「現実派vs妄想派」の戦争が始まるようで

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なんかこんな感じで、戦争始まってるみたいな認識のようで、そういう認識でのプロパガンダとして「PCR検査で儲けている」という陰謀論のようなものが流行っているように思います。

その「陰謀論に打ち勝つ方針」は、

社会の対決軸を、

「左vs右」から「現実派vs妄想派」へとシフトさせていくこと

・・・なんですよね。

荻野昇氏が引用している記事はこんなこと言ってる記事なんですが、この記事で書には陰謀論がなぜ生まれるかの理由として以下のように書いています

「陰謀論がなぜ生まれるのか」っていうと、要するに世界を「敵と味方」に分けて見て、

「敵側に属する人間が言っているマトモな意見より、味方が言っているアホすぎる意見の方を徹底的に褒めたい」

みたいな気持ちが溢れかえっているからなんですよね。

「敵側に属する人間が言っているマトモな意見より、味方が言っているアホすぎる意見の方を徹底的に褒めたい」からだそうです。

私は『敵側の人間が言っているあほな意見を徹底的に批判することに集中していった結果』だと思っているのですが、その結果「敵側に属する人間が言っているマトモな意見より、味方が言っているアホすぎる意見の方を徹底的に褒めた」くなって陰謀論行き、ということなのでしょうか。

以下のツイートがそういう構図のいい例のように私は思うのですが、どうも陰謀論に納得してる人が多い気がして恐ろしいですね。

他の記事では「内容が「良い提案を作る」ことよりも「反対者を論破する」ことに集中していくこと」による不幸に触れているので、これもそういう話なのでしょう。

で、荻野氏が引用した記事はこういう提案をします。

「右や左といった党派性」が力を持つのは、簡単に「正しい俺たちvs邪悪なアイツら」的な構図に持ち込めてしまうからだ・・・という分析がよくされますよね?

だから私は、

社会を陰謀論の蔓延から救うには、毒を持って毒を制するというか、私たちも積極的に「俺たちvsアイツら論法」で対抗していくしかない

と思っています。

といって、党派性の組み換えをしましょうなんて言っているんですけど、この記事を書いた方は別な記事ではこう書いているんですよね。

「徹底的に排外主義でイッちゃってるタイプの一部の安倍氏の支持者とかトランプ氏の支持者」

は無視してもいいけど、

この記事で書いたような「民衆が安倍氏に対して望んだ切なる願い」

を断罪して悦にいってるようじゃリベラルの未来は暗いぜってことです。

リベラルがやるべきことは安倍氏を罵倒して溜飲を下げることではなく、「リベラルが取りこぼしているもの」をいかに包摂できるか真摯に向き合うこと|倉本圭造|note

こんなことを書いて「「正しきことをしている」という感覚がゆえの不寛容さ」について警句を発しているんですけど、それを「毒を以て毒を制す」なんていって「現実派」という党派性を作り上げたところで、これと同じ「「正しきことをしている」という感覚がゆえの不寛容さ」によりダイレクトにつながるだけなのではというか、それこそ毒が毒として機能するだけなんじゃないんですかね。

『見た感じ「寛容」に振る舞いつつ、「自分たちの側の価値観が正しい、相手は間違っている」という感覚に全然疑念がない感じが凄い危うい感じ?』とリベラルについて何度も批判しているのですが、「現実派」もそういう勢力をつくるだけでしょうね、とどういう人がどういう認識で記事をツイートしているかから予想します。

倉本氏は以下のように書いているんです。

この図のような状況を「保とうとみんなが努力する」ことは、例えば異端者を弾圧する・・・みたいなことじゃないんですよね。

「シグナルとしての異端者」みたいな人たちとの感情的共感は維持しつつも、現実問題は現実的な責任感のある人達の間で寄り集まってグリップできるようにしていくことが大事なんだって話

ですが、陰謀論を陰謀論で上書きする際に、陰謀論のことを「お気持ち」と述べているように、戦争とか言っちゃう人、自分を「現実派」だと思ってる人は、妄想を「感情」だと思っているわけで、「感情的共感」なんてろくなことにならないと思うのです。

・「対話出来る余力がない人はとにかく大騒ぎして対話できなさを露呈させること自体が対話」

・「対話できる余力がある人は対話できない人のぶんまで引き受けて具体的な話をすすめる」

(引用終わり)

という「役割分担」ができるようになるといいですね。

なぜ自民党の政治家は「感じ悪い」のか?安倍氏辞任にあたってのそもそも論的考察(前編)

そもそも「現実派」かどうかの基準は「俺と同じ正しい認識をして対話ができるのか」ぐらいでしかないでしょうし、その記事で「現実」として語っていること、『「検査拡大すれば医療崩壊する」という説は「無責任な言論の暴走が悲劇を起こさないようにするフタ」として意味がある言説』なんて認識も含め、本当に「現実派」という誰かの言うことを都合よく理解してくれる人だけで、自分にとって都合のいい対話をしたいのだろうとしか思えないのですが、そういう私の感想もどうせ「日本政府(あるいは日本社会)にやたらルサンチマンを持っている人」「対話ができないことを露呈している人」とかいう感じで処理されて終わりなのかもしれません。

個人的にはなんでそんな恨みを持ってる人が多いのか少しは考えたらどうでしょう。リベラル派について何度も何度も分析するぐらいの勢いで。とか思ってしまいます。

ちなみに倉本氏は『21世紀の薩長同盟を結べ』がデビュー作だと思うのですが、そういう『幕末に集団主義者の薩摩と個人主義者の長州が手を組んだのと同様の「ありえない、けれど時代を変えるために絶対に必要な連携」』みたいな敵同士が組めば最強じゃん、みたいな対立関係・敵味方関係の話をずっとしているイメージがあります。

『そういう存在を孤立無援に放っておくと、そういう人たちはネオリベモンスターと結託するしかなくなる』

みたいな。

でこう書いていることもあります。

日本政府って、明治維新いらい結構そういう要素はいつでもあるわけですよね。

だとすれば、「発達障害の人にはその人にあったコミュニケーションをしてあげましょう」的なレベルの話として、「彼らに通じやすい表現の仕方」をしてやる部分も、ちょっとぐらいはあってもいいんじゃないか・・・と、「毎回小さなことで紛糾している」たびに私は思ってしまいます。多少は歩み寄りが両者にあってもいいんじゃないかというか。

なぜ自民党の政治家は「感じ悪い」のか?安倍氏辞任にあたってのそもそも論的考察(前編)

ここでは一応「両者」と書いているのですが、結果として歩み寄る側が常に一方的のように思うのです。それは倉本氏がどこにいるかという自認が「リベラル的」な「個人」だから、そのリベラル的な個人がリベラルではない方、個人ではない方と組むべきだ、という提言が増えると言う構図なのでしょうが、どうしても歩み寄る意思を持てと言われる側、歩み寄れそうだと思われている側が一方に偏ってしまっているのではないでしょうか。

『個人的にはなんでそんな恨みを持ってる人が多いのか少しは考えたらどうでしょう』の答えも「日本政府はそういうものだから仕方ない。歩み寄ってあげましょう。」なのかもしれませんね。


ところで、この記事を見てみると茂木敏充大臣についてこんなこと言っていました。

でも、茂木大臣って英語もできるし国際経験も豊富だし実務能力もかなりあるし、何より普段結構温厚で失言とかもあんまりしない人なんですよね。

私はマッキンゼーというアメリカのコンサルティング会社で働いていたことがあって、茂木大臣はマッキンゼー出身の人なので、「同窓会」的なイベントで話しているのを間近で接したことがあるんですが、ほんとニコニコとユーモア溢れる受け答えを自然にする人で。

だから、個人的にはこの動画をみて「自民党の政治家なんだからこういう人がいてもおかしくないだろう」という感じではなく、「”あの茂木大臣”がこういう答弁になるんだなあ」というのは結構ショックを受けました。

『茂木大臣って英語もできるし国際経験も豊富だし実務能力もかなりあるし、何より普段結構温厚で失言とかもあんまりしない人』
いや、茂木氏って相当ひどい評価を過去に何度も書かれてますし、それ身内相手にはそういう態度取ってるってだけじゃないですかね?

だが、今後、茂木氏が首相を目指すというなら話は全く違ってくる。

 霞が関の複数の官庁幹部は、茂木氏について「最も怖い政治家の一人。わずかなミスも許されない」と打ち明ける。首相周辺も「党職員など下の人間に厳しすぎる。感情の起伏が激しいのを止められないとだめだ」と苦言を呈する。

 昨秋、かつて「経世会」として権勢をふるった平成研究会(額賀派)で勃発した“内紛”でも、茂木氏に対する人物評が飛び交った。

 額賀福志郎元財務相が会長を退き、竹下亘国対委員長が継いで「竹下派」が復活するとの観測が浮上。額賀氏は退任を全面否定し火消しに追われたが、派閥内に有力な総裁候補がいないことを改めて露呈した。

 ここで、茂木氏の名前が取り沙汰されてしかるべきだが、周辺からは「慕う仲間が少ない」(ベテラン議員)「自分でちょこちょこ動くタイプで首相の器じゃない」(同)「茂木会長になれば派閥を脱退する人が出る」(中堅議員)と手厳しい声があがった。党内で一番の“身内”であるはずの派閥からリーダーとして認知されていないのだ。

【政界徒然草】官僚に「最も怖い政治家」と恐れられる自民・茂木敏充政調会長 “ポスト安倍”に名前が挙がってこないのはなぜ?(3/4ページ) – 産経ニュース

一方で、霞が関周辺ではこんな評判もある。「官僚が最も恐れる政治家」だというのだ。その理由は、細かいことにこだわり怒りっぽい性格にあるという。かつてつかえたある省庁幹部はこう明かす。

「政策通で優秀な方ですが、ちょっとしたことですぐ不機嫌になる。怒鳴られたり、無視されたりした人はたくさんいます。怒られないように、ほかの政治家より気を使わざるを得ないんです」

茂木敏充外相の“超忖度トリセツ” 好物、タバコ、室温まで官僚作の「接待マニュアル」入手 (2/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

本サイトでも、茂木氏の記者に対するブランド自慢やワイン自慢、さらには男性器名を女性記者に言わせようとしたというセクハラ疑惑を紹介したことがあるが、茂木氏には以前より「人望がない」「下の者に対する態度がきつい」という評判がたびたび報じられてきた。実際、無名の当選2回新人議員時代の段階から「約5年で秘書が38人も辞めた」と週刊誌に書かれたほどだ。

 今回の「週刊新潮」でも、そうしたパワハラ疑惑にもふれており、茂木氏は秘書に対して「おい、デブこの野郎」などと普通に言うこと、そのため離職者が多く「一時はハローワークで求人を出していたくらい」という証言が出ている。

 また、「週刊文春」(文藝春秋)8月17日・24日夏の特大号でも、茂木氏の元秘書が「ある秘書は、会合で人の動員がうまくできなかったことで怒りを買い、便所で土下座をさせられたことがあるそうです」と証言。しかも、〈これまでにやめた秘書は八十人以上〉と同誌は記載している。音声がないだけで、豊田真由子議員の「このハゲー!」問題と同じありさまで、まさに、「人づくり」ならぬ「人潰し」大臣というべきだろう。

秘書に「おい、デブ」、便所で土下座強要…豊田議員“ハゲー”に匹敵するパワハラ体質|LITERA/リテラ

先進国内のリベラル派は、自分のところの「権力者」をあらゆる細部まで批判したいがために、隣国の「もっと強権的な政府」のことに凄く甘くなってしまいがち

リベラルがやるべきことは安倍氏を罵倒して溜飲を下げることではなく、「リベラルが取りこぼしているもの」をいかに包摂できるか真摯に向き合うこと|倉本圭造|note

こんなことも倉本氏は描いているのですが、特定の勢力を批判したいがために、それ以外の勢力に甘くなる現象と言うのはだれしも陥ってしまう罠であって、それを無視しているかのように「現実派vs妄想派」と言い出すのは、ちょっと私は危険だとしか思えないのです。


ところで、今回戦争だと思ってそうな人たちは、以下の倉本氏の文章が冒頭の記事に存在していたら、嬉々としてツイートすることをためらったかもなぁ、と思うくらいには戦争し始めてる人を信用していません。こんなコミュニケーションしたいと思ってないでしょ。

そもそも、たとえばワクチンをみんなに打ってほしいとか、そういう小さな問題ひとつとってみても、

「それぞれの価値観というものがある」のを前提としたコミュニケーション

が必要な時代ですよね?

「この非科学的なアホどもが!」みたいな態度をちょっとでも出したら余計にワクチン打ってくれなくなるに決まってるじゃないですか。

「それぞれの考え方があると思うけど、どうしてもこういう理由でみんなにとっての利益が凄く大きい事業だから、ぜひ打ってください」

的な態度が必要なはず。

これを否定しはじめると、もう一気に「民主主義とかもういいじゃん、中国みたいな仕組みでスムーズに行くならそれがいいじゃん」ってことになるまでの距離はあとちょっと・・ってことになりますよ。

なぜ自民党の政治家は「感じ悪い」のか?安倍氏辞任にあたってのそもそも論的考察(前編)|倉本圭造|note

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