今更ですが、安田純平氏が、開放されたときに「日本政府が動いたと思われるのは避けたい」という旨を述べた際に「日本政府に助けられたことを認めるのは信条に反しているからこういう事を言っているんだ」とか「恩知らず」みたいな反応が起こっていました。
以下のまとめブログやら右翼系サイトを見ているとそういう反応が見て取れると思います。
http://gyo.tc/1KuaD
しかし、この発言はそういう旨じゃないだろう、ということを今更ながら書いておきたいと思います。
このフジテレビでのインタビューや記者会見での発言を読むと、身代金というのがキーワードとして浮上すると思います。
そして今、安田純平氏が述べているのは「日本政府から対価が渡るのは望んでいない」なんです。
日本側から彼らに対して何かしらの対価が渡るということは、望んでいませんので、今回、引き渡しをされたということで、何か対価が渡ったか渡っていないか分かりませんけども、身柄を引き渡すという形の解放だと、そう見えますよね。
事実関係は分かりませんけど。
そういった形で、とにかく何か対価が渡ったという事実があったとしても、それは望まない形で、対価が渡ることを望んでませんし、そうじゃないのに引き渡されたとなると、そのように見えてしまうということで、やはり、そういう形でないほうがよかったなと思っていまして。
日本政府が動いたと思われたくないというのは、この日本政府が動いたことで、安田純平氏を拘束していた人々に対価が渡ったという因果関係の否定であろうと思うんです。
以下追記
ここらへんについて、記事を書いたあとに、すでにNHKのインタビューで説明していたことを知りました。以下引用です。
そして、解放の直後、取材に対し「望まない解放のされ方だった」などと述べたことについては、「身柄の引き渡しという解放の形は何かしらの対価があったように見え、身代金が支払われたとしたら私はそれは望んでいなかった」と発言の真意を説明していました。
安田さん「紛争地帯 関係ないと思っても実は関係ある」
追記終わり
で、なぜそういう因果関係を否定するかというと、「日本政府が要請したからカタール政府が身代金を支払った」という構図が成立してしまうと、今後、その構図の再現を狙った日本人拉致がその勢力以外の勢力でも行われる可能性が出てくるからだと思うのです。
だから「恩知らず」だどうかではなく、日本政府のご恩を認めてしまうと危うい領域が有って、そのご恩が否定される形を望んでいた、ということなのでしょう。
また、事実以上に日本政府が関わったように見えてしまうのも、同じような危機につながると思われます。
今回の件に関連して産経新聞がテロに屈するなという主張をしているのですが(テロ対策で安保体制を拡充するという主張に沿った形ですが)、安田純平氏はまさに日本政府がテロに屈したという印象を周囲に与えるのを避けたかったのだろうと思うのです。
一方で菅氏は「身代金を払った事実はない」と強調した。テロリストを直接の交渉相手としない。身代金は払わない。これはテロと戦う大原則である。
テロに屈すれば新たなテロを誘発する。身代金は次なるテロの資金となり、日本が脅迫に応じる国と周知されれば、日本人はまた次の誘拐の標的となる。原則は堅持されなくてはならない。
そのような危機を語る言葉に、それに加えて、本人が自己責任を完遂できなかった悔いが乗っかっている(ように見える)というのが、あの言葉の真相なのだろうと思うんです。
それに対して「言葉を選べ」「恩知らず」「そんな事言うなら自己責任をまっとうせよ」というようなバッシングが返されてしまうのは、正直言ってとても危険な反応だと思うのです。
コメント