原発再稼働差し止め仮処分批判の感情論

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某県知事が高浜原発再稼働差し止め仮処分を「これなら自動車(利用)の差し止め請求もできるのではないか」「なんで原発だけ絶対の神様みたいな話になるのか」「(裁判長が原発の)技術について、そんなに知っているはずがない。裁判長はある意味で謙虚でなければならない」と批判しているという。
よく原発反対は感情論なんていわれるが、この裁判批判も感情論をそれっぽい理屈で誤魔化しているに過ぎないのではないか?と思う。

まず自動車利用差し止めをしたいなら、自動車が具体的に誰が運転主体で、誰の権利を侵害しているのかを立証すればいいのです。
それができるなら自動車利用差し止めもできるのは当然でしょう。
ただ、自動車での明確な権利侵害の危険性は運転手がよほど前科があったりしない限り、なかなか立証不可能な気がしますが。
(実際、自動車利用差し止めより、自動車通行止め区域設定の方が原発再稼働差し止めのやり取りに近い気がしますが、それはまた別な話)

「なんで原発だけ絶対の神様みたいな話になるのか」ってそれだけ原発が事故を起こしたときの影響が大きいからに決まってるじゃないですか?
さらに言えば、原発だけでなく原子力施設全般はそういう話になるでしょう、日本は原子力施設の中でも原発が目立つからこうなってるだけで。

「技術について、そんなに知っているはずがない。裁判長はある意味で謙虚でなければならない」これを言ってしまうと政治も介入できず、会社に全ての権限を渡す、電力会社の独裁状態になってしまいかねません。
技術についてそんなに知らなくても、設備稼働関連の判断が出来るようにしないと、民主主義下の企業として危ういと思うのですが、これは価値判断が別れるところかもしれませんね。

とにかく、この某県知事の原発再稼働差し止め仮処分批判は非常に筋悪で、再稼働差し止めへの反発感情ありきとしか思えません。
こういう雑な論を無視して「原発反対」だけ感情論と言い募るのは相互理解を阻む非常に悪質な主張だと思うのですが・・・

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