ゲームしたりイベント会場に行くよりも、魅力的な現実の女性を見つけたら置換する可能性があると自白するようなツイートを、その本音に気付かずに堂々と出来てしまう鈍感さがすごいですね。
で、このツイートに「三次元には何も期待していない」という内容の賛同要約リプライが送られているのですが、『よっっっぽどの美人やスタイル抜群の女性ならともかく』と留保してる時点で嘘ですよね。よっっっぽどの美人やスタイル抜群の女性を期待しているから、その期待が満たされる二次元に行くというだけで、期待は二次元三次元問わないというのが正確なものでしょう?
少なくともこのツイートはそうとしか読めないでしょう。
上記のツイートも「魅力を感じたらやる可能性がある」「捕まらなければ(リスクを軽視したら)やってしまう可能性がある」というだけです。
それに気付かずに、自分を痴漢可能性に関しては無敵だと勘違いしている時点で「痴漢被害者の味方」ではなく、他人事で突っ込んでくるクソアドバイザーでしかないのではないでしょうか?
(よくTwitterでは特定の背景を持った無差別殺人犯について「無敵の人」とカテゴライズしますが、個人的にはそれはこういう視野が狭く自分の論の欠点を見ることが出来ない人であって、何も失うものはない人をそう表現するのは問題解決のために避けたほうが良いのではないかと思っていたりします)
ちなみにここまでの指摘は冒頭に『よっっっぽどの美人やスタイル抜群の女性ならともかく』と書いてあることにより、相手に魅力を感じるから(性欲が刺激されて?)痴漢をするという前提になっていそうな気もしますが、痴漢の実態として性欲ではなく単なるストレス処理手段として痴漢が行われている可能性があり、それは相手に性的魅力を感じずとも行われるということも指摘されていますが、そういうことも視野に入ってなさそうです。
ここで指摘したツイートの発信者に限らず、現在の自らを取り巻く環境がたまたまそういう犯罪を侵さずに済む環境であるだけである、ということをもう少し意識したほうが良いのではないか、と思います。
そういうことを忘却するところから、過剰な自己責任論が跋扈する社会が出来上がっていき、誰しもが生きづらい環境を改善する努力を軽視するような社会ができあがっていくのだと思うのです。
追記
これ、魅力を感じることと人権を繋げちゃうのヤバくないですか?
「僕にとって魅力を感じない人にも人権があるのはわかってる」って、人権って人間に備わってる権利のことですから、この人にとって「魅力を感じない=人間と思ってない」みたいな話になるじゃないですか。
どう読んでも、この人が一連のツイートで「三次元の女性」に向けてる視線って、「白人主義者が黒人に向ける慈愛の視線」や「貴族が貧乏人に向ける視線」みたいな、とても根本的な差別的な視線であるように思うんですけど、それに本人は気付いているんでしょうか?
そんな視線を向けられながら「味方」などという言葉を投げつけられても、それは単に「屈服せよ」というメッセージにしかならないのではないでしょうか
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