先日、フランスの地方選にて2回選挙の内、第一回で国民戦線が躍進、第二回で社会党が一部選挙区で不出馬、その後国民戦線はどの選挙区でも第一党になれずじまい、という動きがありました。
仏地方選は極右が一転全敗、右派野党優勢・社会党は退潮鮮明| Reuters
この動きに対して色々と反応していたところ、以下のツッコミを見かけました。
フランスでは既成政党の側が選挙協力で国民戦線を斥けるというのは今回が初めてではないどころか、極右が出てくるたびにそうする、というのはシラクさんのときもそうだったし、フランス屋さんには自明なことなのですが(サルコジ除く)、そうではない人には新現象のように受け止められている気がする
— Kazuya ONAKA / 大中 一彌 (@kazouille) 2015, 12月 15
これ、すっかり忘れていたのですが、2002年のフランス大統領選挙にて、ルペンショックという現象が起きていたんですよね。
ルペンショックについて、ざっと纏めてみると、2002年のフランス大統領選挙にて、第一回目の選挙にて、順当に現職大統領の共和国連合のシラクと当時国会で左派連立政権の一角を形成していた社会党のジョスバン首相が決選投票に進むと思われていたのですが、現在は国民戦線から追放されているジャン=マリー・ルペンが社会党の候補を上回り、2位に入ってシラクとルペンの決選投票になったという事象のことを指しています。
(得票率は、シラク19.88%、ルペン16.86%、ジョスバン16.18%。ルペンとジョスバンの差は、約19万票差だった。)
このルペンショックが起きた原因としては、幾つもの理由が挙げられています。
この年、左派政党の大統領候補が非常に多く出馬していて、票割れが起こってしまったこと。これまでの保革共存体制が批判的に見られ既成政党離れを起こしたこと。行政を担っているにもかかわらず社会党が失業者や労働者を保護することが出来なかったこと(移民排斥が労働者保護に見えたこと)。治安悪化に対しジョスバン首相が弱腰と批判されたこと。どうせシラクvsジョスバンの決選投票になるだろうと思った人が決選投票に投票すればいい、と思った2大候補者の支持者たちが第一回目の投票をしなかった説(この年は低投票率だった。)。
これらの幾つもの要素が重なった結果、ジャン=マリー・ルペン氏がまさかの大統領選挙の決選投票に進むという『ショック』が起こったのです。
ルペンショックの結果が出た直後、ルペンに敗れたフランスのジョスバン氏は政界引退を発表。
その後、大規模なルペンの当選阻止を訴えるデモが起きたり、シラクと対立していた左派の支持者の間で『ペテン師に投票せよ、ファシストではなく』という標語が出てきたり、苦渋の選択を示すために鼻を洗濯バサミでつまみつつ投票をしようなどという呼び掛けが起こるなどした結果、投票率が約8%上昇したうえで、シラクが圧勝するという第二回投票の結果となったのです。(得票率 シラク82.21% ルペン17.79% 得票数は約2000万票差となった)
このような保革共存やルペンショックの経験があるからこそ、今回のような社会党が国民戦線の第一党阻止のためにリストを引くという決断が(すんなりと)出来たのかな?と思います。
ただ、国民戦線を阻止して、サルコジをトップとした共和党が躍進するのは左派の支持者の苦々しさがシラク大統領の時と比較にならないような気がしますが。
ちなみに、保革共存体制というのは、フランスでは大統領が指名する首相が、大統領だけでなく議会(下院)に対しても責任を負うという形をとっています。
このため、大統領は、首相が議会から不信任を喰らうなど、色々と議会との関係で混乱するのを避けるために議会の多数派から指名する形を取る場合が多いのです。
この際に、大統領の所属勢力と、議会での多数派勢力が異なる場合があり、それが『革新政党(社会党)の大統領・保守政党(共和国連合・現・共和党)の首相』『保守政党の大統領・革新政党の首相』という組み合わせになることを保革共存(コンビタシオン)という言葉で表されました。
この保革共存という状態は、大統領側としては首相の同意が拒否権行使に必要なため影響力縮小効果が、首相側としては曖昧な役割の中、首相にどこまで協力するのかというポジションの困難さが出てくるようです。
このような中途半端な協力状況を嫌った有権者が、社会党や共和国連合からその他の政党へ支持を流していったともいわれています。
参考にしたページ
フランス大統領選と極右の台頭 [社会ニュース] All About
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