野党を批判的に語る際に、上のTweetのように「野党は政党として機能しておらず、与党内の派閥こそが政党の機能を果たしているのだ」という主張が時に語られる。
この主張をするためには「政党」の定義が重要となる。
ここでは「政党」の話をするために、インターネット上で参照できる以下のページを例示する。
上記リンク先のページでは、政党の機能・役割として5つのことが触れられている。
- 利益集約機能
- ポリティカル・リーダーの補充・選出機能
- 決定作成マシーンの組織化機能
- 政治的社会化機能
- 政権担当機能と政権批判機能
他方、派閥がどのような機能を有していたかというと、例えば「自民党――「一強」の実像」を書いた中北 浩爾氏は以下のように書いている
重要な機能は、①総裁選挙での候補者の擁立と支援、②国政選挙の候補者擁立と支援、③政治資金の調達と提供、④政府・国会・党のポスト配分の4つである。
自民党の「派閥」はなぜ求心力を失ったのか | 国内政治 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
ここにある候補者支援の中には、政策学習の機会やら、政策パッケージの提供も含まれているだろう。
そう考えると、上記政党の役割の1〜3は満たされている可能性が高いと言える。
が、少なくとも4と5は派閥という形式では満たされない可能性がとても高い要素であるように見える。
例えば「5.政権担当機能と政権批判機能」は同じ政治団体に属し、一つの集団として政府を構成して、自らの意思のみで離脱する可能性が限りなく低い状態である以上、政権批判機能に致命的な欠如があると言えるだろう。
また、4.政治的社会化機能についても、同じ集団で政権を形成していることによる政権批判機能の欠如と同じ流れで、その機能は欠如していくこととなる。
また、派閥は自らの情報があまり表に出ない(自民党という枠組みとぶつかるので、自然と情報を絞ることとなる)という部分も「政治に関する情報を市民に提供し」という部分において社会化機能の欠如と言えるのではないだろうか。
更にいうと、満たされている可能性が高いとしてしまった中の「利益集約機能」も、『社会内部の個人や集団が表出する多彩な利益・要求・意思を受けとめ』という部分から考えれば、政治的意思の表出方法の一つである選挙の投票、その票を受け止める枠組みとして機能していない以上、限定的な機能しか果たせていないと言えるだろう。
以上の検討の私の結論は「派閥は、政党と言うには果たせていない機能が多い」というものになる。
このような「派閥こそ政党」という言説は、衆議院議員総選挙が中選挙区で行われていた時代は、自民党が実質政党を複数まとめたグループとして動いていたような事となり、なりなっていた余地はあっただろうと思う。
しかし、現行の選挙制度で、表向き皆一つの「自民党」として選挙を戦っていて、選挙協力を結ぶ作業が(見え)無く、構成員を公表することもなかなかなく、様々な意思決定の様子も公表されない。
そのような組織である派閥は、現状、政党の下部組織、政党の一部機能を外注されている組織というのが正確な表現だろう。
冒頭に貼ったTweetの主張のようなことを話す方はあくまで「野党は派閥以下だ」ということを言いたいだけなのだろうが、本当に「派閥こそ政党」ならば、きちんと派閥ごとに政党としての体を整えて、きちんと政党として機能することで日本の政治の機能向上に少しでも貢献すべきだろうと思う。
そして「派閥こそ政党」なのに、政党の下部組織である派閥にとどまっていることが、日本の政党の不毛さに一役買っているということを自覚しつつ、そのような言葉は発したほうが良いのではないか、と思う。
――このご本で特に注目して欲しい所は、どこでしょうか。
『自民党―「一強」の実像』/中北浩爾インタビュー|web中公新書
中北:自民党が抱える逆説性や二面性です。かつて「党中党」であった派閥が弱体化し、現在は上意下達機関化しているとか、族議員を跋扈させていた事前審査制が、現在では党議拘束を通じてトップダウンの手段になっているとか。
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