(静岡県知事選の候補として)一歩を踏み出していただいたこの方を、私たち女性がうまずして何が女性でしょうか。
私も初陣のときに皆さんに「うみの苦しみにあるけれども、ぜひうんでください」と演説で申し上げた。この候補者のことを思うと、その場面が頭によぎる。
今日は男性もいらっしゃいますが、うみの苦しみは本当にすごい。でもうまれてくる未来の静岡県、今の静岡県を考えると、私たちは手を緩めてはいけない。力を結集すればこの戦いを勝ち抜くことができる。
「うみの苦しみは本当にすごい」 上川外相の発言要旨 – 産経ニュース
【上川外相のコメント】「私の昨日の発言は支援いただいている女性支援者が中心の演説会での発言で、2000年の激戦で初当選した、その際女性のパワーで私という衆院議員を誕生させていただいた。いま一度女性パワーを発揮して新たな知事を誕生させると言う意味での申し上げたが、女性パワーで未来を変えるという真意と違う形で受け止めをされる可能性がある発言だったという指摘を真摯に受け止め、発言を撤回をさせていただきます。24年間女性が新しい変化を生み出すパワーになることを実感している。その思いは全く変わっていません。」
【速報・コメント全文】上川外相が撤回「女性が生まずして何が女性でしょうか」発言 「真意と違う形で受け止められる可能性があるという指摘を真摯に受け止めた」(静岡県)(Daiichi-TV(静岡第一テレビ)) – Yahoo!ニュース
週末、色々と言及された上川陽子氏の選挙応援での発言。
『一歩を踏み出していただいたこの方を、私たち女性がうまずして何が女性でしょうか』という発言で、問題ではないと反論する側は『この方』という言葉を切り取ることによる印象操作だとか、『産む』という漢字を報道が使ったことによる印象操作だと言っていたわけですが。
私は、この発言は印象悪いと思うのですが。(ただし、『出産を願ってもできない人への配慮に欠ける』とかいう指摘ではありません。)
1つはその後上川陽子氏が発していた『今日は男性もいらっしゃいますが、うみの苦しみは本当にすごい。』という言葉とのつながりと、撤回時に発言の意図として使った『女性パワー』という意図。
産みの苦しみという言葉自体には、元々の意味が出産であったとしても、普段使いする場合には特段出産を匂わせて使うわけではなく、生産行為全般の苦しみを背景にする言葉として使われることが過半ではないでしょうか。
小泉純一郎氏の改革の痛みとか、「No pain, no gain.」みたいな。
うみ‐の‐くるしみ【生みの苦しみ/産みの苦しみ】
1 子を産むときの激しい苦しみ。2 物事を新しく作り出したり、しはじめたりするときの苦労。
生みの苦しみ(ウミノクルシミ)とは? 意味や使い方 – コトバンク
ただ、この言葉が『女性パワー』を云々しているという背景に発されてしまうと「うむ」ことが女性パワーであるかのようになってしまう。
要するに『女性の根源は「うむ(産む)」ことである』ことを前提に発言しているかのように読めてしまうのは、否めないのではないかと思います。(女性だから「当選させる」とかではなく「うむ」という言葉を選んだんでしょ?と)
(女性活躍関連で、女性の能力への偏見がある、みたいな話がなんかちょこちょこ批判されていた記憶があり、それに関連する話であるようにここらへんは思う気がするのですが、記憶も確かではなく、きのせいかもしれません)
また、要旨のように男性の存在に言及したうえで、「うみの苦しみは本当にすごい。」と言ってしまうと、私にはこれが「男性がわからないうみの苦しみ」について語ってるように見えてしまい、これも「うむ=こどもを産むこと」を背景に話してませんか?という印象を強化する発言だと思うのですし、また「うみの苦しみを知らない人は女性ではない」という話っぽくなってしまうのかなと思うのです。
そして、今回の発言が批判されるに至るのは、「うむ」という言葉選びだけだったならば批判されなかった可能性もあろうと思うのですが、それを『私たち女性が〇〇せずして何が女性でしょうか』という形で言ってしまったことが大きな理由であると思います。
この発言方法は、選挙関連でよく炎上してる気がする『自分たちに投票しなかった人たちは人じゃない論法』なのではないでしょうか。
身内の支持者が多い集会だから油断したのでしょうし、本当に意図的ではないと思うのですが、ここで「女性」ではなく団体の名前だったりしたならば、生むという言葉が直結しない可能性が高いですし、投票しなかった・貢献しなかった特定の団体の会員を排除する可能性だけに終わる(本当に身内の話になる)ので、報じられずに終わったはずでしょう。
しかし、「女性」一般論と読める形で「この方を、私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」と言ってしまった。これが「この方を、私たち女性が当選させずして何が女性でしょうか」と言っていても、『「この方」を当選させない人は女性ではない』という意図になりえてしまうわけで、なかなか際どい発言であると言えるのではないでしょうか。(身内向けの演説なので、仕方ないと思いますし、その他諸々大きな問題にはならないだろうとは思いますが、対立陣営からは批判されるレベルの発言とはなるでしょう。野党もよくTwitter等で批判されるように。)
その危うい「〇〇せずして何が女性か」という構文に「うむ」を乗せてしまった。
その結果、(上川氏が自民党所属であるという文脈も乗ってしまい)『「産む」と「女性」』の話として流れてしまった。ということなのではないでしょうか。
個人的には、今回の上川氏の発言で、「上川氏がやばい」とは思いませんが、批判されるのはおかしくないとは思います。
一方、今回の諸々を受けて、多分ミラーリング・カウンターのつもりで言葉狩りを始める人(一部に公党の支部長も)や、報道がわざと印象操作していると言い出す人にはヤバさを感じますが。
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