アダルトビデオと蔑視と出演者支援団体

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毎日新聞に「ウーマンリブの旗手」田中美津さんに聞くという記事が掲載されていまさ。(上)(下)の二本立てです。

上では、ウーマンリブがどういう考え方で組み立てられているのかが垣間見える内容と同時に、AV女優を蔑視する人たちへの批判などが語られています。

そちらには今回は触れずにいきます。

今回私が、疑問視しているのは下の内容です。以下、問題だと考える記述を引用します。

--ただ、多くの人には「AV業界は非常に暴力的な世界だ」という印象が強まったかもしれません。

田中さん ひどい人たちはどこにでもいます。それよりも、難しい問題があるとしたら、AV業界というのは「自分を罰したい女」が集まりやすい職場だということです。自分を痛めつけることによって安定する人がいます。自己肯定が難しくて、「私のような人間は痛めつけられて当然なんだ」という気持ちがある。例えば、夫に殴られ続けても結婚生活を続けていたり、やっと離婚してもまた似たような男と一緒になったりする「バタードウーマン」と呼ばれる女性たち。アルコール依存や恋愛依存なども、みんな基本的には同じ「嗜癖」という心の病です。自分が身体的に危うくなるということが、心の深いところで好きなんです。

やりたくないと言いながら結局、AV出演契約をしてしまう人というのは、そういう深いところで倒錯した自己肯定感を持ちながら仕事をしているのではないでしょうか。数百本も出演して「強要だった」と訴えた人を「何を今さら?」と非難する人もいますが、そういう心の病があることを分かっていないと理解できませんよ。

--そのような出演者のAVは「嫌がっているように見えず、望んで出ているように見える」と指摘されることもあります。

田中さん 自分が切り裂かれることは嫌なのですが、「嫌だから」好きなんです。でも長年、AVで自己を表現しているうちに「ちゃんと仕事をし続けた自分」への肯定感が強くなり、病的なものがなくなっていく可能性があります

被害者もたくさんの「力」を得ている(毎日新聞による見出しの一つ)

AV女優さんたちが「これは自分の人権の問題なんだ」という方向で頑張ることによって、横のつながりはできるから、それはそれでいいと思う。でも、それで本当にその人自身が癒やされていくでしょうか? 人権の視点を否定するわけでは決してないけれども、それだけでは圧倒的に足りないんですよ。その人たちが「立ち上がった」というのは重要なこと。でも、「本当に自分を取り戻していくことができるのか」というのはさらに大事なことですから、私はそちらに関わりたいんです。

これらの発言には、私は二つの懸念があります。

まず一つは、『立ち上がったAV女優さんを、「世の中に大きな顔ができないようなことに関わってしまった私」という場所に立たせてはいけない。』といいながら、業界について「自分を罰したい女が集まりやすい職場」と評するのは、見事に立ち上がった女優さんをそういう場所に立たせてしまう言説なのではないか?という話です。

これには『これは業界が蔑視されているから、そういう人が集まるのだ』や、『この問題は社会全体にとって普遍的な問題だ』というような付け足し解説が予想されますが(後半に「世の中の男女関係をそのまま映しているのがAVだ」という発言があることからも予想できる)、個人的には、そうならば、そうだからこそもっと慎重に語られるべきではないのか?と思うのです。
そうしないと、この話はさらなる蔑視を呼び込み『「世の中に大きな顔ができないようなことに関わってしまった私」という場所』をさらに拡げる可能性があるように思うのです。(少なくとも新聞のような媒体に載せるのは危ういのでは?と考えてしまう。ただ、その他の媒体は更に酷い蔑視が読者の土台があることが想定されるので、中々難しい話ではあるが。)

また、立ち上がった女優さんの一人を理解するためとして『倒錯した自己肯定感』や『心の病』を持ち出して語るのは、『名乗り出た一人一人の物語を大事にしていく』事により、『立ち上がったAV女優さんを、「世の中に大きな顔ができないようなことに関わってしまった私」という場所に立たせ』る行動なのではないか?と考えてしまうのだ。

もっと分かりやすい表現をすると、これは特定の方々に都合のいい被害者バッシングを呼び込む言説なのではないか?と私は疑っているのです。

そのトドメが毎日新聞による見出し『被害者もたくさんの「力」を得ている』です。

さらに「本当に自分を取り戻していくことができるのか」というのは、社会問題に関わる活動をしていると、その活動が正しい事を述べているかどうかを脇に置く言動としてよく第三者を装った、活動者批判者が述べる言説です。

この『自分を取り戻せていますか?』というのを他人がのべてくるのは、私には誰かさんに都合のいい自己責任論の一種のように思います。

加害者が現にいて、それを批判することが自分の意志の可能性もあるのに、わざわざ『加害者にかまってたらいつまでも他人の人生を生きることになるよ。他人の批判をやめて自分と向き合う人生を生きなさい』と邪推するのは、加害者批判を封じる効果を生み出すわけです。

この効果に私が着目したのは、アダルトビデオ出演者の支援団体を作った川奈まり子氏がツイッターで『やはり、神回』とツイートしていた事がきっかけになったように思います。

この団体が生まれるきっかけであり、このアダルトビデオ問題の着火元といえる告発なとが発生したときに女優さんなどが行ったのは、『元女優が『AVは無理矢理やらされた』と言い訳し彼氏が騒いだことが発端。』だと真偽不明な情報を(事務所公認で)流してみたりツイキャスで勝手に被害者名を暴露してみたり、『被害妄想なメンヘラ』と言い放つなどの個人バッシングだったわけです。

そしてバッシングした方々の一部がこの団体のサポーター募集の宣伝に協力していることが、団体のトピックに掲載されています。

これらをしっていたら、今回も、そういう個人バッシングの動きに沿っている言説なのではないか?と疑うのは、おかしくないと思いませんか?

そして、私は見事に個人バッシングを呼び込む言説である可能性が高いと判断したので、この記事を書きました。

業界への蔑視、社会問題活動への蔑視、様々な蔑視を駆使した被害者を無力化する言説である可能性が高いと私は思います。

これをアダルトビデオ出演者支援団体代表理事が神回と受け取る事を、私は危惧します。

また被害者バッシングが発生することが無い様に願います。

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