やっぱ『ガザの子どもたちがクリスマスを過ごせるように声をあげよう』はおかしくなかったと思う。

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2023年の年末、社民党の森ひでお氏が街頭演説にて『「年末で生活に困れば区役所に相談することができます。」「イスラエル軍による攻撃を止めさせてガザの子どもたちが #クリスマス を過ごせるように声をあげよう」と呼びかけました』とツイートした結果、パレスチナはイスラム教なのにクリスマスなんて、と批判されるという事象がありました。

社民党 森ひでお「ガザの子どもたちがクリスマスを過ごせるように声を上げよう」
国際政治に全く興味がないんだなと。

しかし、私はこの批判について当時から不当な批判だと思っていました。それを改めてブログに書いておきます。

まず、togetterのコメント欄に『イスラエル「うちはユダヤ教なんでクリスマスなんてどうでもいい」』と書いていますが、そんな話ではありません。

実際にはイスラエルのネタニヤフ首相はクリスチャンに対してクリスマスに戦闘を行うことを正当化する言及をわざわざ行ったようで、そこでクリスマスについてどうでもいいといっておらず『クリスマスはすべての人へ善意を示し、地上に平和がくる時』としています。

「クリスマスはすべての人へ善意を示し、地上に平和がくる時です。私たちの場所では平和はありませんし、善意もありません。私たちが対峙しているのは怪物です」

イスラエル クリスマスの戦闘を正当化 「怪物と対峙」ネタニヤフ首相

このように、クリスマスを利用して自己正当化を図る内容を発信しています。ちなみに、この正当化は「クリスマスを無視するアイツラは野蛮」という内容も含まれているように感じ、今回の発言を批判する「イスラムにクリスマスと言うなんて」とわざわざ言い募る人たちとなにか通ずるものがないとは言えないのではないか、と思ってしまいます。

ちなみにイスラエルのキリスト教徒は2023年の始め頃には、総人口の1.9%を占めていたようです。

イスラエル中央統計局(CBS)の発表(英語)によると、同国に居住するキリスト教徒は推計18万2千人で、2021年を通して2%増加し、総人口の1・9%を占めた。

イスラエルでキリスト教人口が増加、中央統計局が発表 : 国際 : クリスチャントゥデイ

一方、パレスチナのガザにも一定のキリスト教徒が存在し、その方々が2022年、クリスマスにベツレヘムに行こうとしたらイスラエルから許可が降りなかったという話も報じられています。

ガザのカトリック修道会教会が出した統計によると、ガザ地区には約1,100名のキリスト教徒が暮らしている。

危機的経済状況、イスラエルによる包囲と立て続けの攻撃により転出する人が増え、ここ数年でガザのキリスト教徒の数は減少している。

多くはヨルダン川西岸地区へ移るか、国外へ移住した。

「すべてのキリスト教徒が必要な許可証を受け取ることができず、非常に残念に思います」とガザのギリシャ正教会のカメル・アヤド広報部長はアラブニュースに語った。

「キリストの生地ベツレヘムでクリスマスを祝うことは、世界中から訪問するすべてのクリスチャンに開かれている以上、キリスト教徒としての私たちの権利です」とアヤド氏は述べた。

キリスト教徒のベツレヘム訪問を禁じるイスラエルに非難が集まる|ARAB NEWS

また、上記記事にも多少触れられているのですが、パレスチナではイスラム教徒も私的にクリスマスを祝うことを行っていたようです。

ガザでは、キリスト教系の施設の入口やキリスト教徒の住居に加えてイスラム教徒の住居にもクリスマスツリーが飾られている。数千人が出席した式典では、YMCAが祝祭期間中の活動の一環として、庭園のクリスマスツリーの灯に点火した。

クリスマスツリーの灯は私たちキリスト教徒のコミュニティに、そして、ガザ地区のパレスチナ人コミュニティ一般に喜びを広げます」と、ガザのYMCAのハティー・ファラー事務局長はアラブ・ニュースに語った。

「私たちにはクリスマスを祝い、また、ガザ地区でクリスマス祝う人々に祝祭日であることを実感してもらう活動を行う必要があります。このクリスマスは私たちにとって特別な祝祭日ですが、すべての宗教に対しての平和のメッセージなのです」。

ガザ地区には約1,300人のキリスト教徒が暮らしており、そのほとんどがギリシャ正教徒でクリスマスを1月7日に祝う。一方、小規模なカトリック教徒のコミュニティ (ナショナルカトリックリポーターによれば133人程度) は西暦に従ってクリスマスを祝う。

ガザ地区に4つあるキリスト教系の学校の1つであるロザリー・シスターズ・スクールは、クリスマス期間、美しく飾られている。校庭の木は照明と色彩豊かな装飾で覆われ、本館校舎の中央部分と教室のドアにも装飾と照明が施されている。

「クリスマスは特別な行事です。私たちは毎年クリスマスを祝い、教職員たちも生徒たちも学校の誰もがこうした装飾に喜びを感じています」と、ロザリー・シスターズ・スクール校長のシスター・ナビラ・サレはアラブ・ニュースに語った。

クリスマスを迎えると、サンタクロースがキリスト教系の学校や他の施設を訪れてお菓子を配る。

イスラム主義グループのハマスがガザ地区を統制しており、クリスマスを公に祝うことを禁じてはいるが、キリスト教徒の自宅やキリスト教系施設で私的に祝うことは許されている。

ハマスの公式な代表団はキリスト教徒のコミュニティに祝辞を述べ、カトリックとギリシャ正教会それぞれの教会を訪問した。

ヨルダン川西岸地区とガザ地区では政府系、民間を問わずすべての機関や施設で12月25日と1月7日は公休日とされている。

クリスマスツリーや関連の装飾物は一部の店で入手可能で、キリスト教徒、イスラム教徒のいずれもが購入している。「当店のクリスマスの装飾のお客様のほとんどはイスラム教徒です」と、小売店主のマフムード・ハッジ氏はアラブ・ニュースに話した。

「私の子供たちはクリスマスツリーに灯をつけるのが大好きです」と、客の1人がアラブ・ニュースに語った。「私たちはイスラム教徒ですが、今は喜びの時で、世界の多くの国でそうであるように、私の子供たちにも喜びを感じて欲しいのです」。

「私の職場にはキリスト教徒の友人がいます。私たちはクリスマスもイード・アル=フィトルもイード・アル=アドハーも一緒に祝います。私たちは一つの民族なのです」。

ガザ地区で共にクリスマスを祝うキリスト教徒とイスラム教徒のパレスチナ人たち|ARAB NEWS

このような実態を考慮しても、わざわざパレスチナにクリスマスを祝わせるのは残酷というように決めつけていくのは、勝手に宗教への思い込みに相手を閉じ込める行為でしかないのではないでしょうか。

また、クリスマスを平和に過ごすということは、クリスマスを祝わせる、と一緒ではないことは、言うまでもないとも思います。

相手が祝う対象と思わなくとも、祝う側にいる人間が、このときは同じ人間として同じ平和をみんなが享受してほしいと願うことは、なにもおかしくないと思います。相手にクリスマスを祝えと強要しているわけではないのです。

「私は苦闘しています」と、ニューヨークの聖ヨハネ福音ルーテル教会のパレスチナ系米国人のハリリヤ牧師は語った。

「パレスチナ人の子供たちが避難シェルターに詰め込まれて眠る場所も無く苦しんでいるというのに、どうして私がクリスマスを祝ったり出来るというのでしょうか?」

数千マイル離れたベツレヘムの近郊では、スーザン・サホリさんが、オリーブの木で作られたクリスマスの飾りをオーストラリアや欧州、北米の家庭に届けるために職人たちと働いていた。

しかし、サホリさんはお祭り騒ぎの気分ではない。「私は、パレスチナの苦しんでいる子供たちや現在進行している殺戮劇を見ている内に心が折れてしまいました」

伝統的には陽気な喜びの季節ではあるが、数多くのパレスチナ人キリスト教徒は、イスラエル・ハマス戦争の渦中で、ベツレヘム内外において、無力感や苦痛、そして不安に苛まされている。

悲嘆に暮れる人々もいれば、戦争の終結を求めて陳情運動を行人々も、親族の安全を確保しようと奔走する人々も、クリスマスの希望のメッセージに慰めを見出そうとする人々もいる。

戦争の最中、陰鬱なクリスマスを迎えるパレスチナのキリスト教徒たち|ARAB NEWS
今年のクリスマスにパレスチナ人が渇望する、完全な尊厳と完全な自由が守られた生活
ガザで戦争と暴力が続く間も、キリストは、性別、宗教、民族、支持する政党、所属する宗派に関係なく、すべての生命の神聖さを私たちに明らかにしてくださいました。戦争は尊い人命を単なる数字に変えてしまいます。イエスは、飼い葉桶か・・・

私にはこの平和の祈りに対し、イスラム教の当事者でもないのに、宗教についての凝り固まった考えをぶつけあざ笑う人間の残酷さに悲しみを覚えます。

また、イスラエルとパレスチナの対立を単純な宗教対立みたいな枠組みで捉えるのは間違っているという専門家の言及もいくつかあり、そういう点でも、今回のようにイスラエル=ユダヤ教、パレスチナ=イスラム教と単純に考え、すべてを宗教的思考に還元していくのは、誤りの元であるように思います。

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