インドの持参金殺人

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 インドは急速に近代化が進んでいるが、いまだに尋常ならざる数の女性たちが親族間のもめごとで火をつけられて死亡したり、やけどや傷を負ったりしている。この問題の文化的背景は根深い。

インドでは家族の名誉を傷つけたとか、花嫁の持参金が少ないといっては、女性に火をつける家族や義理の親族が今も後を絶たない。政府の統計によると、花嫁の持参金に関するもめごとで約1時間に1人の割合で女性が死亡している。また、虐待から逃れるために、考えあぐねた末に自ら火をつける女性もいる。

こうした事態は、インドの家父長制の伝統と世界の女性の地位に関する考え方の変化がインド社会に緊張を引き起こしていることを示している。

持参金問題で嫁が焼き殺されるインド

 

このニュースを、『日本のフェミニストが何の問題も起きていない社会運動に呑気な難癖をつけてる間に、こんなとんでもない暴虐がこの地球上では常に起きている。』という言葉でフェミニストに現在批判されている人が論点逸らしに紹介していたんですが、このインドでの名誉殺人だったりする系統のものは(海外の)人権問題に少しでも興味をもった人にとっては常識のようなものだと思うのです。(「何の問題も起きていない社会運動に呑気な難癖をつけてる」という言葉への批判はバカバカしいので何もしません。身近なものへの予防という観点というものがある、とだけは言っておきますが。)

そして常識のようなものであるので、当たり前のようにこの問題は注目され、どう解決すべきか、というのはフェミニズム的な問題意識の中にも普通に包括されていると思うのです。(この記事では『インドの農村部では厳しい社会規範が、解決可能に思えるありふれた家族の問題を生きるか死ぬかの大ごとにしてしまうという現実だ。』という問題点が指摘されている。)

そういう“とんでもない”問題を自分たちへの批判逸らしに利用する浅はかな輩は別として、このような問題がインドで起こっているだけではなく、ここまで物理的な被害は目立たないものの、日本にも類似の関係性が発生していることも多々あるのではないか?というのは人権的なものを考える際の常識としてふまえておくといいのではないかな?と私は思います。

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