復興大臣、また『被災地が自立するように突き放す』宣言

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 地元負担をしていただくということは、基本的に私は前からお話ししておりますように、全て与えられるお金でやるよりも、一部でもリスクをとるということは、人間は本気になるものだということに着目をいたしております。

被災地は必死でやっているのです。必死でやっているのですが、いよいよ後半の5年間を迎えるに当たり、更に必死のギアをもう一段上げていただきたいという思いで、自己負担をお願いをすることにいたしました。

出典:竹下復興大臣記者会見録[平成27年6月18日]

(地元負担の導入は)被災地の自治体の方に自立する気概を持っていただきたいということで決めた。』や『自ら負担することで本気で考えるということが重要だ』と被災地が自立していない、本気でやっていないというような言動を行っていた復興大臣が、更に『リスクを取ることで本気になってほしい』『必死になってもらうために自己負担を願う』と言い出しました。

被災地にこんな理屈を適用してしまうと、例えば奨学金が実質低利率の借金と化している事も『借金をすることで勉強に必死に励むから良いんだ』なんていうとんでもない理屈が適用されてしまいます。

また、いろんなもののリスクを押し付けることがこの理屈で正当化されることでしょう。ワタミも大喜びしそうな気配すらあります。そういういろんな歪みを正当化して、鏡のように映しだしてしまったのが、この『復興事業計画』なのではないでしょうか?

 

ちなみに一番この意見がイラッと来るのは『本当の理由を隠すために出されたとしか思えない』という点にあります。

まず、『リスクを取ることで本気になる』かどうかはやってみないとわかりませんし、火事場の馬鹿力などの慣用句もあるようにもしかするとあり得る可能性はあります。しかし、現在被災地とされた地域にそのような馬鹿力を出す余力があるのかどうか、私には確かな判断はできません(個人的にはなさそうだと思うのですが)。

で、そんな不確かな根拠をなぜばらまくかというと、実際にこの計画を策定するに至った真の理由を誤魔化すためにしゃべっているんだろうと思うんです。(そうじゃなければ本当にアホなんだという意味で)

その真の理由とは6月3日の大臣会見でも触れているような『これはほとんど大きな要素ではありませんが、国の財政状況、あるいは他の小さな地方自治体との公平感といったようなものを総合的に判断をして決定をさせていただいたところでございます。』というものだと思うのです。

『財政的に厳しいから予算カットします』ということは「『自立をしてほしい』という都合のいい建前」という記事で書かせてもらったんですが、それに今回は『他の小さな地方自治体との公平感』という、要するに『被災支援金をもらって遊んでいる』に似たような『被災したことで支援がもらえて楽ができてよかったね』というような被災者・被災地への妬み、バッシングを受けた結果なのではないでしょうか?

そして復興計画として、要するに『「被災したので」という理由はそろそろ使えない方向に向かっていきます』という事を言い出しているわけで、復興庁という存在の自己否定を始めているのが現在なのではないでしょうか?

復興庁という組織がいつまで存在し続けるのかも怪しくなってくるのが、先月からの一連の復興大臣発言なのではないでしょうか?

復興が大事だと述べていた自民党の自己否定にも思えるのですが、どうも(支持者も)集団的自衛権にこだわって、他のことは何も見えなくなっているようで、なんというか残念ですね。

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