韓国のデモの件を取り巻く言論を例に民主主義を考える

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韓国のデモで100万人動員(警察発表26万人)という事実で「民主主義が進んでる」って考えるヤツがいるんだよな。こんだけ参加したら「民主主義がないから民主主義を求めている」か、「単なるお祭り好き」じゃねぇの?』というツイートに関して私は上のツイートを返しました。

民主主義という言葉には色んな意味含まれているように思います。

その中に、デモなどで人民の意思がきちんと表出される、そして、更に良い民主主義を求める意思が発せられている、ということも、民主主義があるかどうかの判断材料の一つになるのではないか?と思うのです。

 退陣デモの現場でも、SNS上でも、「これでも国なのか」という絶叫が鳴り響いている。この中には「そもそも何が問題なのか」が凝縮されている。

大統領をこの手で選ぶことができる権利をせっかく勝ちとったはずなのに、30年近く経っても、「仕事を任せる分、なぜしっかりとコントロールし、責任を負わせられなかったのか」という慙愧ざんきの念。そもそもそんな人物を選んでしまい、「委任と責任の連鎖」という代議制民主主義のメカニズムを利かせられなかったのは、究極的には自分たちのせいだという主権者意識。

だからこそ、韓国国民はここまで怒っている。つまり、問題なのは、国政介入の真相以上に、「民主化以後の韓国民主主義」「1987年憲法体制」のあり方なのである。

絶体絶命の朴槿恵政権、韓国国民が怒る本当の理由 : 深読みチャンネル : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) 2/4

 

無知の知、という言葉があるように、私は民主主義がない、と思うことも民主主義という考え方が存在するからこそ出来るのだと思うのです。だから『民主主義がない』と考え、民主主義を欲する行動が出現すること自体『民主主義が進んでいる印』だと私は考えるのです。

少なくともそういう姿勢もなく『どっかの国よりマシ』とか言っちゃう人が増えてきている所よりはマシなんじゃないの?というのが私の感想です。

ただし、韓国の『政治制度』が機能していないというのはその通りで、民主主義には、そういう政府機能とかそういう制度が機能しているか以外の評価軸がある、というだけの話だと思います。
(中川淳一郎氏は制度の機能不全の話をしていて、中川淳一郎氏が批判している人は市民の政治参加などの意味で民主主義を考えているという話)

民主主義の他の制度と比較して良い点に「行き詰ったときに軌道修正することが他の制度より容易い」というものがあり、その修正方法の1つにデモが存在している、というだけの話だと思います。

そういう観点が、中川淳一郎氏からはスッポ抜けてしまっているというか、(否定ありきで)複数の観点を混同してしまっているように私には思えました。

ちなみに、別な記事で中川淳一郎氏は以下のように書いていました

そもそもデモをやらざるを得ないほど民主主義が足りないからデモをするのでは? デモ=民主主義論者は「自由に人々が主張できる環境こそ民主主義である」と述べる。だったら日本の差別主義者が「在日特権を廃止しし、在日韓国・朝鮮人を本国に強制送還しろ!」と主張し、朝鮮学校への補助金に反対するなどしていたことも「民主主義」になるのだろうか。

韓国の民主主義が羨ましい!?日本の一部ネット上で話題に (AbemaTIMES) – Yahoo!ニュース

わざわざ在特会とかを持ち出している時点でこの『デモ=民主主義論者』なるものを特定の主張の持ち主と見定め、その人を揶揄しようとする悪意しか感じないのですが、この点に関しては、主張が出まわる環境が存在していることと、そのような主張をどう判断するか、という点は別であると考えて欲しいと思います。
在特会の活動も民主主義につながっていることは、宮武弁護士がヘイトスピーチデモが中止になった際に危惧を覚えたこともあるように、当然のことだと私は思います。

ただし、在特会などのヘイトスピーチに対しどのように対処していくのか、ということも「民主主義」というものの一部になるのではないかと私は考えるのです。

在特会の活動方法は民主主義的かも知れないが、主張内容であるヘイトスピーチに関しては民主主義とは別の問題である、若しくは民主主義を阻害する可能性のある言論であると私は考えます。
そういう意味で、『デモ=民主主義』と在特会の是非は別の話です。

ちなみに、ヘイトスピーチに対処が必要だと考えるのか?という部分では意見が別れる場合もあると思うのですが、いずれにせよ、デモの主張や言動が過激化することは『(直接)民主主義の暴走』的な話であって、非民主主義とはいえないと思うんです。
議会制民主主義などの間接民主主義を否定しているかどうかと、民主主義そのものを否定しているかどうかを直結するのは、ちょっと違うのではないのかな、と思います。

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