麻生財務大臣、25日は国会で報道批判です。
麻生財務大臣:「『セクハラ罪はない』と言ったはずが、セクハラと罪の間にコンマ付けて『セクハラ、罪はない』というような書き方をされたり、色々、ねじ曲げて伝えられたのは甚だ残念。ふざけた記事の作り方だと思いました」
麻生大臣は「セクハラ罪という罪はない」という発言について問われ、「セクハラ罪は法律的にはない」と今までの主張を繰り返し、マスコミの報道ぶりに問題があるという考えを示しました。また、野党側から「セクハラ罪がなければ作るべきでは?」と問われた麻生大臣は「最初からセクハラに関しては事実ならアウトだと表現していた」と話しました。
麻生大臣自身がセクハラをアウトだと思っているかどうかについては、本人がセクハラを問題だと思っているからこそ、より一層、一連の言動が酷いものとなるのではないでしょうか。
ハニートラップ説を持ち出してみたり
名乗り出ないと対処しないという脅しのようなことを言ってみたり
名乗り出にくいのではという指摘に「福田の人権は“なし”ってわけですか」とわざわざ反論し
テレビ朝日からの抗議文に対し「もう少し大きな字で書いてもらった方が見やすいなと思った程度に読んだ」と茶化し文句を交えた感想を述べ
そして福田氏の辞任理由について述べる際に、その辞任をある種の処分とした上で「セクハラ罪という罪はない」と述べ始めるわけです。
私が書いた上記の別の記事でも述べたのですが、省庁内の処分理由と刑法の内容は合致させる必要はあるとは思えません。
つまり省庁が省庁で独自に「セクハラとはなにか」と判断する余地はあるわけです。
そこでわざわざ「セクハラ罪という罪はない」述べるということは、すなわち省庁の意思としてセクハラ行為は犯罪にならない限り存在したと認めないという主張であるとしか思えないのです。
一方で、財務省として、これら発言が出てくる以前に大臣官房長記者会見にて、「セクハラ行為があったと判断をして処分を行う」旨が述べられていました。
犯罪であるかとはもちろん関係なく。
このようにセクハラに関して判断できる状態にあった(と思われていた)にもかかわらず、判断することを、被害者側に責任転嫁をするかのような言動などにより、露骨に避けていたことが、麻生大臣が批判されていた一番の原因ではなかったのではないかと思います。
そして、判断することを避けたという事実に「悪い行為だとわかっていた」という事実が付け足されたほうがより悪質な悪意に基づいた行為であるということになるのではないでしょうか?
セクハラ認定に慎重な判断が必要というのならば、その主張をする言動も慎重な言動になるべきであり、被害者に刃が向くような言動は行うべきではないという話なのではないでしょうか?
それをマスコミ批判でお茶を濁すのは、依然として、悪意を持って批判避けをしているとしか私には思えません。
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