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『信じる』には意味の混線が発生している

2015/11/06 全期間:32views   直近一週間:views  直近一ヶ月:views

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(このツイートは、実際の番組にて有ったやりとりではなく、あるあるネタみたいな感じでツイートしたものだということを本人がツイートしています)

どうもこのツイート、『そうだそうだ!』みたいな感じでリツイートされているようなのですが、私には違和感があったので書き残しておきます。

このツイートでは「いずれにしても〇〇が懸念されます』という締めについて『信じる気がないなら聞くな』と批判しています。そしてその後のツイートではこのやりとりを『珍妙な会話』と称しています。

しかし、私はこのやりとりが『信じる気がない』と見るのはおかしいと思うのです。そして『珍妙な』ではない、普通のやりとりであると私は思うのです。

 

まず『懸念』という言葉の意味は『気になって心から離れないこと。気がかり。心配。』です。

この意味の文面からわかるように、「どうしても気になってしまう」というニュアンスなのです。専門家が一言、意見を述べただけで、それを信じてそれまでどうしても気になってしまっていた事が、急に『懸念無くなった!』なんてスッキリしちゃうようなニュース番組は『池上彰のニュースそうだったのか!!』みたいな池上さんの番組以下の薄っぺらい番組に成り果てるでしょう(池上さんだって、数十分ニュースについて説明している一方、普段の報道番組で専門家が数十分コメントしているわけもなく)

 

懸念を解消するためにはどれだけ時間がかかるかは話題によって違います。

このツイートで言われているような『今回の地震と3.11との関連』なんてものは(多分)複雑怪奇なメカニズムが背景にあるわけで、それに関する情報を信じるためにはそのメカニズムをある程度理解しないといけないように思います。

一方でそんなメカニズムを説明するまでの時間(数十分以上)はないけれど、ニュースとしてはできるだけいろんな情報を纏めて扱いたい。そうなった場合に『専門家のコメント』というのは、一つの参考材料にはなりえるものとして扱われるでしょう。

その場では『懸念解消』とまでは行かないが、その後に他の場所で懸念解消のための材料を見るときの参考になりえるというか。その専門家の言葉がフックになって何らかの他の情報がひっかかることがある可能性がある情報という価値があると思います。

そういう意味で、専門家にコメントを聞きながら『懸念されます』というコメントを残すことについて『信じる気がないなら聞くな』というのは間違いだと思うんです。信じる気があるし、その専門家のことを信じているけど、やはり『懸念してしまう』ということはありえるのです。

 

これは余計なことなんですが、最近『信ずる』という事が薄っぺらい感じになっているなぁ、と思います。何かを信じるということが、あまりにも容易なことだと考えられてしまっている。だから『専門家を信じろ』と当たり前のように容易に言えてしまう。

で、なんでそんなに容易に『信じろ』と言えてしまう、信ずることを容易なことだと考えてしまっているように私が感じているかというと、『信ずる段階』についての認識が相違しているからなのだろうと思います。(この発想は『Believeの意味と使い方。日本語の信じるとはちょっとずれた感覚。』という記事を読んで浮かびました)

要するに『考えている』レベルで『信じている』というのか、『間違いない』というレベルを『信じている』というのか、その前提の混線が『信ずる』という言葉にはあるように思うのです。

冒頭のツイートでは、この2つが混線している事がはっきりと分かる例のように思います。

専門家がちょっとコメントした程度では、それを聞いた人にとっては『考えている』レベルの影響しか与えられないと思います。で、『こう考えているけど、まだ確定ではない』という意味で『懸念されます』という言葉は成り立っていると思うのです。

でも、その『信じる』の中にある『考えている』と『間違いない』を混同しているまま、『信じる』という概念を使ってしまうと、懸念という言葉を『信じる気がない』と非難してしまうのです。

個人的には信じるという言葉は『間違いない』の段階を示す言葉で、『考えている』という段階を含めるのは良くない傾向だと思うのですが、この発想の元になった記事では『「信じる」と「間違いないと思う」の2つの使い方』とあり、私が薄っぺらいと思ったほうが『信じる』の意味で使われて、そうじゃないほうが信じるから除外されているようです。

一方で、辞書的な意味では『信ずる』は「そのことを本当だと思う。疑わずに、そうだと思い込む。」「信用する。信頼する。」という重い意味が付されていました。

やはり『信ずる』には混線が発生しているようです。

個人的に、震災以降の専門家関連のやりとりとか報道関係のやりとりで、この混線によって幾つか埋まらない溝ができている部分もある気がするので、この混線に敏感になってくれる人が増えたらいいなぁ、と思いました。

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