貧困解消のための格差是正

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格差(不平等)は、「それ自体で」悪いことなのでしょうか。たとえば、二人の所得が違っていても、それぞれ生活するのに十分なおカネを持っていれば、収入の格差を是正すべきとはなりません。

(中略)

「格差是正」か、それとも「貧困の救済」かでは、具体的な政策も変わってきます。

「格差」があって、なぜ悪いのか?|いま世界の哲学者が考えていること|ダイヤモンド・オンライン

この記述の後に『フランクファートが議論したのは、あくまでも原理的な問題なので、そうしたことを細かく追究してはいません。』というように書いているのですが、その通りに細かいことを追求していないことでこの議論は空回りしているように思うのです。

それは『生活するのに十分なおカネ』という事を考えるとわかります。

例えば、日本政府が設定している『生活するのに十分なおカネ』として使える指標として、生活保護の基準があります。それを設定する際に使われる重要な指標の1つが物価です。

それはそうですよね。生活するためには一定の購買が必要であるわけです。そしてそれを保障するためには、物価を考慮しないといけないわけです。

そして物価を左右するのは『市中に流れるおカネの量』と経済学では言われています。その量が多いほど物価は上昇し、量が少ないほど物価は低下するというのが、いろんな要素を排除した上で単純に物価を考えた時の見方となるはずです。

その上で『生活するのに十分なおカネ』ということを、その際の物価を考慮する必要があるという前提を含め考えると、その『市中に流れるおカネの量』と『生活するのに十分なおカネ』というのは比例して上下する事が必要である、と考えるのが無難ではないでしょうか?

つまり、貧困を解消するためには、格差の解消が必要だということになるわけです。

また、格差が放置されると『生活するのに十分なおカネ』が釣り上がって行く状態なのにもかかわらず、格差の下の方にいる人間がドンドンついていけなくなる事になるのです。(ピケティの言う『資本収益率と経済成長率の間のギャップ』が広がっていくことを指す)

そのように考えれば『「格差是正」か、それとも「貧困の救済」か』ではなく、『貧困の救済のために格差是正が必要である』という事が『格差は悪』と考える前提にあることが分かるのではないかと思います。

(それ以外にも、社会への影響力を格差が左右したりするので、『誰もが十分なおカネをもつならば』という前提は格差が拡大する程、阻止される可能性が高まっていくのです。)

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