別な記事で私は『個人的にはヘイトスピーチはヘイトスピーチ、LGBT差別はLGBT差別、障害者差別は障害者差別、という感じで、問題意識や問題視する人が共通していたとしても、対処方法が違うというか、問題の根っこにあるものが違う気がしている』と書きました(大阪市の条例でのヘイトスピーチの定義 | 興味乱舞に引きこもれず)
そう書いた後、Twitterで以下の日経新聞の記事を見つけました。
「日本人の精神文化で一番良いのは寛容の精神だ。日本人らしい寛容の精神で取り組んでいく」。昨年春に発足した超党派の「LGBTに関する課題を考える議員連盟」の会長を務める馳浩文部科学相(54)は力説する。
いくら別問題だからって、ヘイトスピーチに繋がりそうな、よくわかんない『日本人らしさ』でLGBT施策を進められても困るんですよね。
(こんなことになることからも『問題の根っこにあるものが違う』のがわかるのではないでしょうか?)
しかも寛容の精神って、少なくとも日本社会としてどのように寛容が表現されているかといえば、
ホームレスは『えんがちょ扱い』で公園やベンチ(公共)から追い出され
生活保護受給者(年金受給者も)は、金の使い方をいちいち監視され
在日外国人はヘイトスピーチに晒され
外国人技能実習生は安く使われ
一部の日本人労働者もワンオペだなんだと安く叩かれ
村八分だ、部落だという概念が普通に存在していた(している)。
このように寛容というものはあっさり崩れていて、そこにあるのは『受け入れても構わないものを受け入れるだけ』の態度かつ『不都合なものはさっさと排除する』ような態度です。そんなものが寛容ならば、ISISなんて素晴らしく寛容であると言えるのではないでしょうか?
こんな架空の『日本人の精神文化』なるものを信じている人が、日本政府の文部科学大臣として、道徳を推進し、LGBTへの“寛容”を推進するというのは、非常に危ういです。
(個人的に寛容というのは、非常に危ういもので、崩れ去ることで『ヘイトスピーチ』のような差別や憎悪を煽る表現が出まわる、時限爆弾のようなものなのではないか、と思っています。)
残念ですが、安倍政権下では、変な形でLGBTへの施策などがまとまらないように、推進に抵抗していくことが必要になってしまうかもしれません。
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