複雑な思い

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今回の二重国籍問題について『法令遵守の観点だ』という指摘に辟易としている。

たしかに根本は法令の問題なのでしょう。しかし、なぜその法令を遵守すべきと考えているかについて、根本に違和感があるのがわたくしだ。

例えば、今後入閣するという噂の三原じゅん子氏が国会で取り上げた際の言及も『国務大臣時代に、選択していなかったこと』に言及していたらしい。

それ以外にも、突っ込んでいる八幡氏は『台湾旅券を使った』だとか、要するに台湾国籍を意図的に残していたのではないか?と突っついていたようだ。

蓮舫氏への二重国籍の指摘は差別問題である、というサンプル
今回、自民党とともに下野しちゃう新聞社などの指摘によりごちゃごちゃしている蓮舫氏の国籍関係の話。 そもそも、この指摘には、豪快な差別意識が根付いている、というのが今回の記事の内容です。 まず、今回の二重国籍だという指摘を始めたのは、アゴラと

要するに、三原じゅん子氏は国籍法の『日本の国籍と外国の国籍を有する人(重国籍者)は,一定の期限までにいずれかの国籍を選択する必要がある』という決まりを大臣時代に守っていなかったことを突っついていたようだ。

色々な法律違反がスキャンダルとして露出するが、では、なぜその法律を守る必要があるのか?ということを本来は考える必要がある。
そして人は無意識にそれを考えて『これはおかしい』『これは別にそんな問題ではない』と考えているのだろうと思う。

で、この『国籍選択』を重視する人間が、どういう意識なのか?
それは今の私には無意識に八幡氏のような考え方をしているようにしか思えないのだ。
それが小野田議員の『国会議員である以上、『日本に命を投じられる』ことを証明しなければならない。私のように海外にルーツがある人間は当然です』という発言につながっているように思うのだ。

小野田紀美議員
個人的に、二重国籍問題についてはどうでもいい話であるということでそこまで言及せず放置していたのですが、問題視する人々は思った以上にずっと根強く蠢いていたようで。 そんな油断をしていた結果、後出しのような言及になってしまいますが、ちょっとだけ

この発言で私は日系アメリカ人への差別などが思い出されてしまうのだ。
日系アメリカ人は様々な差別と偏見に覆われていて、日本とアメリカが戦争になる際には強制収容所に投げられたりもした。
そのような偏見を跳ね飛ばすために、実際に兵士という形で命を投げられることを証明するなどの同化を行った結果、現在の地位を得た、なんて言われている。
敏感すぎる、と言われるかもしれないが。

いくら『問題の本質を「差別」などの言葉で覆い、他のことには触れないのはいかがか』とか『あまりに軽く「差別」が用いられていないか』なんて言われても、個人的には差別の存在を指摘しないわけにはいかないし、過剰になっても仕方ないとすら思う。

また、今回違法だと言われている中で、一番大きいのは『国籍選択宣言』を行っていなかったことだろう。
でも、これは本来、日本国籍を得る手続きを行うことが、その宣言になり得るはずなのではないだろうか?と素人である私は思ってしまうのです。
例えば国籍法には国籍取得要件として『国籍を有せず、又は日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべきこと。』なんて物があるのは、そういうことなのだろう、と思う。

でも、一方で、特別な事情があれば他国籍を失うことが出来なくても日本国籍を取得することを許可できる、ともされている。
要するに蓮舫氏はそっちだったということなのだろう。
そしてそういう人は改めて『国籍選択宣言』として『他の国籍を失ってないのは私の意志ではなく、向こうの国家の事情なのです。私にはどうしようもできません』と宣言することで、国籍を選択したとすることになるのだろう。

一定期間内にやらないと違法なんだ、という形式的な話を蓮舫氏を批判する者はぶつけるが、以下のような実態もある。

「法務大臣は、国籍を選択しない人に対し選択を催告(さいこく)することができます(国籍法15条)。催告されても従わない場合、その人は日本国籍を失います。しかし、これまで法務大臣が催告をしたことは、一度もありません。したがって、二重国籍によって日本国籍を失った人は、1人もいません」
「国籍をなくすとご本人や関係者にとって、大変大きな影響を及ぼすことになるためです」

国籍法では総理大臣でも「二重国籍」は禁じられていない!? 法務省・総務省・内閣官房にIWJが連続取材!~民進党・蓮舫代表代行への執拗な産経の「ヘイト」報道を玉木・前原両陣営が全否定 | IWJ Independent Web Journal

要するに、国籍を無くしてしまうことに直結する可能性のある方法しか、法務省は通知をすることはせず(できず)、そして国籍を無くしてしまうことになりかねないから、国籍選択が必要であることを通知をすることは無い、ということだと思われる。

このような実態を省みるに、やはり国籍選択を怠っていたとしても、それは不注意だった以上のものではなく、様々な事情が重なったミスとしか私には思えないのだ。

その不注意や説明の稚拙さを批判するのは、まだ許容は出来るものの『説明のために戸籍を見せろ』や『『日本に命を投じられる』ことを証明しなければならない』というような粗雑で危うい要求に対しては反発せざるをえないのでは?と思うのだ。

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