ハートネットTVにて、映画監督の堀河洋平さんが取り上げられている回を観ました。(歌川たいじの一期一会 映画監督 堀河洋平 – ハートネットTV – 2016年7月12日の放送 – NHK福祉ポータル ハートネット)
そこで語られていた一エピソードがとても興味深いものだったので、うろ覚えなんですがメモとして書き留めて置こうと思います。
車いすの方の介助をしていた時に震災(多分東日本大震災)があって、心配になったので防災グッズを買おうと思った。
防災グッズを買うためには、ビルの上に行かないといけない。
ビルの上に行くためには車いすですから、エレベーターに乗ることが必須。
そこで、優先エレベーターに乗ろうとしたところ、エレベーターはその防災グッズを売っている所に向かう人で一杯。そして、みんなスマートフォンに夢中だったり、見て見ぬふりをしていたりして誰も譲ってくれなかった。
そこで、介助者と要介助者は二人で『災害に遭ったら死ぬしかないね』と笑いながら話した。
そして同時に、こんな時にも人は譲ってくれないのか、と愕然とした。
細かい部分などは違っているところがあるかもしれませんが、大枠ではあっているだろうと思います。
この話をなぜ書き留めて置こうと思ったかというと、震災をめぐる話で大量に拡散された話って『避難所でみんな助けあって譲り合って素晴らしかった』みたいないわゆる“イイ話”が多いように思うんです。
でも、重要なこと、本当に次の震災のために必要な情報は、“イイ話”よりも誰かが傷ついた話みたいなものにあると思うんです。
でも傷ついた話っておおっぴらにしづらいと思うんです。だから貴重だなと思ったんです。
改めて話を振り返ると、「エレベーターを譲らない」という一見些細な事が、譲られなかった側の当事者にとっては「災害に遭ったら死ぬしか無いね」と言わせるに至るくらいに重大なことだったわけです。
この認識の格差と言えるようなものに私は驚きました。
そして、このエピソードに関して、聞き手の歌川たいじさんが、「いくら環境がバリアフリーでも、心がバリアフリーじゃなかったら意味が無いんだよね」みたいなことを言っていて、腑に落ちました。
実際には、環境のバリアフリーも不充分であるが、たとえ環境がバリアフリーに整備されていても、周囲の人に“心のバリアフリー”が存在していないと、環境を活用できない、ということが本当によく分かるエピソードと言葉だな、と思ったのです。
他にも堀河洋平さんの映画「上にまいります」にはバリアフリーを阻害してる要因がたくさん描かれているそうです。
是非映画を一度見てみたいと思ったと同時に、そういう些細なバリアフリーに気をつける“心のバリアフリー”を気にしながら生活していけたら良いな、と思いました。
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