安倍晋三氏は野党批判が日常だった疑惑 と 政界エリートと政界叩き上げに関する一考察

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安倍晋三氏が体調不良で辞任を表明したことを受けて、日本維新の会の音喜多駿参議院議員が安倍晋三氏との数少ない思い出を語るブログを更新しているのですが、そのエピソードの一つが私から見ると酷いものでした。

もう一つの機会は、たしか予算成立後のことだったと思います。

各会派の国会控室に、安倍総理以下主要閣僚が挨拶まわりをされる慣習があるのですが、そこで居合わせた国会議員たちと総理は順番に握手。

その最後にいた私に対して安倍総理が、二言三言、耳打ちをして話しかけてくれたのです。詳細な文言は安倍総理が政治家を引退してから記すことにしますけども(笑)、

「東京選挙区からきてくれたのが君で良かったよ」

というような内容を、ウィットに飛んだ冗談を交えて話しかけてくれた感じでした。

この時、総理から良い意味での「軽さ」「人間味」を感じ、こうした人間的魅力も長期政権の秘訣の一つなのかなと思いました。

国会に来てわずか1年だったけど、安倍総理との直接的エピソードを2つほど語ってみる | 音喜多駿 公式サイト

詳細な文言は書いておりませんが、この音喜多駿氏が当選した参議院選挙で、当選したのが君ではなかった場合というのは、つまり次点者が当選していた場合の話だと思うのですが、そこで東京都選挙区の次点を見ると、立憲民主党の山岸一生氏であるという時点で、何を言ったか大体想像できますよね。

どうせなんらかの立憲民主党揶揄でしょ?って。

選挙演説、国会答弁、野党の揶揄を定期的に繰り返してる姿を見てきた私としては、やはり普段からそういう揶揄ばかりだったんだな、と失望する姿でしかありません。音喜多氏にとっては共感できる揶揄だったから「軽さ」「人間味」なのでしょうが、その軽さと人間味で切り捨てられてる人間がいるというのは忘れないでほしいものです。

(あと、私だったら野党の立場で与党の首相に「当選したのが君で良かった」と言われたら「あー、舐められてんなぁ」と思うのですが、どうなんでしょう。)

あと、このエピソードを野党揶揄だと受け取ったのは、日経新聞が拾ってきたコロナ下での首相の振る舞いを思い出したからでもあります。

首相が側近議員に「ツイッターでみた野党批判が面白かった」などとSNS(交流サイト)の反応を話すことが増えたという。危うさは首相にもひそむ。

コロナで弱る首相の感度: 日本経済新聞

面白いと思ってツイッターの野党批判を雑談で取り上げてた、というエピソードが取り上げられていたのです。

ここで、取り上げてる代表的なエピソードが野党批判というのは、自分にとって面白い話ばっかり「世論」として取り上げしまう傾向を表しているように私には見えますが、正直、コロナ以前はツイッターではなくて百田尚樹とか会食した相手の野党批判エピソードとか喋ってただけで、情報源の違いはあれど野党批判で盛り上がってるのは常日頃そうだったんだろうと思うんですが。

会食とツイッターの違いは、ツイッターだとワンツイート(もしくはリプライも含めたやり取りのほとんど)が一つの話題で終わってしまうのに対して、会食だと時間をかけてざっくばらんに、野党批判で盛り上がるだけではなく『「あの大臣は意外と評判が良いんだね」「この政策はうまく伝わっていないな。説明の仕方を工夫しよう」』につながるような話までできるということでしょうか。

しかし、会食のような形にしないと、ツイッターで野党批判を拾ってきて、面白がって他人に喋ってるようなことが増えるって、本当に軽いんだなと思ってしまいます。

その軽さが、音喜多氏の言うとおり長期政権の秘訣であって、インターネットで見る一部の人に「お疲れ様と言え」とか言わせるぐらい「この人は私と同じ人間だ」と思わせて憑依したかのような支持をさせてしまう原因なのかもしれませんが、そこで軽く揶揄される側の人間としては、憎悪しか抱けません。

(首相のツイッターを拾ってきてることを批判的に触れた直後にツイッター引用してるのはどうなの?というのは置いておいて…)

そういう意味でこの連ツイはそうだなと思う部分もあったのですが、ちょっと違うんじゃない?と思う部分も一部あって。

それは、小泉純一郎氏への見解と、叩き上げへの反応の部分で。

まず小泉純一郎氏が「自分達と隔絶した権力者」と思われていたかは怪しいと思っていて、安倍氏は小泉純一郎氏の後継首相であったように、あれこそ安倍氏の支持のされ方に近いものであり源流の一つであるように思うんですよね。(あくまで近いであって同じではないですが。)

で、ここで叩き上げへの反応の話も繋がってくるのですが、小泉純一郎氏は、VS田中派でのし上がったという一面もあったわけです。まさに連ツイに名前がでてる田中角栄の脈を継ぐ方々です。

で、小泉純一郎氏は『抵抗勢力打倒』という旗印を掲げていたわけです。自らを『政界で持たざるもの』『政界では変人』という場所にポジショニングし、『政界の常識を打倒する』かのような内容で支持を集めたわけです。

で、しかも田中角栄というとロッキードのような汚職事件とか金権政治という話にどうしてもなるように、政界叩き上げというのはあまりいいイメージではなく、政治の悪いイメージである『汚いことをしてのし上がる』とか、一般社会では非常識をしてのし上がるというイメージを背負ってしまう面があるのだろうと思います。

ここから、叩き上げではなく苦労せずに済むエリート上がりであることが、政治でのし上がるために汚れてない、政治の常識を飲み込んでない(ということは一般の常識をわかってる)人間だ、みたいなポジティブイメージを想起させるのではないでしょうか?

例えば、小泉純一郎氏は、確かに権力者の面もあったとは思うのですが、正直、当時の報道では権力者の一面より、政治家らしくない言動が注目されていたように思います。趣味とかも含め「政治に染まっていない」印象で人気だった方のように思います。で、この「政治に染まっていない」と言う点で、自分と隔絶しているという印象は薄かったのではないかと思うのです。

一方で小泉純一郎氏と違って安倍晋三氏は、上記ツイートにあるように正直「パッとしない」わけですが、お友達・身内を優遇したり「お帰りなさい」してしまう「優しさ(?)」や優柔不断さ。嫌いな物への熱心さばかりみえるものの、それ以外への執着がそこまで見えてこない。そういうものが、現実で特になにか特別なものを持っていない自己に投影される人がそこそこいるのかもしれません。

また、叩き上げのダーティーイメージというのには、在日特権のような差別的妄想言説にも見られる、元々「本来こんな身分にいるべき人ではない」という差別的な視点が先にあって、そこに合わせてそういう非常識イメージが作り上げられるというのもあると思います。(つまり階級意識が根付いた社会だということです)

このような理由が組み合わさった結果が、安倍晋三氏が共感を集めた理由の一つであるでしょうし、翻って野党が信用できないと言われる理由の一つであると思います。

野党は叩き上げ・非常識側に属する人間(本来偉くなるはずがない人間であるという視点を向けられたり、自民党以外から出るなんて信じられないという視線を向けられたり)と基本的に扱われるわけですから、支持を集めるのが困難なわけです。

実際はこれ以外にも支持の理由はいくつもあるでしょう。しかしTwitterでよく見る首相共感層のような人たちの存在の仮説としては面白いと思いました。

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