個人的に読む前にうんざりする本がある

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読む前から、それを読んで持ち上げてる人の属性や反応を見てうんざりする本という存在が私にはいくつかあります。

それはファクトフルネスという本です。

FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣税込1,980(2021/01/25時点)

この本自体はまだ読んだことないし、興味はあるのだけれど、読む気が失せる紹介がなされていることが多いです。

翻訳者の方はブログでこう書いています。

ひとつ言えるのは、この広告を見て『ファクトフルネス』を買った人が、読了後に「『世界の真実がここにある』というコピーはおかしい」と思ってくれるのであれば本望だ。

SNSで誰かが「『ファクトフルネス』を読んで真実を知ろう」と発信し、それを見て本書を買った人が、読了後に「本に載っていることが、真実のすべてじゃないだろう」と思ってくれるのであれば本望だ。

『ファクトフルネス』批判と知的誠実さ: 7万字の脚注が、たくさん読まれることはないけれど — 上杉周作

たしかにわたしも、この本はファクトのいいとこ取りをしていると思う。だから、「この本は、あえて『良くなっている事実』ばかり載せている」という意見には、100%同意する。「この本を読んで、すべてを知った気にならないほうがいい」という意見にも、100%同意する。

当たり前だけれど、『ファクトフルネス』に載っていることだけが真実じゃない。

『ファクトフルネス』批判と知的誠実さ: 7万字の脚注が、たくさん読まれることはないけれど — 上杉周作

でも、日本でいま話題になっているインフルエンサー達を見ていると、少し不安になる。

『ファクトフルネス』の第1章では、「わたしたち」と「あの人たち」という二項対立を求める「分断本能」について書かれていた。「わたしたち」と「アンチ」という分断思考にとらわれているようでは、発信する側も受け取る側も、正しい姿勢にはなれない。

『ファクトフルネス』批判と知的誠実さ: 7万字の脚注が、たくさん読まれることはないけれど — 上杉周作

しかし、この翻訳者や著者の方が望むような方向とは違う方向、この本の中で誤った本能とされているものの中でも特に『犯人捜し本能』や『分断本能』というもの、その本能をフル活用したような読者の反応を見ることが多くて辟易するのです。

例えばこういうツイートにそれは現れています。

見事に『不安VS冷静』『読んでないで不安に振り回される馬鹿なアイツらVS読んだ冷静でファクトを見てる私』『チンパンジーより利口な私達VSチンパンジー以下のあいつら』みたいな分断、対立に著書が使われているのです。

また下記ブログやツイートも『ファクトを指摘する正しい私VSファクトを指摘されて怒る人たち』になっているように思います。

なぜ「ファクト」は人を怒らせるのか。「ファクトフルネス」を読んで、暗鬱とした話。
話題になっていた「ファクトフルネス」を読んだ。 感想をここに記しておきたい。   まず、「この世は良くなっている」という話は、「ホモ・デウス」などを通じて知っていたので、新鮮さはあまりなかったが、掲載されている…

(ちなみにこの点には上記ブログへの反応ツイートへの、返信という形で翻訳者の方も触れています。これはこれで『ほとんどの人VSそうでない人』になりそうですが。)

それ以外にもこの本が真実を知るものをそうでないものを分断することでウケを狙うインフルエンサーによって拡散され話題になっていたり、(その後修正はされたようですが)『世界の真実がここにある』が広告の売り文句になった時点で、もうどうしようもないのではないか、と思ってしまうのです。

そういう観点から、私は以下の感想が書かれているブログや記事を読んで、それで充分かな、優先順位は後回しだな…と思ってしまうのです。

本書は知識人と考えられている人たちが間違えやすい問題と、著者自身の過去の体験を紹介している本である。それ以上でもそれ以下でもない。その原因と対策については根拠が示されていないので、本書に従えば信じるべきではない。もしかすると、この本をどこまで信用してしまうという読者への挑戦なのかもしれない。

 また余談であるが、本書の著者の人生はドラマチックであり、感動的ですらある(ドラマチックな物語には気をつけろというのもまた本書の教えのひとつなのだが)。「この世界がどんどんよくなっていることを広めたい」「この世界がよくなっていることを疑う人は、10の悪い本能に騙されていることにしたい」と考えた人々が探し求めていた理想の著者のように見える。

大ベストセラー『ファクトフルネス』に抱いた、拭いきれない違和感と困惑 « ハーバー・ビジネス・オンライン

正直なところ、本書の前半ではいくつもの「多くの人が間違って思い込んでいること」が畳み掛けられ、「ほらね、間違ってたでしょう?」と斜め上から言われているようであまり読み進む気が起こりませんでした。

というのも、マーケティングという職業柄かもしれませんが、数値は恣意的に生み出すことができる怖さを知っていますし、「そもそもこの本に書かれているデータは正しいのか?」という考えが頭をよぎって書いてある内容がすっと入ってこなかったのです。でも読み進めている内に「この著者の方が言いたいことは、それら一つ一つの事象そのものではないし、数値をこねくり回す方法でもない」ということが分かってきて、それ以降はとても興味深く読むことができました。

データの正しさ? | 芳和システムデザイン

例えば『ファクトフルネス』が、今、日本で絶賛の嵐で、そしてこの本は今誰もが読むべき本であるという点には心から同意するけれども、「ハンスが言うようにデータがそろうまで待ってから判断していたら、間に合わないこともあると思う!」ということを(私にしては大きな勇気をもって)大きな声で話そう。

ファクトフルネスとグレタ・トゥーンベリ|ブロムベリひろみ|note

著者は、世界はかつてと変わっているのに、人々の認知はそれに追いついていないという「ギャップ」を指摘する。ここまでは重要な活動に思える。

だが、何らかのギャップが見えたとき、「何が原因でそのようなギャップが生まれるのか?」という問題意識から、データの詳しい検証が始まるのだが、著者はそれを「○○本能が問題」と一蹴する。

これは批判されるべきやり方だろう。本書を読むことで、「データを見ようとする意識」は培われるかもしれない。しかし、「データを検討する」部分に関しては、非常に良くないやり方がされている。そのためここでは、かなり批判的な見方をした。

ベストセラー『FACTFULNESS』を批判する!本書を高く評価すべきでない理由【書評・レビュー】 | 経済ノート

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