ふと都構想賛成の方のツイートを見ていたら以下のツイートを見つけちゃいました。
大阪都構想実現がいかに困難であって、反対がいかに楽だったかのイメージ図。反対するだけって本当に楽なのよ。何も考えなくてもいいし。だから余計に悔しい。 pic.twitter.com/m4uzyppOGQ
— MT66 (@ECM_MT66) 2015, 5月 18
このツイートの図なんですが、賛成でも実際成り立つんですよね。 ブログ用 posted by (C)despair こんなかんじで。反対だってトーナメントを勝ち抜いているといえるわけですよ、賛成側だって色々反対意見を批判する意見を出していたわけですから。 で、冒頭の図に至る考えを持った理由はどうも『都構想は一案だけ。反対には色々な意見が同居していてずるい!』みたいな考えがあるようですが、逆に『いろいろな意見が同居しているからこそ、反対は信用されづらい』という面もあるわけです。それは過去に書いたように『意見が一つのほうが内容がシンプルで、訴えやすく理解されやすい』という面があるという話です。そしてそれで『過半数を勝てる』と踏んだから、反対側の公明党に協力してもらい住民投票に踏み込んだわけで、それで負けて『お前らはひとつの意見じゃない!!』という言葉を吐いても負け惜しみとしか言えないわけです。
大阪の自民、公明、他党の議員ども。勘違いしちゃ困るが、今回の住民投票において一番指示された案が大阪都構想やからな。単なる反対でなく総合区案で戦ってみろ。絶対に負けてたから。 — MT66 (@ECM_MT66) 2015, 5月 19
総合区案で戦ってみろというのなら、『大阪府・大阪市特別区設置協議会』みたいな場所で初めから『複数案を採用、提示して住民投票を戦いましょう』という取り決めをして住民投票をすればよかったわけです。 そういう分断作戦は最初から自分たちで出来たわけで、それをしなかった上で、終わってから始めるのは、個人的に腑に落ちないです。 で、冒頭のツイートに批判的なリプライをしたら、こういうツイートを頂きました。
@desPAiR0906 大阪都構想という意見は賛成、反対意見がなくても存在、つまり自立しています。でも反対(大阪都構想に)の意見は「大阪都構想」という意見がなければ存在できない、つまり自立していません。自立した意見を通すのと、単に反対だけすること、どちらが難しいか解りませんか? — MT66 (@ECM_MT66) 2015, 5月 19
なんですか、この驕り高ぶった感じ。
大阪都構想という意見は、大阪都構想を誰かが考えたことによって存在しているとも言えるわけですよ。つまり『大阪都構想』という意見を言い出す人が居ない限り『賛成』と言えない、自立していない意見とも言えてしまう。
そして反対も『複数案』が存在していて、それを採用するために『大阪都構想に反対』と言っていた可能性があるわけで、それは大阪都構想がなくても存在できる意見なわけです。
要するに『反対』にも『賛成』にも自立している意見と自立していない意見が存在する、というのは当たり前のことであって、それをさも『自分たちは自分たちで考えた。自分たち以外は誰かのいうことに従っているだけ!』と言い募るのは、『反対側』でも『賛成側』でも愚かな思い込みであって、それこそ『デマ』なわけです。というかそういう事を互いに言い出している時点で、互いが互いに依存しあっているようにしか見えないわけで。
反対側から見たら『橋下に従っているだけ』だし、賛成側からみたら『既得権益に従っているだけ』に互いが見えているわけです。でも、結局そういうことを言い出すことは、互いに『互いの反対意見を言ってるだけ』なのではないでしょうか?
ただ、そういう『反対は反対というだけでいい』住民投票に賛成したのが都構想賛成の維新側であって、そういう住民投票に反対したのが都構想反対派なのです。
つまり、維新側が『反対派は複数の意見が同居している!』というのは今更な話であって、最初っから対策すればよかったじゃない、という話であって、今さらそういうところを批判するのは、あまりにも『反対派に頼りすぎているんじゃないですか?』と言いたかったんです。はい。
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