色々あって、フィギュアスケートのペア競技のカナダ代表であるメーガン・デュハメルが、韓国にて食用として育てられようとしていたミニチュアダックスフンドを昨年に、救出していて、これからも動物保護団体(Humane Society International)と一緒に犬の食肉取引や犬の農場など、犬肉産業をなくすために働きかけをすることを考えている、みたいな内容の記事が雑に翻訳され、それが保守速報などで『これだからあの民族は』と面白がって、蔑み、揶揄をすることに利用されているのを確認しました。
この犬食について、馬鹿にするために語られる際には、まるで全員が、それを文化として肯定していることを前提に『あの民族は野蛮だ』という揶揄をしています。
しかし、犬食を巡る韓国世論はそんなに単純ではなさそうです。(そもそも野蛮だとか揶揄するのも、どうなのか?という話なんですが)
例えば、冒頭の記事を翻訳した記事(翻訳したのは、このブログで『デマ発信者』として取り上げたことのある『ゴゴ通信』)には、意図的にかは不明ですが、この記事にある韓国での犬食の実態や反応について書かれた部分が、一切翻訳されていません。
(ここからは、Googleの翻訳を参考にしつつ訳して読んだことに語るので原文をできるだけ読んでほしいのですが…)
記事の中では、例えば犬食の習慣は最近廃れつつあることや、若者はその習慣に無関心か反対しているのに、高齢者が精力がつくと信じていることとか、ムン・ジェインが食用になる前に保護された犬を飼うことを公約にして実際に飼ったことなどが書かれています。
それ以外にも、オリンピックに向け、犬食の提供を中止したら政府の援助を受けられる形になっていたものの、定期的な客がいなくなるのを恐れて中止されないことが多かった、的なこととか、食用として農場で育てられていた犬を助けて養子縁組する仕組みや、閉鎖農場を援助する仕組みも確立しつつあることなども書いてあります。
このように、記事の中に、結構長く、韓国内での犬食を巡る事情が書かれていたりするのですが、なぜか韓国内の話はゴゴ通信の訳では一切省かれているのです。
(その他、ゴゴ通信は、ソースの提示が、本文の近くにはなく、Google広告と画像を挟んで『ソース』とだけ書かれたリンクで提示されていることも不適切なように思います)
そこで、その他報道を調べたところ、やはり韓国内でも賛否両論あることがわかるニュースが、多々見つかりました。
例えば、中央日報が韓国経済新聞を引用する形で掲載している『韓経:【コラム】消えた犬肉=韓国』というコラムでは、犬食の代表的な料理が、食べられなくなってきていることが書かれています。(コメント欄には日本人の酷いコメントが並んでいます。)
理由としては、動物を伴侶として扱う人が関わってるから増えてきたことや、滋養強壮としては代わりのものが出ていること(サムゲタンやバイアグラ?)、そもそも流通過程が不衛生だったりすることが発覚してきていることなどが挙げられています。
また、同じ中央日報に2010年、『【時視各角】もう一度考える三伏の「犬肉論争」』という、犬が犬食文化のポジティブな理由を挙げつつ、とにかく現在の宙ぶらりんな状態はやめて、政府はハッキリと禁止でも合法化でもやってほしいと嘆く、という体裁の記事が掲載されています。
他にも中央日報が韓国のミシュランガイドが作られた際に内容を紹介している記事を読むと『韓国人の犬肉文化も取り上げた。 ミシュランは「中国・ベトナムでも犬肉を食べ、真夏に農夫がたんぱく質摂取のために犬肉を食べた伝統が伝わっている」と説明した。 続いて「この伝統は現在、韓国で論争中の敏感なテーマ」と伝えた。 』とあります。
また、朴智星に対し『「パク、どこにいても君たちの国では犬を食べただろうが、庶民公共住宅でネズミを食うスカウズ(リバプールの田舎者)よりはましだ」という内容』のチャントが歌われて韓国内で論争になったことを伝える記事でも『また「この機会にイヌ肉を食べる文化をなくそう」という側と「固有の食文化を自分たちの定規に捐下するな」という側が「イヌ肉論争」をした。』と論争が起きていることが伝えられています。
また、2008年にソウル市が食品安全基準を定めるために、犬を食用家畜に分類する方針を示した際には、強い抗議デモが行われています。
一方、今年AFPが配信した記事では、犬食廃止について、どういう反発が起こっているのかが載せられています。
曰く『欧米の偽善だと非難する人がいる』や「私は犬は食べない。でも、愛らしくて人懐こい動物だけが生きる権利があるなどと欧米人から説教されるのにはうんざりする」、「(活動家が犬食廃止を推進するのは)豚や牛を救うプロジェクトでは支援者が盛り上がってくれないからだ。そうした動物だって犬と同じくらい苦しむだろうし、同じくらい愛情を示すこともできる」というような意見があるそうだ。(東洋経済オンラインの『韓国と中国の「犬を食べる文化」は悪なのか 犬肉料理を振る舞う地域を実際に回ってみた 』は真ん中の意見に近い結論が出ているように思う。
また、廃業した方が「養犬業に未来はない」「やりくりにも苦労していたうえに四六時中、動物愛護団体からの嫌がらせもあった。面倒なことだらけだ」と語っています。
ここまでの内容で、私はある日本の問題を思い出しました。
それは捕鯨問題です。
捕鯨問題で日本は似たような感じになっているような気がしたんです。
すると、以下のような記述のある記事を見つけました。
足掛け6年かかって完成した私の映画『おクジラさま ふたつの正義の物語』は、去年10月、韓国の釜山(プサン)国際映画祭で世界初公開を迎えた。釜山の近くには、かつての捕鯨基地・蔚山(ウルサン)があり、韓国は犬を食べることで動物愛護団体の非難のターゲットになっていることもあり、観客の反応はおおむね太地町に同情的なものが多かった。
やはり、動物愛護的な観点で特有の文化が批判されているという認識で、捕鯨問題と犬食問題は共通した認識が一定程度持てるようです。
つまり、韓国の犬食問題を考える際には、日本の捕鯨問題も似たようなものとして考えないといけないのではないか、と私は思うのです。
韓国を揶揄したがる人は、一方で捕鯨問題に対しては活動家を揶揄する立場の人がほとんどだと思いますが、そういう捕鯨問題で『文化』といったりしているような、ものの背景を考えずに、シンプルに『犬食は野蛮』としてしまうと、翻って『捕鯨は野蛮』ということを認めることになりかねないと思います。
一方で、そういう人たちは、結局は、何がどうあろうが、『朝鮮民族は野蛮』というヘイトスピーチの材料となるレッテルを貼れればいいのだろうとも思ってしまいますが…
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