リフレ政策について、なんで違和感があるのだろうと悩んできたのですが、この文書を読んで、ピンときました。
「景気回復の実感がない」という人は実際少なくないと思いますが、それは行動を変えにくい人、逆に言うと安定している人なのだと思います。たとえば、それなりの企業に正規雇用で長年勤めていて定期預金でがっつり貯金してるような人は、景気回復の途上ではむしろ損するかもしれません。
ここらへんの感覚が私とズレがあるということがわかりました。
「行動を変えにくい人、逆に言うと安定している人」とすんなりと逆に言ってしまうのが、私と感覚が違うんですよね。
また、貯金してる人とかいう例を行動を変えにくい例で持ってくるのもなんか感覚が違うんですよね。
行動を変えにくい人って、貯金なんかしてない人もいると思うんです。
貯金というリスクを取るための余裕がないからこそ、綱歩きをしてるからこそ、自転車操業状態だからこそ、行動を変えにくい人が。
安定しているということをリスクを取らないだけの余裕がある、と捉えているのですが、その逆に、リスクを取れないから悪い意味で安定している人も多いと思うんです。
そういうリスクを取る余裕がないから行動を変えられない人が、視野に無い(ように見える)ことがいわゆるリフレ派の言説には多い印象が私にはあるのです。
だから、行動を変えられる余裕のある人、つまりお金持ちだけが儲かって、そのおこぼれがリスクを取れない人たちに回ってくるのを待っている構図、つまりトリクルダウンの構図と同じだと認識してしまうのではないかな、と。
様々な経路でお金が回り出す、その経路の中にリスクを取れない人は入れるようには、少なくとも私の理解では思えないのです。
リスクを取れない人がリスクを取れないからリスクを取るための原資を調達できない、という構造をどう変えるのか、というとき、多分リフレ派の理論では、「インフレ期待によって、リスクを取ることへの安心感が生まれる」みたいな話になるのでしょう。
私には、そういうところが物事を単純視し過ぎのように見えてしまうのです。
そういうところの丁寧さが無いという印象が、少なくとも私の中でリフレ政策とトリクルダウン理論を結びつけてしまうことにつながっているように思います。
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