生活保護不正受給の話を利用して日本人の教育の話をしていた高市早苗

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高市早苗氏が自民党総裁選について、正式に立候補表明したようです。

高市氏は「国の究極の使命は、国民の皆様の生命と財産を守り抜くこと、領土、領海、領空、資源を守り抜くこと、そして国家の主権と名誉を守り抜くことだと考えている。その使命を果たすために、私のすべてをかけて働くことをお誓い申し上げる」と述べた。

高市早苗氏が正式に出馬表明「私のすべてをかけ働く」 自民総裁選 | 毎日新聞

この「国の究極の使命は…」から始まる言葉で3つの使命が提示されています。

  • 国民の皆様の生命と財産を守り抜くこと
  • 領土、領海、領空、資源を守り抜くこと
  • 国家の主権と名誉を守り抜くこと

この中で高市早苗氏のような安倍晋三氏に近い右翼が一番大事にしているのは『国家の主権と名誉を守り抜くこと』であるでしょう。

この『国家の主権と名誉を守り抜くこと』はある程度は大事だろうが、この概念をきっかけに、国家の名誉を守り抜くのために失政を認められない政権だったり、国家の名誉を守り抜くために批判を聞き入れない政権が生み出されていたような気がしてなりません。

(今回不出馬に追い込まれた総理も、官房長官時代に『ご指摘は当たらない』などと批判を突っぱねていたことも功績となり総理にまでのし上がったわけで)

そして、この国の使命は、「国民の皆様の生命と財産を守り抜く」ことが、『国家の名誉のために生かしておいてやる』程度になったり『国家の名誉のために国民の生命の危機を知らんふりする』『国家の名誉のために生命を守れなかったことを認めない』ことにつながる可能性が高いのではないでしょうか。

その萌芽は民主党政権時代の生活保護バッシングの流れでの高市早苗氏の発言から見えてきます。

 「国民としての義務と責任」よりも「個人の権利と自由」が重んじられるようになり、その結果、昨今では「他人に過度の負担をかけても、自分だけは得をしたい」「国家や社会に迷惑をかけても、自分の権利を貫きたい」という考え方を持つ人の行動が目に余るようになってきました。

(中略)

弱者のフリをしている人に貴重な税金を浪費されることによって真に福祉が必要な方々を支援するための財源が不足することを防ぐためにも、真面目に納税義務を果たしている個人や企業のモチベーションが下がることを避けるためにも、かつて安倍内閣が訴えていた「福祉から就労へ」という理念を再評価して、政策の軸足を移す必要があると考えます。

今こそ、日本人が「自立と勤勉の倫理」を取り戻すべき時であり、その鍵は家庭教育にあると思います。

「美しく強い日本」へ②:自立と勤勉の倫理 | 5期目だ!野党だ!!永田町通信 平成21年10月~平成24年12月 | コラム | 高市早苗(たかいちさなえ)

『国民としての義務と責任』をみたしてあること。それが『国が国民の生命と財産を守り抜く』ための前提であるようなことが察せられるような言動のように見えます。

ちなみに、このブログの記述に関連する話についてTBSの膳場氏が記者会見で質問をしたようです。

膳場アナは「こんばんは」と早口で応じたあと、「政権構想では、経済的な弱者や格差の解消にほとんど言及されていないので、どういうお考えなのか是非、おうかがいしたいと思います」と質問すると見せかけ、「ちなみに、高市さんは2012年の『創生』日本の研修会で、社会保障を考える文脈でこういうことをおっしゃってます」と続けた。

 そこから「『さもしい顔をしてもらえるものはもらおうとか、弱者のフリをして、少しでも得をしようと、そんな国民ばかりいたら日本が滅びる』こういう風に発言してらっしゃいます。あの、困窮する国民をどういう目でみてらっしゃるのか、確認をさせてください。その上で、この発言について弱者への視点が欠けている不安、批判の声があるが、どう受け止めているか聞かせて下さい」と迫った。

膳場貴子アナ戦闘態勢で痛烈質問 高市早苗氏笑顔消え「これが私」

この質問に対して、あくまでも生活保護の不正受給について述べたものであり、一般論ではないというような内容を高市早苗氏は返答したようで、それを元に高市早苗支持者がヤフーニュースのコメント欄で暴れているようなのですが、『困窮する国民をどういう目でみてらっしゃるのか』という質問にたいして、全く疑問が解消されない答えであるように思います。

生活保護不正受給にたいして厳しく見ていたことから、自然と福祉全般の利用者(つまり困窮した人)について『「他人に過度の負担をかけても、自分だけは得をしたい」「国家や社会に迷惑をかけても、自分の権利を貫きたい」という考え方を持つ人』ではないのかと疑うなど、困窮者に対して自立心と勤勉さが足りない人間だと見ることが考え方の基本となっているのではないか?ということが『困窮する国民をどういう目でみてらっしゃるのか』という質問が出てきた理由なのではないでしょうか。

引用したブログ記事の構成が、生活保護受給の話から、『(3交代制の職場や農作業の職場に)失業中の若者たちに就労を勧めたのですが、「早起きは無理」「週休2日でないから嫌だ」と断られる始末でした。』という職選びをする若者を批判する記述を経由しながら、日本人に家庭教育が必要だという一般論に繋げる流れとなっていることからも、この生活保護不正受給にたいしての視線が、一般論につながっている話であることがわかると思います。

民主党政権のように福祉を充実させたら、モラルハザード「他人に過度の負担をかけても、自分だけは得をしたい」「国家や社会に迷惑をかけても、自分の権利を貫きたい」国民が多数いると思っていたから、『日本人が「自立と勤勉の倫理」を取り戻すべき時であり、その鍵は家庭教育にあると思います。』と述べていたのではないのでしょうか?

こういう、福祉利用者全般、つまり困窮している人を「弱者のふりをしているのでは?」「自立心が足りないのでは?」という疑いの視線や「真面目に納税義務を果たしている個人や企業のモチベーションを下げる人」と見ているのではないか?、という疑問は、『税金なので福祉は公正・公平であるべき。』という原理原則論のようなものでは払拭できないどころか、その疑問に無反論であるという解釈しかできません。

困窮者について、「生命を守る」対象ではなく国家の邪魔だと思っているのではないか?という疑問は、まさに民主党政権時代の自民党の生活保護不正受給事例を利用した生活保護バッシングと言える言動にたいして思っていたことです。

そして、その渦中にいた高市早苗氏の言動(とそれを受けたヤフーニュースのコメント欄)を見るに、やはりそういう懸念は正しく、右翼政権では国家財政に負担をかけない都合のいい困窮者しか助ける意思を示さないでしょう。

その結果起こるのは、極端に言うと水際作戦に対応できる人だけが福祉を受けられる未来です。それは、高市早苗氏が嘆く、権利を主張する人ばかりが得をするケースと「矜持や遠慮から、我慢をし過ぎて命を落としてしまわれるケース」が増えていく未来だとしか言いようがありません。

そういう感じで、状況を自ら作り上げながら嘆き続ける右翼の方々はどれだけ自民党にいるのでしょうか。

『美しく、強く、成長する国』にとって邪魔になるであろう一人の人間として、高市早苗氏がどれだけ票を集めるのか注目しています。

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