昔は冗談にも『金バッチ、銀バッチ』なんて言われたが、国会議員たるもの選挙区であろうが比例であろうが国家国民のために尽くすのが本分。党利党略に囚われ、衆議院議員を辞職して衆議院議員に立候補する。比例復活するのは今回の影の主役の弟分。こんなの許したらあかん!維新の森なつえを!
— 飯田 哲史 いいだ さとし (@satoshi_iida) 2016年4月12日
日本のこころを大切にする党の中野正志幹事長は17日の定例会見で、4月の衆院京都3区補選に民主党現職の泉健太氏(比例近畿)が議員辞職して立候補する意向を示したことに「辞めて同じバッジを着け直すのはおかしい」と批判した。
京都3区の補選で、自民党票を奪いにかかっているおおさか維新と日本のこころを大切にする党が、揃って泉健太氏のくら替え出馬を批判しているようです。
このくら替え出馬批判論は以下に例を上げるようにこれまでも何度かいろんな政党によって繰り返されているようですが、基本的に今回の批判に関してはアホくさい批判だなぁ、と思います。
町村局長は、比例区から選挙区鞍替えを最も批判していた民主党が今回、前回敗れたこの選挙区でも議員を辞め立候補したことは選挙民を愚弄すにも甚だしく、党利党略以外のなにものでもない。
(以下略)」
安倍氏は記者会見で「比例代表で当選しようが、小選挙区で当選しようが同じ議員として同じ権限と責任がある」と指摘。木下氏が昨年11月の衆院選で同区から出馬し敗北、比例代表で復活当選したのは「国民の審判の結果」で、今回の出馬はそれに背くことになるとの認識を示した。
【補選に】町村信孝 総合スレッド【通ろうZE】 (町村氏が比例復活から補選にくら替え出馬した時のスレッド)
塩崎さんの場合、衆院からの転出という形で一区から出馬し、関谷氏が参院補選に回りました。野党による「鞍替え批判」は選挙に影響しましたか。また、塩崎、関谷両陣営の選挙協力の手応えは
まずひとこと言いたいのは『「比例代表で当選しようが、小選挙区で当選しようが同じ議員として同じ権限と責任がある」』という、現総理大臣が幹事長時代に述べたと報じられている言葉、これ、間違った認識ですよね?
同じ議員として同じ権限と表現していますが、比例当選者と小選挙区当選者では、明確に権限が違う部分があります。それは制度設計としてきちんと目的を持って作られた権限の違いです。
それは『他党への移籍の制限』です。
比例代表で当選した場合、その当選した選挙で同じ比例区に名簿を提出していた政党には、その後移籍することは出来ません。一方で、小選挙区で当選した場合は、同じ選挙区に他に公認候補を立てていた政党でも自由に移籍することが可能です。
ここから読み取れる考え方は『比例区で当選したら、その党に議席が割り振られたと考えるべきで、それが他党に移るのはおかしい』というものでしょう。
この移籍制限が作られたきっかけとなる議論が始まったのは、福祉党の比例区で当選した八代英太氏が自民党に移籍して、福祉党は比例区で議席を確保したのに、議席0になってしまったという出来事だったらしいのですが、この例を考えても分かるように、比例区で当選するということは、明らかに選挙区での当選とは別の責任や権限が与えられるはずだ、という事が前提になっているように思うのです。
というわけで、比例区で当選した人と、小選挙区で当選した人とでは権限が違いますし、自ずと責任も変わってきます。
小選挙区で当選した人間のほうは離党の自由があり、さらに言えば、本人の意思を貫く責任がある、といえます。
一方で比例区で当選した人は、政党名で当選しているので、政党に尽くすことが前提となり、本人の意思より政党の意思決定を優先する責任がある、といえるのではないでしょうか?
しかし、日本の比例区はこのようにシンプルに比例区当選者の責任を考えることは出来ません。それは制度がそのようなシンプルな形になっていないからです。
例えば衆議院の比例区の場合、当選に候補者の小選挙区での惜敗率が関係してきたり、参議院の比例区では、本人名での得票数が当選に関わってきます。
つまり、比例区が政党重視の仕組みと個人重視の仕組みのハイブリッドとなっているのです。
それが、「比例代表で当選しようが、小選挙区で当選しようが同じ議員として同じ権限と責任がある」という錯覚を生み出す原因だと私は思います。
そして、今回の泉健太氏の件も、このハイブリッドが大きな原因になった事故だと個人的に思っています。
中野正志議員が『俺は批判されたのに』みたいなこと言ってますが、実際中野正志氏の選挙区、補選で比例復活した自身が出ずに新しい候補を出した後に、色々面倒くさいことになってるじゃないですか。
(本人はさも鞍替え批判されたから断念したかのように言っていますが、それまでの選挙結果を見るに、直近2回を接戦で落としていたので、そもそも当選できると信用されていなかったのでは?としか言い様がないんですが・・・)
同じ選挙区を地盤とする候補者が一つの党で共存する際に発生するコスタリカ方式という形は非常に特殊な措置であって、それを使用している自民党すら解消したいと述べる程度に面倒くさい関係が発生する形です。
(コスタリカ方式:同じ政党から競合する候補者が存在する選挙区において1人を小選挙区に、もう1人を比例区に単独で立候補させ選挙毎にこれを交代させるという方法)
個人的にも、コスタリカ方式というのはおかしいと思うので、1選挙区1候補という形式を政党は守ったほうが良いと思うわけです。(党利党略だけでなく、有権者へのわかり易さにも繋がる)
で、それを守るためには、比例復活という制度があるかぎり、比例復活当選した方が自分の選挙区で補選が行われるときには辞職して出馬することが必要になるわけです。
これは『国民のためになる党利党略』と言えるものなのではないでしょうか?
そもそも党利党略と国民のためになる事が相違している場合が『党利党略批判』を浴びせる事が出来る条件ですが、党利党略と国民のためになる事が合致する場合というのも当然あるわけです。そしてそれがこんかいのような鞍替え出馬だと思います。
(一方で衆議院議員が参議院選挙に鞍替えするとか、そういうのは意味分かんないですが。)
今回のような鞍替え出馬を批判してしまうと、いろんな選挙区でわかりにくい事態が発生し、それこそ有権者を置き去りにした党内政治を活性化させることにつながりかねないわけです。
そのようなことを防ぐのは当然だと思うんですけど、そういう事を批判してしまうのは、どうしようもない『党利党略に囚われ』た結果ではないのでしょうか?
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