※今回の記事は今回の選挙結果の雑感と言う形をとった、ほぼ自分語りだと思います。
僕が、「政治」というものの情報に注目するようになったのは、小泉政権前後での日本テレビのニュース番組での『マル秘ウォッチ永田町』というコーナーだったように思う。
エンタメ色強めにその週の政治の動きをダイジェストで振り返るコーナーで、このコーナーを見て私は政治の人間臭さ、みたいなところに観点を置く見方を手に入れたように思う(現在はそれデメリットも感じるようになった)
また、テレビタックルも見ていた記憶がある。
何を話していたかは覚えていないけど、この体験も今の自分に蓄積しているように思う。
その後は、インターネットを利用するようになって、ニコニコ動画とかで麻生氏が持ち上げられてたりしてるのを見ていて。
そんな中、麻生持ち上げにはそこまで賛同しなかったものの、僕は亀井静香だとか、田中康夫だとか、平沼赳夫とかの、その後差別的言動で注目されるような、そういう人たちを支持して。その後誕生した民主党政権には批判的でした。
このころを今振り返ると、「改革嫌い」であることが今と変わってなくて、そこを見すぎて古い自民党の一部に幻想を抱いていたのだと思う。
その後。外国人全般への言動とかそういう「人権」的な部分で色々気になるようになって、この方々への支持は「あり得ない」というものに変わっていった。
で、反改革と言う意味では谷垣氏にも期待したが、結局は自民党内で安倍氏の勢力が一定の影響力を持っていたりして、明確に何かがあったわけではなく雰囲気だけで。
そんな流れで、原発事故が起き、私の中で「反原発」というイシューが強くなり、さらに安倍氏が首相になったこともあり自民党はあり得ないと言う考えが強くなり、2013参院選では、反原発を強く主張する政党に注目し始めました。
その参院選で、民主党は鈴木寛氏を東京選挙区の公認候補にして、山本太郎との対決姿勢を鮮明したり、現在立憲民主党で国会議員になっている大河原雅子氏の公認を取り消した問題などでごたごたしていた印象しかなく、「はっきりしない政党だな」と思ったように覚えています。
(あと、国会議員定数削減とかが嫌だったのも覚えています。)
一方私は、そういう民主党周辺のごたごたに辟易として、結局、みどりの風や緑の党、社民党などにボートマッチが似ていたにもかかわらず、原発事故に対して「命を守れ」という正義論・倫理論を説いている姿を見て、みんなの党に関心を寄せて、投票もみんなの党にしました。(ちなみに比例は川田龍平氏に入れていました)
『改革嫌悪』よりも、その正義への共感が強かったのだろうと思います。
ただ、これも今になって思うと「自己責任論」の延長線上にあったのだろうと言いますか、個人の倫理の問題の部分にばかり強調されていたのだろうと思うのですが。
みんなの党はその後、維新・自民・民主との関係をめぐって徐々に散り散りになっていきました。
そんな中で、私は安倍総理は嫌悪しつつ、都知事選で宇都宮候補への細川支持者?の人たちの態度にぶちぎれたりして、民主党支持にはなることはなく、俗にいう「消極的野党支持者」「無党派層」になりつつありました。
そんな中で、希望の党政局で、民主党の中でも信用できないと思っていた人たち。「改革」に敏感で、社会保障などの問題よりも、安全保障の問題の方に優先順位がありそうな人たちがどかどかと抜けて行った結果、自然と立憲民主党支持者のような心境になっていきました。
でも、これまでの経歴でもわかっていたように、私の好きな路線はたぶん政権を取れるような路線ではないのだと思います。
とある立憲民主党の議員(私はこの方を信用しているので、批判的な意見が飛ぶと嫌だから誰かは言いませんし、リンクも貼りません)さんが「それに向けて着実に近づけていく前向きな政党に見えるだけでガラリと景色は変わる。その「魅せ方」は、1の懸念点があるから全部反対ではなく、その点もフォローをし、特に自民を動かすみんなが必要な政策を積極的に打ち出す事こそ、与野党伯仲させる重要な一つの姿勢」とtweetしていて、実際こういう風に「1の懸念点で物事を止めるな」というのが、有権者の求めるものなのだろうと思うのです。
「改革を止めるな」「決められる政治」みたいな。
民主党の政権交代だって、正直そういう枠じゃないですか。総理がころころ変わって、しかも改革やめようとしているように見えた麻生自民党に対して、改革・実行を謳う鳩山民主党が圧勝した、と言う。
イソジンだろうがイベルメクチンだろうができるのかわからない自国ワクチンだろうが、何かしようとすることが支持されて、「それ危険じゃない?」とか「それ意味ないんじゃない?」「無理なんじゃない?」みたいなことを言ったところで損しかないんじゃないか、みたいな。
でも、私はどうしても「1の懸念点」がとても重要だと思ってしまうし、だいたいにおいて「その点もフォロー」されることはないと思ってしまうし、そういうところにこだわる勢力を支持したいと思ってしまうのですよね。
「対決よりも解決」という言葉も私はあまり好きではなくて、解決のために対決が必要だってことがあると思うんですけど、それも多分「遠回り」すぎて理解されるまでに、もっと手っ取り早い話に惹かれるんだろうな、みたいな。
このまま多分、守旧派として私はおいて行かれるんだろうな、みたいな感じです。
正直、立憲民主党の小選挙区は、国民民主党からの合流、それと共産党との野党統一が加わったこと、選挙区では実力以上に粘ったんだと思います。
その一方でちょこちょこ報道で立憲の中堅議員?が「効果なかった」と言ってるという内容の報道を見かけるのですが、そんなことはないだろうと思いますし、小選挙区で票を送って議席を増やしてくださったにもかかわらず、立憲支持者の票は大してもらえなかった共産党に失礼だろうと思うのですし、そんな感じなのが見透かされたからこんな結果なんだろうとも思ってしまうのです。
衆院選の敗北により、立憲党内で反発は強まり、立憲中堅は「結果は相当に厳しく、効果がなかった」と批判。「来年の参院選に向け、体制を立て直す必要がある」と述べ、枝野氏や福山氏ら執行部の交代を求めた。
敗北の立憲、党内で強まる反発 枝野代表らの責任論も噴出 | 毎日新聞
一方比例は『立憲民主党』通りの実力が出たと言うか、もし野党統一をしなかったら2017年の立憲民主党と同じ、もしくはそれよりも少ない結果になったんじゃないかと思うんです。
正直、民意構成がそういう構成であるとしか言えず、票の動きは今のところは数字としては大きな変化はしていないように思うんですよね比例の動きを見ると。
多分私の支持できる勢力は2割の得票が限界で、多数派は6割ぐらいの票を奪い合う人たちなんだろうな、みたいな。
例えば、日本テレビの出口調査で「格差是正・貧困対策」を争点だとした人が1割程度しかいないとか、そういう状況を変えないと、状況が変わらないと、小選挙区では(つまり政権交代には)それ以外の話に注力しないと・・・となってしまって、その時に「そういうイシュー」が二の次になることに違和感を持つ人たちが離れて行って、結果として「支持基盤どこだっけ?」みたいなことが繰り返されていくんだろうと思います。
で、僕みたいな人間が「政権選択選挙」に絡むのは、もうあきらめたと言いますか、世論の変化があるか、選挙制度の変化がない限りは、素直に非政権的な人間として生きて行った方がいろいろといいんだろうと思いました。
というか、多分こういう批判する部分なりをきちんと詰められていないことも「対決よりも解決」なんていうワードを生み出させてしまうことに繋がっているようにも思えましたし・・・。
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