日本経済新聞社が単行本版を2004年に出版した「働くということ」という本を読んでいる。
この書籍の中に『だが、均等法の「男女平等」は会社という閉じた組織の中では建前に過ぎなかった』という記述がある。
この記述の前後には、とある女性が、これまで色々な事を我慢してバリバリ働いてきたのに、新しい社長が役職女性を疎んじる人間だったがために仕事も与えられず、挙句理不尽な退職勧告をされ、役職降格をされてしまう事象が描写されている。そして男性と比べて女性総合職の方に待遇(昇進や給与)に差が出ているということを確認している。
この記述に私は強い違和感を抱いた。
建前とは何か
建前とは、goo辞書によると「原則として立てている方針。表向きの考え。」だ。
もう一度強調するが「原則として立てている方針。表向きの考え。」だ。
本当に『建前に過ぎなかった』のか?
この場面では女性は仕事を与えないという“社長の方針”や「退職勧告」「降格」という態度を明らかに表向きに採られている。
つまり表向きに考えがはっきりと出ていたのは「男女平等」とは全く逆なものではないだろうか。
つまり『だが、均等法の「男女平等」は会社という閉じた組織の中では建前に過ぎなかった』とこの場面で記述するのは間違いで、『だが、均等法の「男女平等」は会社という閉じた組織の中では建前にすらならなかった』とするのが正しいのではないだろうか?
こういう例で『建前に過ぎなかった』と書いてしまうのは、建前を薄っぺらいものにしすぎてしまうのではないだろうか?
もっと建前というのは、表向きはしっかりと構築されているものを指す言葉だったのではないだろうか、と感覚的に今は考えてしまう。
結論
今回の例の他にも『建前にすぎない』というのは普段から常套句として様々な場面で出てきているように記憶している。
しかし、やはりほとんどの場面で『建前にすらなっていなかった』ものが『建前にすぎない』とされてしまっているのではなかろうか。
こういうところの『建前』の見直し作業が、必要なのではないか、と思った。
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