疑似科学にハマる人はお気持ちワードを良く使う #超会議2018 pic.twitter.com/VI94g2XawR
— いい話 (@goodstoriez) April 29, 2018
このような言語処理を利用した分析についてのツイートを見ました。
一データとしては面白いと思いますが、これはきちんと背景を分析しないとなんか色々と誤った印象を抱きそうだなぁ、という感想を抱きました。
例えば、チルドレン議員についての分析。
元の論文はこれだと思いますが、ニコニコ大会議での発表では、この論文とは違うデータの扱い方をしているようです。
論文では、民主党と自民党のチルドレン議員について、その後なんらかの選挙で再び当選した議員とそうでない議員を分けて分析しています。
そこで、質問に立った会議の数について、民主党のチルドレン議員について以下のように書いています。
最初に、各人物が当選日以降、次の解散までに質問に立った国会の会議数を調査する。「消えたチルドレン」計 109 名の発言国会会議数の平均は 10.0、標準偏差は 6.7 となった。一方、「生き残りチルドレン」計 30 名の平均は 13.0、標準偏差は 5.0 となった。ここで、両カテゴリ間での発言会議数に有意差があるか検証するため t 検定を行った。その結果、 p =0.025となり、有意水準 5%で、「消えたチルドレン」は「生き残りチルドレン」と比べて国会質問に立つ回数が有意に少ないことが示された。このことから、国会質問への積極的な姿勢が見られないチルドレン議員は、一度の当選のみに終わってしまう傾向が強いと考えられる。
この、消えたチルドレンが生き残りチルドレンより、質問回数が少ないというのは、論文によると民主党と自民党で共通した話です。
ここで気になったのは、それについてこの論文で『国会質問への積極的な姿勢が見られないチルドレン議員は、一度の当選のみに終わってしまう傾向が強いと考えられる。』と表現していることです。
揚げ足を取るかのような本旨とは関係ない指摘になりますが、国会質問に立てるかどうかというのは党内事情や、他の議員の専門分野との兼ね合いなど、本人の姿勢には還元できない部分があるような…と考えてしまったのです。
本人が国会質問に積極的でも、その本人に問題があったりなどして、党から質問に立たせてもらえない議員とかもいるでしょうし、本人の姿勢とは違う要素も、関わっているように思うのです。
そういう意味で『国会質問の回数が少ないこと=国会質問への積極的な姿勢が見られない』と書くのはちょっと違うのでは、と思ってしまいます。
ただ、これは本当に本旨とは関係ない脇の話だとは思いますが。
次に論文の言語分析の部分です。
論文ででている結論は以下のようなものです。
最大エントロピー法による学習の結果、一期で消えてしまった人物の発言には、漢字二字熟語で表される言葉の使用頻度が少ないこと、尊敬語・謙譲語などの丁寧な表現が少ないこと、損得勘定に関する表現の使用が多いことが分かった。
これに加えて、ニコニコ大会議での発表では「消えなかった議員は、客観的な数字の上下を表す動詞を多く使う」というものがありました。
これらについて、議員本人の言語感覚というのも当然関与しているとは思うのですが、個人的に気になったのは『この議員さんたちは、どの委員会で発言していたのだろう?』という点です。
またどういう政治状況の委員会で発言していたかも気になります。
予算の分科会と大臣に対して一般質疑を行う委員会と法案に関する質疑を行う委員会と重要法案に関する質疑を行う委員会では、それぞれ求められる丁寧さや慎重さなどが違っているように思います。
そういう背景まで見ないといけないような気がします。
また、大臣の発言についての分析も行われていますが、これも大臣を取り巻く政治状況や、どのような法案を抱えていたか、などの個別の分析が必要な気がします。
長期大臣で特徴的な素性である「御存じ」は「御存じのとおり」、「是非」は「是非ご理解いただきたい」といった使われ方が主にされている。また「控える」は「発言を控えさせていただきます」といった発言の中で使われている。一方、短期大臣で特徴的な素性である「尽くす」は「全力を尽くす」、「頑張る」「一生懸命」は「頑張っているところでございます」「一生懸命努力はさせていただいている」「一生懸命頑張ってまいりました」といった使われ方が主にされている。このことから長期大臣は相手を取り込みながらうまく納得させるような発言が目立ち、不用意な発言は普段からしないように気をつけていることがうかがえる。一方、短期大臣は「頑張る」「一生懸命」のように自分の努力を一方的にアピールする発言が目立っており、自己中心的で聞き手への配慮に欠ける面があることがうかがえる。
長期大臣は相手を取り込みながらうまく納得させるような発言が目立つほか、製作について現実的、具体的な答弁をする傾向がうかがえる。一方、短期大臣は国会の場にふさわしくない砕けた表現を多用する傾向があるほか、高い理想や自身の頑張りを主張する、厳しい質問をされた場合に責任逃れ、他人任せな姿勢を見せる傾向が見出せた。
とくに、論文では不祥事発覚後の発言はノイズとして切り捨てているものの、政権が最初から防戦状態だったり、抱えている問題が自分たちだけではどうしようもないものだったり、そもそも政局真っ只中だったので、自己の努力を一方的にとか責任逃れのような発言にになっていた、という可能性だったりすることもあると思います。
一方、長期側の『相手を取り込む』や『相手に配慮』という分析も、論文にある大臣の名前を見たり実際に取り上げられている言葉(「御存じのとおり」「是非ご理解いただきたい」「真摯に受け止める」「まことに僣越ですが」)の使用例を見聞すると、相手を取り込むというより、相手に一方的に理解を求める意図や、相手の指摘を受け流す意図で発している場合もあるようにも思えますし。
なんというか、全体的に、ちょっと言葉のイメージをシンプルに捉えすぎな気がします。
そういう話はこういう研究でやることではないのかもしれませんが。
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