涼風紫音さんが、今回の問題である新潮45の論文?群についてすべて読んでブロクに雑感として内容について色々と書いています。
Twitterで後半を投稿したあとのツイート群などで、この特集を読んだことにより散々疲弊しているのがわかるのですが、今回は、その苦労から生まれた雑感のたった一部を利用して、非常に薄っぺらい話をします。
深い話をしたい場合は新潮45の酷い本文や紫音さんの雑感などを読んでください。
今回、薄っぺらい話をするきっかけになったのは、紫音さんの雑記を読んでいて、小川榮太郎氏の文章の以下の部分を読んだことがきっかけです。
LGBTという概念について私は詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりもないが、性の平等化を盾にとったポストマルクス主義の変種に違いあるまい。(10月号P.86)
いや、本当よく載せましたね、新潮… この後はもっと酷いんですけど…
新潮45コラム雑感 -延長戦(10月号)- 前半(仮)
この私は詳細を知らないし知る気もない、みたいな自白から始まる形式に、見覚えがあったんです。
そして調べてみたら、その記憶は小川榮太郎氏が電通での過労死について言及している時のことだったことがわかったのです。以下に武田砂鉄氏がその該当箇所について触れている文章を引用します。
驚くべき事にこの小川は「私はこの事件をよくは知らない。いまも、実はあまり詳しくは知らずにこれを書いている」と明かす。会社からの抑圧に踏み潰されるように自死を選んだ事件を前にして、「詳しくは知ら」ないにもかかわらず、冒頭から海音寺潮五郎『孫氏』の「由来自殺者の心理は異常である」なんて一節を引っこ抜く無神経。
精神論を振りかざし電通の過重労働を擁護、自殺した娘の母をバッシングする評論家の暴力
詳しくは知らないのに、相手をバカにすることが得意なので、この程度のことだろうと勝手に憶測を広げて好き勝手に文章を書き連ねる才能。
これが小川榮太郎氏が右派メディアで重宝されるに至った特異な能力なのではないか?と私は考えたのです。
(これもたった2つの事例から導いている憶測ですが)
このような能力の持ち主を相手にするのは、個人的には非常に不毛であるとしか思えません。
彼は過労死の議論の際にこう述べています。
1人の自殺者が出たからと言って、それを基準に社会全体を改良しようなどという無法なことをすれば、日本の労働文化の在り方を是とし、今まで猛烈に働くことを喜んで選択している無数の日本人の人生を否定することになり、その結果、我々が享受している生活をも否定することになる。
【DHC】2/2(木) 有本香・小川榮太郎・居島一平【虎ノ門ニュース】
鬼十則を否定すればその文化に憧れ、それに生き甲斐を持ち、そこにヒントやチャレンジの根拠を持ってきた電通の他の社員の人生はどうなるのか。
要するに、お前の問題程度で俺たちの生き方を否定するな、黙ってろということを述べているに過ぎないと私は思います。
そして今回の発信でもそのような意図のものがあります。
論文に書いた通り、”パンツぐらい履いとけ”ということだ。つまり、性的なことというのは居酒屋で話すのはいいが、社会で議論すべきことではない。
LGBT批判の小川榮太郎さんが持論を展開 ⇒ ゲイ公表の鈴木賢氏「その感覚に驚く」
小川氏にとっては指向のカムアウトは性行為を公道で晒けるのと等価らしい。物凄い理解の仕方だ。全部まとめて「嗜好」という雑認識なので、そりゃ公道目の前でいきなりSMプレイとか始められたら引くだろ。というかそんなことして行為に及べば即警察のご厄介になること間違いないわけだが、その程度の暴論ですね(10月号P.84全般)。黙ってろ、言うな、喋るな、以上。これが「書くべきことは、本当は以上で尽きる(P.85)」らしいのだが、よく没原稿にしなかったなこれ…
新潮45コラム雑感 -延長戦(10月号)- 前半(仮)
色々と理屈を積み重ねるものの、結局原点は黙れ、隠せ、巻き込むな、という事なのです。
このような言動をする人が、安倍晋三総理を褒め称え、朝日新聞批判に都合のいい文章を書いてくれるからとたくさんネット上でも物理的にもシェアされていることで重宝されているのが現状なのでしょう。
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