自民党にとっての「自助・共助・公助」

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アナウンサー:「まず、菅さんが自民党総裁になったら『どんな国にしたいか』書いていただきました」

菅氏:(<自助・共助・公助>と書いたフリップを持ち)「自助・共助・公助。この国づくりを行っていきたいと思います」

アナウンサー:「具体的にどういうことでしょうか?」

菅氏:「まず自分でできることは自分でやる、自分でできなくなったらまずは家族とかあるいは地域で支えてもらう、そしてそれでもダメであればそれは必ず国が責任を持って守ってくれる。そうした信頼のある国づくりというものを行っていきたいと思います」

菅義偉氏が「自助・共助・公助の国づくり」と発言。菅氏個人への批判が『的外れ』な理由

菅義偉氏がこのように、己がどのような国を作りたいかについて「自助・共助・公助」を掲げ「まず自分でできることは自分でやる、自分でできなくなったらまずは家族とかあるいは地域で支えてもらう、そしてそれでもダメであればそれは必ず国が責任を持って守ってくれる。」と言う国を作ることを明言しました。

これについて、「この順番じゃないと死ぬよ」と言う人がいます。

この言及は災害の話としては一見正しいのですが、こういう話以外にいろんな理由がこの「自助・共助・公助」にはつけられていて、そこがとても問題なのです。
「公助は立ち上がりに時間がかかる」なんてニアイズベターみたいな話では済まない理由がいくつもついてくるのです。

この原則と言うのは、結構昔から使われていると言うのは、Twitterにていくつかの人が述べています。

早川タダノリ氏が触れている「新経済社会 7 カ年計画」と言うのは、国立社会保障・人口問題研究所のホームページにて、「日本社会保障資料Ⅳ」の社会保障の資料(8番)として見ることができます。

で、自助という単語が使われている場面を検索すると6回言葉が使われています。

国民の公共に対するニーズは、住宅や生活関連社会資本の整備、社会保障の充実、教育文化施策の充実等を中心に高まっていくであろうが、これを従来どおりのやり方で充足していけば、公共部門が肥大化して経済社会の非効率をもたらすおそれがある。効率のよい政府は、活力があり発展性のある経済社会の基本であり、これを実現するためには、高度成長下の行財政を見直して、施策の重点化を図り、個人の自助努力と家庭及び社会の連帯の基礎のうえに適正な公的福祉を形成する新しい福祉社会への道を追求しなければならない。

欧米先進国へキャッチアップした我が国経済社会の今後の方向としては、先進国に範を求め続けるのではなく、このような新しい国家社会を背景として、個人の自助努力と家庭や近隣・地域社会等の連帯を基礎としつつ、効率のよい政府が適正な公的福祉を重点的に保障するという自由経済社会のもつ創造的活力を原動力とした我が国独自の道を選択創出する、いわば日本型ともいうべき新しい福祉社会の実現を目指すものでなければならない。

今後の雇用環境に対処しつつ、働く意思と能力をもつ人々に対し、その能力と適性に応じた就業の機会を提供し、ゆとりと生きがいのある生活の基盤を培うことは、経済社会の安定にとって基本的かつ不可欠の要件であることにかんがみ、計画期間中できるだけ早く完全雇用を達成するため、あらゆる努力を傾注する。この場合、我が国経済社会が民間部門の活力ある展開を基盤として発展を遂げてきた事実にかえりみ、企業のもつ競争的体質と変化への適応転換能力を重視するとともに、国民のもつ旺盛な勤労意欲と自助の精神に信頼を置き、これに適切に対応するよう雇用に関連する諸政策の展開を図る。

人びとの生活の安定は、一般的には個人の自助努力に加えて、家族の相互扶助、さらには近隣社会をはじめとする社会連帯などのあたたかい人間関係のもとに築き上 げられものであろう。そのなかで社会保障の基本的任務は、公的に保障すべき所得又はサービスを適切に提供し、国民が生涯のどの段階においても不安なく生活設計を立て得るような基礎的条件を整備することである。

これ以外、最後の二つの使用例は、「発展途上国の経済社会開発への自助努力を支援する経済協力」とか「経営環境が構造的に悪化せざるを得ない産業については、企業の自助努力を基本としつつ、摩擦を回避して円滑に産業調整を進める」という使われ方です。

それ以外の、今回、引用した部分は、基本的に「公助は、自助や共助を邪魔する」という、アメリカの保守的な精神と言いますか、共和党の基本精神のようなものと同じ新年のようなものが貫かれているように私には見えます。

で、大塚英志氏のTwitterで持ち出された厚生白書もこういうことを書いてくるわけです。

(経済社会の活力の維持)

第一点は,経済社会の活力の維持である。物価の安定と持続的な経済成長は国民生活を安定・向上させる前提条件であると同時に,社会保障制度を支える経済的基盤を維持・強化し,社会保障の充実に資するものである。また,社会保障制度が安定し有効に機能していくことは,活力ある長寿社会の前提となるものであるが,過剰な給付や過大なサービスはかえって経済社会の活力をそぐことにもなりかねないことに留意する必要がある。

(自助・互助・公助の役割分担)

第二点は,自助・互助・公助という言葉に代表される個人,家庭,地域社会,公的部門等社会を構成するものの各機能の適切な役割分担の原則である。健全な社会とは,個人の自立・自助が基本であり,それを支える家庭,地域社会があって,さらに公的部門が個人の自立・自助や家族,地域社会の互助機能を支援する三重構造の社会,換言すれば,自立自助の精神と相互扶助の精神,社会連帯の精神に支えられた社会を指すものと考えることができよう。また,制度の再構築に当たっては,個人の尊厳や相互扶助の精神などを損なうことのないよう十分配慮する必要がある。

厚生白書(昭和61年版)

『過剰な給付や過大なサービスはかえって経済社会の活力をそぐことにもなりかねない』し、基本は自助や公助で成り立つ社会だから、公助はそれを邪魔しない程度に支えるように配慮しないといけない、と言うことになるわけです。

また、2010年に、野党自民党として改めて自己定義をすると言う名目で出された、反民主を意識しまくった綱領や「自民党の基本姿勢」という文書にも自助に関する文言が出てきます。

我々が護り続けてきた自由(リベラリズム)とは、市場原理主義でもなく、無原則な政府介入是認主義でもない。ましてや利己主義を放任する文化でもない。自立した個人の義務と創意工夫、自由な選択、他への尊重と寛容、共助の精神からなる自由であることを再確認したい。従って、我々は、全国民の努力により生み出された国民総生産を、与党のみの独善的判断で国民生活に再配分し、結果として国民の自立心を損なう社会主義的政策は採らない。これと併せて、政治主導という言葉で意に反する意見を無視し、与党のみの判断を他に独裁的に押し付ける国家社会主義的統治とも断固対峙しなければならない。

(中略)

(3) 自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組を充実する

平成22年(2010年) 綱領

○ 自己責任原則の下、個人の自由、民間の活力、地方の判断を尊重する国創り

○ 自助を基本とし、共助・公助はそれを補うとの考えで、社会政策、経済政策を行う

たむたむの自民党:自由民主党の基本姿勢 – livedoor Blog(ブログ)

それから「自己責任原則の下、個人の自由、民間の活力、地方の判断を尊重する国創り」というのも、当たり前のことと言えば、当たり前のことですが、改めてそういうことを確認しようと。こういうことを確認するのは、後の自助・共助・公助とも共通しますけれども、要するにぶら下がって、バラマキを待とうと。バラマキによって、票を取ろうという政治ではどうしようもないではないか。自ら助く者を助く、自己責任原則という上で、いろいろ助け合い、最後は助け合いということなるのですが、そういう基本体系をしっかりしていく、ここが自民党と民主党の考え方の基本的な違いだということを繰り返し、繰り返し強調したいです。

谷垣禎一総裁 ぶら下がり会見 | 記者会見 | ニュース | 自由民主党

なぜこんなことになるかというと、どう考えても民主党が政権の売りとしていた子ども手当と対峙した結果です。目玉であるとされた子ども手当を批判するために、自助を強調する路線が強くなったわけです。

「自助」の考えが欠如しています
自民党の進める政策は、「自ら努力する人を、国が応援する」ことが基本であり、子育ても、一義的には家庭でなされるべきものです。
民主党は「子どもを社会全体で育てる」ことを第一義とし、家庭における子育てを軽視しており、私たちと考え方が大きく違います。

自民党ならこんな子育て支援策を! | 政策 | ニュース | 自由民主党

このように、結局は「反民主党」「反社会党」「反共産党」で自民党は組み立てられているので、政権を降りて自己の再定義をした結果、この自己責任原則、自助偏重姿勢を強調することで、民主党政権と対峙するという選択をし、その後安倍晋三総裁の下で政権再交代に至るわけです。

菅義偉氏は「自助・共助・公助、そして絆」というワードで総裁選をやっていたようですが、絆と言うワードも野党自由民主党時代に出ていたワードであって、自由民主党が原点に戻ると、そういう概念が出てくると言うことのように私には見えます。

自民党の「自助・共助・公助」には、自己責任原則のようなものが必然的についてくるのです。なぜならそれが「反共産主義」であり「反社会主義」であると信じているからです。

一方で、そういった信念で「自助重視」を掲げているだけではない事情と言うのも見えてくることが政権運営で時々見えてきます。

例えば、それは復興で見えたことがあります。

復興大臣が、復興道路建設費用の地元負担導入を「被災地の自治体の方に自立する気概を持っていただきたいということで決めた。」と述べた事案があったのです。負担させることが「自立する気概を持っていただきたい」から決められるのです。

これ、私には要するに「政府負担を決めるために理解を得る作業をするのがめんどくさいから、自立という概念を利用して押し付けて責任逃れをしている」ようにしか見えませんでした。なので当時そういう趣旨でこれを批判するブログを書いていました。

ちなみに、結局この自己負担導入は、地元自治体の批判を受けて結局はそんなに増えなかったという話だったようで、批判を受けてしれっと事実上の撤回をしている点も「結局は責任逃れじゃん」という印象をさらに強くします。

このような、公助、政府負担の社会保障から誰かを突き放すために使われる理屈が自民党の「自助・共助・公助」という言葉の使い方で合って、それが想起されたので菅義偉氏が言及したことが批判の対象になったのだろうとおもいます。

自民党は菅義偉氏の述べたような「それでもダメであればそれは必ず国が責任を持って守ってくれる。そうした信頼のある国づくりというものを行っていきたい」という言及とは違い、自助と共助でダメだった時も「それでも本当にダメですか?」という生活保護の窓口での水際作戦のように「それでもダメである」ということが認められず、自助と共助が、公助にたどり着くためのガードとして機能させられている、そんな社会を作っていると思われているということでしょう。(冒頭のまず自助しないと死ぬよ、というメッセージもそういう機能を帯びることがあるでしょう)

そのような公助の水際作戦をやめることが自民党に求められることであり、それをさも「自然の摂理です」とイデオロギーでないかのように装ってしまうことが、「それでもダメであればそれは必ず国が責任を持って守ってくれる。」なんて信頼が生じない大きな原因なのではないでしょうか?

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