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柴山文科大臣「教育勅語の基本的な内容を現代的にアレンジして教えるのは検討に値する」

2018/10/13 全期間:119views   直近一週間:3views  直近一ヶ月:119views

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 「(教育勅語を)アレンジをした形で、今の例えば道徳等に使うことができる分野は、私は十分にあるという意味では、普遍性を持っている部分が見て取れる」(柴山昌彦文科相)

 柴山大臣はさらに、「同胞を大事にするなどの基本的な内容について現代的にアレンジして教えていこうという動きがあり、検討に値する」とも話しました。

初入閣の柴山文科相、教育勅語“普遍性持つ部分ある”

文科大臣が教育勅語について質問され、アレンジして活用することについて「検討に値する」と言い出しました。

これを、検討というのは「考えておきます」程度で、社交辞令程度の言及で、現実的には動かないなどと受け止める人もいるかも知れませんが、私は、文部科学大臣が「検討に値する」と検討の土台に乗せるような発言をすることは、たとえ社交辞令だったとしても「発言が軽い」と言えるでしょうし、そうでなかったとしたら「論外」です。

私は、今回の検討しますは前回の教育勅語騒動時の「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」という内閣の方針から一歩踏み出した、と評価します。

教育勅語に関しては、稲田朋美氏が、過去の論文での言及を国会で追及された際に、いくつか記事を書きました。

教育勅語の核は親孝行と天皇に真摯に仕えることにある、とこの当時私は書いているのですが、今でもそう思っています。
(そしてその後、それが八紘一宇プロパガンダにつながっていくのではないか?ということも考えています。ほとんど資料などを読み込んでいない素人考えですが)

「勅語である」という性質を見ないふりをして、ごまかして「普遍的な性質がある」などと言われても、それは「教育勅語」としてはどうでもいい部分ではないですか?と返すしかありません。

荻上 今も解釈をめぐってはさまざまな意見がありますよね。リスナーからも、こんなメールが来ています。
 
「教育勅語の内容に大きく問題があるとは思えません。天皇云々の部分以外の内容なら、今の教育現場で使って欲しいくらいです。」
 
ネット上でも「教育勅語の12の徳目」というものが話題となっていて、「意外といいこと言っているじゃないか」という声も少なくないようですが、これについてはいかがお感じですか。
 
辻田 まず重要なのは、これは天皇からのメッセージなので、天皇について書かれている部分を除いて議論することは不可能です。また、12の徳目という区切り方、数え方が正しいのかも考えなくてはいけません。これさえも一つの解釈に過ぎないんです。
 
さらに、教育勅語が作られる過程の草稿を見てみると、例えば「地元を大切にしよう」という主旨の文言が完成版では落ちていることがわかります。なぜなら、中央集権の邪魔になるからでしょう。そういった、明治国家のために作られた、その時代に拘束された文章なのだと理解しておかなければいけません。だからこそ、教育勅語は戦後間もなく廃止されたのです。明らかに教育勅語は戦後の日本国憲法や教育基本法と噛み合っていなかったからです。

《教育勅語》には何が書かれているのか? 辻田真佐憲×荻上チキ

上に引用したのは、荻上チキのSession-22にて辻田真佐憲氏をゲストに教育勅語を取り扱った時のことを記録した記事です。

これ以外でも以下の部分が個人的には重要だと思います。

荻上 そもそも「教育勅語」とはどういうものなのでしょうか。教育勅語が生まれた背景・経緯について教えてください。
 
辻田 教育勅語が発布されたのは1890年です。当時の総理大臣である山県有朋の主導のもと、法制官僚の井上毅によって起草されました。この年は日清戦争が始まる4年前になります。つまり、当時の日本は不平等条約があり、いつ植民地にされてもおかしくないくらい弱小の国だったんです。ですから、「世界に冠たる神の国」とか「八紘一宇」とか、大それたことは書かれていません。
 
そもそも、なぜ教育勅語が作られたのかというと、一つは自由民権運動を抑えるためです。教育によって日本の精神を叩き込むことで、政府への反抗を未然に防ごうとしたのです。また、日本は当時、周辺国と大変険悪な関係にあったので、軍事の観点からも国民精神を注入することが有効と考えられました。
 
荻上 当時は大政奉還がされて間もない時代。天皇の権威のもとにもう一度国を作り直そうという意識も色濃くあったということでしょうか。
 
辻田 そうですね。「勅語」というくらいなので、これは天皇からのメッセージという位置付けなんです。
 
当時、西洋の思想を積極的に取り入れようとする啓蒙主義の立場と、それに対抗して、もともと日本にある東洋の道徳を大切にする儒教主義の立場があり、この二つを巡って対立がありました。そのなかで「第三の道」として作られたのが教育勅語だったのです。そのため、儒教的な道徳を説きながらも、「憲法を守りましょう」というような近代的な道徳も含まれています。

荻上 教育勅語は成立した後、日清戦争後も、内容を見直そうという動きはあったのでしょうか。
 
辻田 はい。教育勅語の内容を見てみると、稲田防衛大臣が国会で言及していた「親孝行しなさい」や「兄弟姉妹は仲良くしなさい」など、たしかに現在でも違和感のない内容も含まれてはいます。これらの多くは個人の振る舞いに関する教えでした。日清戦争で勝利して大国の仲間入りをすると、どうしても、より複雑な、社会的な道徳(国際交流、産業振興、女子教育など)が必要になっていきます。
 
そうした意味で、教育勅語は、弱小国だった時代の日本では適切な道徳だったのかもしれませんが、数年後にはすでに疑わしくなっているくらいの内容だったんです。また、成立した当初は台湾や朝鮮など異民族の支配を想定していないという問題もありました。そういう部分を補って、新しいものを作ったほうがいいんじゃないか、という議論はずっとありました。
 
荻上 しかし、教育勅語は天皇の言葉として出されているので、他の人が案を出すこと自体が問題視されそうですね。
 
辻田 はい。実際、それは当時の国会でも議論になり、文部省内で改訂を検討しているとの風聞に対して「不敬だ」といって政府攻撃の材料にされたりしていました。
 
そのため、教育勅語そのものは変えず、別の勅語を出して補う形で日露戦争以降は対応していきました。たとえば日露戦争後に出された「戊申詔書」、第一世界大戦の後に出された「国民精神作興詔書」、あるいは、日中戦争の途中で出された「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などです。
 

また、辻田真佐憲氏は現代ビジネスにも教育勅語について記事を書いています。

(個人的に、『このように「教育勅語」の歴史は、解釈、追加、修正、補完などで覆われていた。』という一文から現行憲法とかを思い出してしまいますが…)

このような、積極的に活用されていた当時の歴史背景や活用状況を顧みて過去の遺物は利用すべきではないでしょうか?
(こんなこと言うなんてすごい保守的だな、と思うのですが、表面上保守が云々とこだわってるのは、最近の杉田水脈関連でも「保守は多様性が」とか言うことからも理解できるように、どちらかというと教育勅語を高評価する稲田朋美氏のような側なんですよね)

少なくとも「勅語」であることをごまかして教育勅語を活用できると考えてしまうのは、ちょっと思慮が浅はかにすぎるのではないかと思ってしまいます。

ちなみに、こんなタイミングで先月に、白澤社から「教育勅語の戦後」という、戦後の様々な誤訳を比較して、何がそこで語られているのかを検証した書籍が出ているのは、すごいと思いました。
ブログから読める「まえがき」に、大畠章宏氏の国会質問が引用されていたことに驚きました)

追記

柴山氏は5日の会見で教育勅語についての認識を問われ、「過去に日本人を戦争に駆り立てた部分もあるかもしれない」としたうえで、「世界中から日本の規律正しさや、お互いを尊重する気持ちが尊敬を集めていると見て取られる部分もある」と発言。「そういう趣旨から、教育勅語そのものを離れ、友人を大切にするという考えは、現在の教育においても通用すると申し上げた」と述べた。


 就任会見で「現代風に解釈され、あるいはアレンジした形で、道徳などに使うことができる」と述べたことについては、「政府のレベルで教育現場に活用を推奨するということではない」と説明。「わが国の先人たちが世界から尊敬され驚嘆されるような道徳を育んできたというのは事実なので、一部の個人、団体がそういうことを踏まえて教育勅語をアレンジした形で教材として使ったり検討したりは十分理解できる」と語った。


 一方、教育は日本国憲法や教育基本法の趣旨を踏まえ、現行の学習指導要領に沿うべきだと述べ、教育勅語の活用は「教育現場で判断すべきだ」と語った。

柴山文科相、教育勅語を「国として検討とは言ってない」

とのことです。

個人的には「わが国の先人たちが世界から尊敬され驚嘆されるような道徳を育んできた」なんて「日本スゴイ」を煽りすぎだと思うんですけど、本当に「先人たちが」育んできたならば、教育勅語なんか引用せずとも、もっと無難な題材なんて歴史を紐解けばいっぱいあるんじゃないですか?

まさか、教育勅語だけが「日本の規律正しさや、お互いを尊重する気持ち」を育てたなんてことはないでしょうし。

それなのに、特定の背景のもと政策で作り出した教育勅語を「アレンジして使う」ことが「検討に値する」として、否定的な見解を述べることを慎重に避けるような回答をするのは、個人的には訝しいな、という感覚を覚えてしまいます。

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