アムネスティインターナショナル:「テロとの闘い」における人権侵害
「テロで世界の人権が悪化した1年」、ヒューマン・ライツ・ウォッチが2015年を振り返る
テロ対策が暴走する例がある事は以上のリンク先の話で大体理解できると思うのですが(松本サリン事件での河野義行氏を巡る話もある)、ここではそれ以前の話を。
そもそもなぜ、テロを取り締まるのか?と言うことを考えてみてください。
テロの取り締まりとは、要するに治安対策ですが、そもそもなぜ、国家の治安が大事なのか?と言うことを考えないといけません。
国家の治安が大事な理由って、要するに結果としてその治安が(国民の)人権の確保につながるからでは無いでしょうか?
(ベルギーの首相も『テロとの戦いは同時に、市民の安全と自由のための戦いでもある。』と述べている)
この視点が抜けているままで、テロ取り締まりを行っても、それはテロリストに大義名分を与えるだけなのではないでしょうか?
(日本のさまざまな話しを聞いて理解出来ないならば、中国とウイグルの関係や、中東の混乱を見ると理解しやすいのではないでしょうか)
つまり『テロを取り締まる』と『人権を守る』は本来は、同じ事でないとおかしいのだと私は思います。
つまり、『人権を守る』が暴走するならば、『テロを取り締まる』も暴走するのが、当たり前なのではないでしょうか?
では、なぜそれが別なものになってしまうか、それは国家が人権ではない、国権を守るために人権を犠牲にしている場面がさまざま見られるからでしょう。
そしてそれが『必要悪である』、と考えているのが、冒頭のツイートをするような人なのでしょう。(だから、『テロを取り締まる』が暴走したと認知できないのでしょう。なにがあっても、暴走ではなく、必要悪なのてすから。)
しかし、テロリストが自己の正当性を主張する際に、そのような必要悪がおかしい、という主張がなされるわけです。
そして実際、犠牲になってる方がいるから、テロリストが支持されることがあるわけです。(テロリストだけではなく、レイシストなどにも言えること)
人権保護は暴走するけど、治安対策は暴走しないよね、が導く未来は、テロリストが大手を振って歩く未来でしかないでしょう。
国家は人権保護のために治安維持を行う、それが原点であることを忘れてはいけません。
人権が守られない治安はおかしいのです。
それを修正する努力を絶対に忘れてはいけませんし、ましてや『治安維持には暴走はないけど、人権保護には暴走だらけ』なんて趣旨の言葉を鵜呑みにして、人権保護より治安維持だよね、と二者択一にして片方を捨てることにつながりかねない認識を抱くのはやめてほしいです。
コメント