『嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』で自分のエゴに気付いた。

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先日、『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦 』を友人宅で見ました。私は『感動できる映画』と覚えていて、その場にいたもう一人の男性も『大好きな映画』と評価していたのですが、実際に見た後、その場にいた女性二人が釈然としない表情でエンディングを迎えていました。

なぜだ?と疑問に思い聞いてみたところ、思わず自分の視野の狭さを思い知らされる回答が返ってきたのです。それは『アレは男のエゴだ』というものでした。

 

詳しく解説します。

まず、嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦のあらすじを説明します。

『しんちゃんが戦国時代にタイムスリップをして、そこで死ぬはずだった春日の国の武士、井尻又兵衛由俊の命を偶然救って延命してしまう。そして進展のなかった井尻又兵衛由俊と廉姫の恋が進展するが、廉姫には春日の国の隣の大名、大蔵井高虎への政略結婚の話があり、更に元々の身分の違いもあるために結ばれることが出来ない。そんななか、春日の国の殿様はタイムスリップをしたしんちゃんたちから未来ではどの国も滅ぼされることを聞き、政略結婚を破談させる。そこで春日の国に大蔵井が攻めてくるも、野原家の活躍により撃退。ようやく平和になると思ったが、何者かの銃弾により井尻又兵衛由俊は想いを廉姫に伝えることが出来ずに亡くなってしまった』というもの。

私はこの想いを伝えられないまま亡くなってしまった井尻又兵衛由俊の方に視点を置いて、共感していた。しかし女性陣は廉姫の方に視点をおき、『想ってる人に勝手に死なれて、今後の生活が辛いだけじゃないか。実際はあんなに廉姫のようにあっさり想い人が死んじゃった事を受け入れられるわけ無いし、想い続けるなんて出来ない。』というような事を感じたようです。

要するにこの作品を『いい作品』と呑気に受け入れるためには、死んでその場で人生が終わってしまう側(井尻又兵衛由俊、男側)の方に自然に視点を合わせられるようになっていないといけなくて、残される側、これからも人生が続く側(廉姫、女側)に視点を合わせてしまう人には、非常に釈然としない、辛いだけのエンディングであるというのです。

私はこの事実に初めて気づきました。正直言ってショックでした。相手の想いを受け止めずに、勝手に相手を守ることが出来た、と自己満足して死んでいくこと。それを死んでいく側に自分をおいて一方的に『いい話』として受け止めてしまっていたことに。

 

今回、このことに初めて気付けて、本当に良かったと思っています。勝手に自己満足している事に気付けたのですから。同じことをして自己満足しないように、これからは気をつけていこうと思います。

 

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