。
あと、友情と愛情など、いろんな情と恋愛がシームレスに描かれているように私には見えましたが、そこは受け付ける人とそうでない人がいそうだなと思いました。
とりあえず、これから再び買って読みます。あと本編小説はなんかあわなさそうだからあれとしても、カクヨムにあるサブエピソードみたいなやつとかは、書籍でよむかカクヨムで読むかはわかりませんが、とりあえず読みたいですね…
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