自民党の教育認識が良くわかる文章を見つけた

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自民党の神奈川県連(かながわ自民党)が自民党が野党の時代に『自民党政策の検証』を行っていたのですが、その検証結果の文書(pdf)の内容の教育の部分(p23~24)を読んだところ、自民党の教育認識が実によくわかるようにまとめている文章になっていたので転載します。個人的には『家庭教育』にこだわりすぎていたり(なので国家の手により家庭のあり方をいじろうとしていることが見受けられ、教育から『地域・郷土』という観点がすっぽぬけてしまっている。)、『日教組』にこだわりすぎていたりするのが、非常に疑問です。
(個人的に注目すべき部分を勝手に太字強調させて頂きました。)

1.教育とは何か
人間は生まれてから死ぬまで生涯に渡って学び、教育される存在である。人生において最も教育による影響を受けるのは成長期である。その観点から「子供に対する教育」との意味合いで教育を捉えることとする。
子供が教育を受ける場は、「家庭」、「地域社会」、「学校」と3つあり、本来、政治における教育制度という言葉は主に「学校」教育制度を指すものであるが、子供への影響の度合いからすれば「家庭」が圧倒的に大きな存在である。
近年における子供教育の最大転換点は第二次世界大戦の敗戦であった。それまでの価値観を変えさせられ、学校教育もまた新たな制度にされた。特筆すべきは、教育基本法のみしか制定できなかった点である。本来なら精神指針である教育勅語と実践指針である教育基本法の二本立てで戦後日本人の立て直しをすべきであった。しかし、GHQにより教育勅語が廃止されたことで、精神指針を失ったまま、教育制度だけが決められ、まさに「仏造って魂入れず」の状況が半世紀以上続き固定してしまった。戦後教育の失敗をここに認めることができる。
時代背景と現象から教育を見れば、戦後日本では一次産業から高次産業への転換が起こり、その社会欲求に応える形で学校教育も変遷してきた。
高次産業へ変遷するに合わせていわゆる学歴社会となり、受験戦争と呼ばれる現象を引き起こした。ところが学生運動の苦い経験を経た産業界の要請と、難関突破の反動から大学のレジャーランド化が進んだ。
また家督制度の廃止と働き方の変化に伴い核家族化が一気に進み、伝統的な家族形態が崩壊した。これは子供にとって最も大切な「家庭」教育環境も崩壊されたことを意味する。
高度成長を終えた日本社会では受験戦争の敗者問題と、「家庭」教育が不十分なため「切れる」子供問題が重なり、精神的なゆたかさの必要性が説かれ、「ゆとり教育」が実施された。しかし、ゆとり教育はその趣旨が日教組に歪められ、「ゆるみ教育」となり深刻な学力低下を招いてしまった。
加えて敗戦による思想転換が日教組問題を生み、努力を否定し結果の平等を唱える思想の蔓延と、「個人主義」を突き進める階級闘争が横行し、公共の精神と道徳心の欠如が浸透している。さらにこのような教育を受けた世代が親世代になり、モンスターペアレント問題に発展、見事に公教育は崩壊した。危機感を持った国民のうち経済力のある国民は公教育から離れるか塾に学力向上の解決策を求め、経済力に乏しい国民との間で教育機会の格差拡大とその固定が起きている。
また近年では少子化の進展により、大学全入時代となり、社会に出たくない若者のモラトリアム期間として大学が使われているといった問題が出てきた。
これらの反省から、平成18年に新教育基本法を制定し、主として学校教育の再生が図られているが、道は険しい。

2.教育の評価
日本の教育レベルはいまだに世界の上位である。この点から、教育システムに問題はあれども一定の評価はされよう。しかしながら、21世紀の現代、諸外国との相対的教育レベルは下がりつつあり、将来が危惧される。
公教育の崩壊が教育機会の格差を生んでいることは決して評価できない。また自民党政権下で行われてきた数々の教育制度改革は、ゆとり教育を一例としても、対症療法的であった感は否めない。
しかしながら、遅きに失したとはいえ「個人主義」からの脱却をはかり、公共の精神、道徳心、家族愛、祖国愛などをもった日本人の育成を目指す、新教育基本法の制定は評価される。新教育基本法の制定にともない、教育三法の改正、新教育指針の決定、新教科書の採択、新カリキュラムの導入と公教育の現場は徐々に変わりつつある。
新教育基本法には「幼児教育」の重要性が盛り込まれた。この点は評価できるが、就学前児童への教育が厚労省と文科省に分かれ、子供が制度の隙間に落ち込んでいる状況は評価できない。
教科書検定制度における教科書採択のあり方、教育現場に政治を持ち込む日教組に対して、適切な対応を怠った責任は自民党政権にある。「日の丸、君が代」問題や行き過ぎた性教育、自虐的歴史教育とそれにともなう間違った領土認識の植え付け、何より個人主義の横行など、日教組の弊害は枚挙にいとまがないが、それを阻止できなかった点は全く評価できない。

3.「教育」の課題
自民党政権下で日本経済は発展し、日本国民は豊かになった。その一方で「家庭」教育環境は核家族化の進展によって崩壊した。この責任は重い。生物としてのヒトが社会の構成員としての人間になるためには、最低限三世代の知恵が授けられる「家庭」教育環境が必須である。これを再構築しないかぎり、教育の再生も「個人主義」からの脱却もない。まず、三世代で生活できる環境をあらゆる政策を駆使して整える必要がある。三世代同居減税、同居家族への生前贈与減税など税によるインセンティブをはじめ、転勤抑制といった産業界への働きかけ、地方で生活が営めるような産業改革など、教育とは無関係のようにみえるものも重要である。
次に公教育の再生が急務である。公教育が高いレベルであれば教育機会の格差は生まれない。公教育を再生するためには日教組解体が必須である。教職員がすべて横並びといういわゆるナベブタ式組織体系は望ましくない。校長の裁量と権限を大幅に増やし、ピラミッド型の組織体系に変えなければ、学校を運営できない。さらに学校と地域が一体となって学校運営できる仕組みの拡充が望まれる。
日教組解体の具体的な方策として、日教組に対抗しうる新教職員組合を作る、教職員の組合活動の抑制や政治活動の禁止と罰則規定を設けるなどが、あげられよう。加えて、新教育基本法に沿った公教育、全国学力調査、教員免許更新制度を実施することが再生への近道であろう。
幼児教育においては、その重要性が認識されるに至ったことを受けて、幼児教育の機会平等を確保するための施策が必要である。また保育園行政と幼稚園行政は一本化して、縦割り行政の弊害を一刻も早く取り除くべきである。
高等教育の重要性は、国際教育という点からますます上がっている。また世界のトップレベルの頭脳育成以外にも、日本社会の構成員を育成する役割も失われていない。この二つの社会要請に応えるために、大学の入学定員は削減し、大学の統廃合を推し進めるべきである。大学に総量規制を課すことで大学教育の質を維持し、その社会的責務を果たさせるべきである。また世界レベルの頭脳育成のためにも資源の選択と集中が必要である。力を分散しては世界に伍して戦えない。頭脳集積の環境を整えて、世界から頭脳を呼び、世界へ頭脳を磨きに出させる。大学は国際社会への窓口になるよう改編することが求められる。

4.「教育」のあるべき姿
「家族の再生なくして、教育の再生はない」との認識を国民全体で共有し、家族の再生を目指すべきである。もっとも大切な「家庭」における教育の充実こそ、教育の目指すべき姿と考える。新教育基本法はその目標に「人格の完成」を、その目的に「人格の完成」を目指すのに必要な具体的な指針を掲げている。そして全体を通じて、戦後教育の指針に抜け落ちた、精神的な支柱を盛り込んである。
つまり、教育をとおして自助自立した国民を育成し、自立した国民が努力を重ねた結果、報われる公正な社会を創らなければならない。それゆえに、新教育基本法の精神を具体的に実現できるよう、公教育の現場に公正かつ適切な環境を整えなければならない。

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