~「過去を学び、”分厚い保守政治”を目指す若手議員の会」について~
現在、日本は戦後70年を迎え、大きな転換点に立ち至っています。この点、国政を担う若手議員の一人として、今後も国民各界各層の広範な思いを大きく包摂し漸進していくという役割を改めて認識することが重要です。
加えて先の大戦が”歴史”となろうとしているいま、その経験された方の思い、気持ちにも思いを致すとともに、歴史の転換点での先輩方の様々な判断や、歴史的局面を深く知る”政”、”官”、”民”、”学”の多くの皆様の生の声を伺うことは、一部にみられるような修正主義的な過剰なナショナリズムを排し、保守の王道を歩みながら国民の皆様との思いを共有する広範な保守政治、すなわち”分厚い保守政治”を構築する上で、極めて重要なものであると確信します。
また、”生の声”をしっかり伺い、それを様々な議会活動において活かしていくことは、今後の若手議員各人の政治活動の大きな礎にもなると確信しています。
第1回設立総会は、古川貞二郎元内閣官房副長官をお招きしてお話を伺い、随時有識者をお招きしての勉強会を開催して参ります。 以上
文化芸術懇話会での百田尚樹氏や自民党議員のトンデモ発言で一悶着合った一方で、同日に行われるはずだった『分厚い保守政治を目指す勉強会』が中止になったという報道が『リベラル系議員の勉強会』と報じられたことによって『小林よしのりがリベラルになるくらい、今の日本は極右なんだ』という趣旨の認識が広がっているようです。
個人的に思うのは今回の勉強会を『リベラル』と表現するのは当事者は気に入らないのではないでしょうか?
呼びかけ人の一人である武井議員のブログには以下の記述があります。
宏池会が目指してきた保守中道の声が自民党の中で聞こえにくくなっているのは事実であり、それに対して私も忸怩たる思いがあるのは事実です。
「保守」というのは極めて漠とした概念です。保守の対義語は「革新」です。しかし事実上革新勢力が保守の対立軸でありえた時代は55年体制の終焉とともに終わったといえます。
選挙でも以前は「保守系無所属」などという言い方をしておりましたが、現在はそのような言い方はほとんどしなくなりました。つまりごく一部を除き「一億国民総保守派」に近い状況です。つまり保守とはそれほど大きな概念であります。私は保守の要件とは下記のみだと思っています。
・日本人であることを自認し、日本国が好きである。
・天皇制を肯定し、天皇陛下及び皇族の皆様に一定の敬意を持つ。
・国旗、国歌に対し疑問を持つことなく受け入れ、式典で当たり前に起立し「君が代」を歌う。
・墓参や冠婚葬祭、初詣やお盆など日本古来の習俗を肯定している。
・我が国が憲法を主体とする法治国家であることを受け入れ、共産革命や暴力、テロ行為を肯定しない。その程度だと思います。日本人でこれに当てはまらないとすれば、極左団体やオウム真理教のような極めて原理主義的なカルト、あとは日の丸・君が代訴訟を起こすような一部の市民団体くらいのもので、濃淡はあるにせよ大部分の国民は包含されるのではないでしょうか。
私と相方が『原理主義的なカルト』とか『市民団体』に含まれそうな基準なんですが、これを当然としている人が『リベラル』とは個人的に思えないといいますか、やはりどう見ても保守系であることは拭い切れないと思うんです。本人も分厚い保守と言っておりますし。(この武井俊輔議員が別なインタビューで筑紫哲也氏の名前を出しているのが面白いのですが)
やはり、ここにリベラルという言葉を使ってしまうと語弊があると思うんです。
で、そこで私がいつも行っているのが『真正保守』と『保守本流』の使い分けなんです。
保守本流というのは簡単に言うと宏池会路線、具体的な議員名を出すと谷垣禎一氏とか加藤紘一氏のようなもので、「護憲的」「軽装備」「協調」だとか穏便な方面に向かう政策を主体としている印象を私は持っています
一方で、真正保守というのは、安倍晋三、平沼赳夫、石原慎太郎などの面子といいますか、田母神俊雄が一瞬だけ『日本真正保守党を作る』といったことからも明らかなように「自虐史観」とか「GHQの洗脳」とか「戦後レジーム」とかそういう方面に敏感な方々です。
この二つの使い分けって一度叩き込むとわかりやすいカテゴライズになると思うんですけど、どうでしょうか?
2016/09/30追記
良く考えると、武井俊輔議員のBlogの記述は協調姿勢が見えないので、保守本流でもなく、リベラルでもない、ただの真正保守でもちょっと左よりな人たち、みたいな存在なんだろう、と思い直しました。
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