立憲民主党代表選の若手候補として意外な人の名前が出ていた話

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立憲民主党の代表選や総理交代が重なった時期に、野党政治家が多数の番組に出演していたのですが、その中で立憲民主党の代表選に若手を担ごうとしていたと言う話について、具体的な候補者名に触れた話が興味あったので書きます。

中谷氏は「はじめに名前があがっていたのは石川香織さん。一番歳が若くて、ジェンダーとジェネレーションを包括できるような候補者をもし擁立できたら、多様性を重んじる、ボトムアップでやっていこうという立憲のイメージにもそぐうということで頑張った経緯があった。しかし、いろんな党内の力学がある中で、やっぱりこういう人がいい、小川淳也さんみたいなフレッシュな人がいいとかいろんな意見があった。最終的には20人でまとまれる若手の候補を擁立しようということで、先輩の青柳陽一郎さんを担ごうと頑張ったが、それも力が届かず及ばなかった」と明かした。

若手候補の擁立叶わずも「枝野さんを全力で支える」「世代を創造する」 “新・立憲民主”の中谷一馬衆議院議員(37)(ABEMA TIMES) – Yahoo!ニュース

この中谷一馬議員の話に出てくるのは3名。
石川香織議員
小川淳也議員
青柳陽一郎議員

中谷議員の言によると、候補者のメッセージ性を重視したのが石川香織議員擁立説。
小川淳也氏はフレッシュな人として例示されていますが、正直映画でちょっと話題になっているから、的な要素が大きいでしょう。

個人的に驚いたのは青柳陽一郎氏の擁立説が最後に「20人でまとまれる若手の候補」として出てきたと言う話です。

青柳陽一郎氏は、個人的に本人の政策・信念と政党所属歴がちょっと不本意な部分があるのではないかな?と思う方で。
みんなの党時代のイメージは、政策志向的に、どちらかと言うと、政権交代前の民主党系政治家や政権交代後の第三極政党によく居た自民党から出馬できなかったからやむなく野党から出てきたのかな?みたいなイメージで。

みんなの党が分裂する直接的な原因は「特定秘密保護法」だったのですが、それも青柳陽一郎氏は反対の意思はほとんど見えていませんでしたし()、人脈が江田氏に近いから、そっちに行ったんだろう、もしくはあまりにも渡辺喜美氏周りが酷すぎたのだろう、という感じで当時私は見ていました。

で、その後諸々あって、立憲民主党に公認申請した理由は、「公明党と当たる選挙区では希望の党の公認がもらえないから」だったのだろうと思うのですが、正直、一般的な立憲民主党に行ったイメージ、憲法改正や安保法制等の保守政策を飲まされる踏み絵を拒否したから、というものとは真逆な入党理由のように思います。

写真・図版(2枚目)| 「全員が行ける」から一転…希望の党“リベラル切り”の舞台裏〈AERA〉 | AERA dot. (アエラドット)
写真・図版(2枚目) | 記事「「全員が行ける」から一転…希望の党“リベラル切り”の舞台裏」より

個人的には、そういうところがとても不安に思っていたのですが、みんなの党で当選していた経験もあってか、政策的に元国民民主党の方とも通ずることができたからか、いつの間にか「20人でまとまれる若手の候補」として名前が上がるような存在になっていたんだな、と。

実際には出馬することはできなかったものの、出馬検討者として存在していたと言う事実は、少なくとも党内の人間関係を推察するために重要な情報のように思います。

立憲民主党が今後向かう先、若手と言う観点で見ても正直、多少不安があるのですが、少なくとも江田憲司氏と言い「みんなの党出身者」が重要な位置を占め始めているように見えるのは、良くも悪くも今後の野党の行く先を見るために重要な要素になってくるのでしょう。良くも悪くも。

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