金谷俊一郎氏の歴史観にうんざりしたという話 〜『西国立志編』を読みました〜

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私があの本を購入したのは数年前。
買った動機は「よく自助論という題名は見るけど、何が書いてあるんだろう」という興味。本の中身についてはろくに見ないで購入しました。
それと同時に「自己啓発本って胡散臭いよなぁ」とか「自己責任論がどういうものか垣間見てやろう」という感情も抱いていました。

それから時が経ち、今年の7月、以下のようなツイートを見かけました。

百田尚樹の歴史をありがたがるカリスマ講師って・・・と思っていたら、この金谷俊一郎、僕の買った自助論の現代語訳者でした。

これを受けて早速自助論を読んでみたのですが、金谷俊一郎氏が自助論を現代語訳しようとした動機が語られている「はじめに」を見て、正直呆れ果てました。

以下にその呆れた一部を引用します。

『西国立志編』を読む限り、われわれの考えるような、いわゆるアメリカ式の合理主義的な成功哲学はどこにも記されていない。

そこには、和を尊び、社会全体の繁栄を願い、その上で自らを輝かせ発展させる姿が描かれている。私利私欲や目先の利益を捨て、自らの天命にしたがって物事を道義に基づいて行っていくことが、人々を成功に導くと記されている。

この美徳はアメリカを中心としたGHQの占領により、教育の現場から姿を消してしまったものである。

しかし、これこそいわゆる「純日本式成功哲学」ではないのか。

日本という国が、世界中の度の国にも真似できないような飛躍的な発展を、一度ならず二度までも行うことができた源泉が、ここにあるのではないか。

日本には日本人特有の成功哲学がある。

そうでなければ、世界中のどの国にも真似できないような発展を成し遂げられるわけがない。

その「純日本式成功哲学」が『西国立志編』には凝縮されているのである。

あくまでも、これは「はじめに」で一番ひどい一部分であるが、ここにすべてが詰まっているとも言える部分だと思う。

真似できないような発展というのは、「明治維新期」と「高度経済成長」の2つだそうだ。

維新賛美、合理と道義の比較、日本の特色がGHQ占領により失われたという信仰。
こんな史観を前提に日本史を教えているの?と心配になります。
いくら予備校で試験に受かればいいとはいえ、間接的にこのような思想の布教になっているとしたら・・・。

ちなみに、イギリス人の書いた自助論になぜ純日本式成功哲学が?という問いには、中村正直が誤訳などをすることで純ヨーロッパ式ではなく純日本式成功哲学に昇華しているのだ、という主張を行っている。

アメリカ式の合理主義的な成功哲学という言葉は出ていたが、純ヨーロッパ式とはどのようなものを指しているのでしょう?
この本にさっぱり出てこないのでわからないままなのですが。

正直、この「はじめに」の時点で、この本を投げ捨てようと思いました。

しかし、一応内容を確認してみようと通読してみました。

内容は全部で13編に分けられていて、各々に表題がついています。またその編の中も、一つ一つが数ページ程度の読み切りのような形になっています。

まず私が注目したのは第一編『自助の精神』です。

この内容の一部が私には、純アメリカ式の保守派、ティーパーティーなどにつながる小さな政府的理屈に思えてならないのです。

(追記:日本人が知らない米国「保守派」の本当の顔 偏った報道では浮かび上がらない普通の人々 | アメリカ – 東洋経済オンライン この記事の保守派の考え方に、似ていると思うのです。)

例えば『天は自ら助くる者を助く』というタイトルの文章。
「他人に多くの援助をすればするほど、援助を受けた人は自分自身で頑張ろうという気持ちを失ってしまいます。」や「人々を抑圧する政治や法律は、人々の経済的自立を失わせ、その活動を弱めてしまうことになります」という内容。

その次には『国家が何かをしてくれると思ってはいけない』というタイトルの文章。

別な場所には「法律を改正し制度を整えることで問題を解決しようと思ってはいけません」という一文も。

この辺は、ズバリアメリカ的と思ったのですが、これも純日本式成功哲学のひとつなのでしょうか?

一方、第三編「忍耐力こそ成功の源泉である」や第四編「勤勉な努力と忍耐が成功を生む」などの努力信仰、忍耐信仰的なものは、根性論的な、純日本式と言えるのかもしれません。

第八編「意志の持つ素晴らしい力」は、最近流行りのGRITにつながるものがあるかもしれません。
ただし、GRITはあくまでも合理的にやりぬく力について説こうとしていることが、合理主義的な成功哲学ではないという原点から始まっている金谷俊一郎氏の信じる成功哲学とは異なっているように思いますが。

また、第十編『金銭の用い方』では倹約の重要性が説かれています。
倹約とは、「優先順位を決めて将来の備えを行い、無駄な出費を省くこと」であり、かつ「社会の不正を嘆き、正義を守り弱い人を守ろうとする気持ちを助けるもの」だといいます。
私はここらへんにもアメリカ的な雰囲気を感じます。キリスト教的といいますか。

一方で、この編には清貧思想のような節もあります。

例えば「他の人は、国の年金を求めればいい。私はあらゆることを倹約し、貧しい中でも自らの力で自立している。だから、たとえ財産がなくても、私の心は豊かなのだ。私がふだんから国家のために力を尽くしているのは、自分自身の利益を念頭に置いているのではないし、今さら、この考えを曲げようとは思わない。なぜなら私は、自分の庭と菜園があれば、生活には不自由しないからだ」という発言が紹介されていたりしますし、『真実の富は財産にあらず』というタイトルもあります。

また『金銭を重要視しすぎるな』というタイトルの一文では、「世の中で大事業を成し遂げる人は、金持ちではありません。長者番付に載るような人でもありません。大抵は少ない視線しか持たない人なのです」とも書いています。

これらの、財産よりも品格・善良という思考は、まさに清貧思想の一端だと言えるでしょう。
この清貧思想が、社会保障などを怠けるから有害だとする論に転ずるのは、よくあることではないでしょうか。

例えば第十一編『自分自身の力で向上することについて』の『貧困の中でも向上する意志を持つ』というタイトルの一文に「貧困や窮乏の中にあっても自己実現に邁進している人は、決して貧困や窮乏が障害にはならないものです」という記述があります。

これはまさに社会保障(学費助成など)を削減する際に利用される理屈でしょう。

更に第十一編に『労働は学習の妨げにならない』というタイトルの文章があり、そこで「仕事に従事し労働を行うことは、高尚な学問を学び心身の修養をする際の妨害とはならず、かえって利益になるのだということを、私達は知るべきなのです」と書かれているのは、個人的には橋下徹氏の私学助成削減などの動きを思い出すような記述です。

これに関して、第九編『仕事に励むことが人格を形成する』にある『自分自身の力で自立する方法を見つけよう』という一文で紹介されている発言も、まさにそのとおりの内容です。

(とある子どもに食料を与えてほしいと頼まれたことへの返答)

「私はすぐさま、あなたの要求に応じるべきところなのだが、そうできないのには理由がある。

私が思うに、人間は自らの力で何事も成し遂げることができる。これは至って当然の理屈である。つまりは、少年に少しばかりの食糧を与える理由が私にはまったくないのである。もしそれをしてしまえば、少年は自分の持っている力を過大評価してしまい、自ら一生懸命努力しようという気持ちを失ってしまう。そうなってしまうと、彼の受ける損失はこれ以上ないほどに大きなものとなってしまうだろう。少年にはただこう言えばいいのだ。

『あなたは、自分自身の力で自立する方法を見つけ出していくべきなのです。あなたが餓死するかしないかは、あなたが自ら奮い立って努力するかしないかにかかっているのです』

これ以外の言葉を少年にかけてはいけないと私は考える」

第一二編『従うべき手本について』にある『家庭での教育の重要性』というタイトルの一文は、私にとっては「親学」や「家庭教育支援法案」を思い出すような内容です。以下にその一部を引用します。

家の中で手本を示すことが、将来の子どもたちの品行を形成する基本なのです。液体状のものが固まって固体になるとき、その物体の性質に従って、三角や四角、その他さまざまな形になっていきます。これと同様に社会のありさまは、家庭でのありさまが集合したものであり、国家の品格は家庭の品格が集合したものなのです。

家庭は国家の核となるものなのです。家の中で行われることが外に放出され、それが社会のありさまを形成し、法や秩序を形成していくのです。

そのため、それぞれの家の掟はそのまま国家の法律となり、国家の法律の善し悪しは、それぞれの家の掟の善し悪しで決まるのです。規模の大きさが違うだけなのです。

それぞれの家の考え方は、そのまま国家の方針となり、国家の方針が正しいか間違っているか、優れているか劣っているかは、それぞれの家における考え方の善し悪しに左右されるのです。

つまり国家とは、実は家庭の中で育まれるものなのです。そして、すばらしい行いをして世の中に利益をもたらす人は、家庭環境から生まれてくるものなのです。

通し読みをした結果、私は、西国立志編について、これが成功哲学とは思わないし純日本式かもわからないけれども、少なくとも政治の構図的に昔で言う革新派が問題視するような、昔でいう保守派の思考フレームが一通り含まれていることが確認できました。

そういう思考フレームを学ぶための参考書としては手に入れて良かったのかもしれません。

こういう思考フレームを持っている人が、百田尚樹のような人を「先生」として参考にするという傾向もわかりましたし。(うんざりしていることには変わりないですが)

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