(この感想、記憶違いなどがあったらごめんなさい。メモも何もしてないので)
ちらほら見える感想を見ると主人公のメイベルの猪突猛進さにばかり視点が引っ張られる人が多いようだ。
しかし、メイベルがなぜあそこまで他人の意見を聞かないのか、それは果たして本人のせいだけだろうか。
映画冒頭でメイベルは子どもに粗雑に扱われていた教室にかわれていた動物を逃がそうとする。亀がひっくり返されたまま放置されていたように、教室での扱いは酷かったのは明らかだ。
しかし、メイベルを捕まえた学校関係者や母親はメイベルの話を聞こうという姿勢がない。
どうすれば良いかを教えてくれる人が、「自然と一体になると怒りを忘れる」と教えてくれたおばあちゃん以外いなかった。
でも、その怒りを忘れるための池がなくなる、メイベルが怒りを忘れるためのものが人間の手でなくなってしまう、それが物語のスタートであるということを考えても、子供の頃からメイベルに手を焼くばかりで、一方的に現実はこうだと押さえつけようとする人しかいなかったのが、メイベルが他人を信じなくなり猪突猛進さを加速させる事になったのではないか?と思ってしまう。
私にとっては、メイベルに共感できない、メイベルは大人として許されない、メイベル嫌い、という感想を残す人の存在が、この映画のメイベルに共感する大きな理由の一つとなった。なんなら、そういう人が猪突猛進なメイベルを生み出すのではないかとすら思った。
その猪突猛進さを緩めたのは、あんな事になっても話を聞いてくれ、寄り添って居場所をくれたキングジョージだった。そういう点がもっと考慮されてほしい。
また、メイベルと対峙する形で市長がいい人、みたいな扱いをする人がいるが、はたしてそうか?悪い人ではないかもしれないが、果たしていい人であるか?
そもそもメイベルがここまで大暴れするきっかけは、大事にしていた池が工事でなくなること。
この池の工事について、市長は「動物のいるところは避けた」としていたが、実際は工事をしたい場所に、動物からしたら聞き続けると聴力を失うレベルの騒音を流すことで動物を追い出すことで、工事をする場所を動物のいない場所としていた。
そしてそれ(騒音作戦)は博士すら知らなかったように見えるのだから、多分市民等々には説明されずに内密で行われている。「動物のいるところは避けて環境や動物に配慮した」的な説明は虚偽説明だったわけだ。
この結果、動物たちはこれまで慣れ親しんだ場所から追い出され、生態系が持続可能ではないほどの狭さに大量の動物がいる状態に追い込まれている。
この辺の事実ははあのメイベルの猪突猛進な行動がなければ見抜かれなかった事実であった。
この事が軽視されてメイベルばかり悪いと言われているように見えるのは、近ごろの報道など様々なに対しての受け止められ方となにか近いものがあるのかもしれない、とふと思ったり。(「正しくない怒り方」や「正義の暴走」にばかりフォーカスが行く感じ。)
一方、この市長側の明らかな動物にとっての迷惑な行為、隔離政策が、感想で「メイベルは迷惑をかけるから嫌い」となる人たちにとって「迷惑」とならなかったのは様々な理由で動物側が人間に反抗せず、緩やかに衰退していくことを選んでいたからだろう。
しかし、反抗しない(反抗できない)者に負担を押し付けて支持率を集める市長(やそれを支持する支持者)は本当に良い人ですか?と私は問いたい。
また、この市長の悪さは、動物たちが大暴れし始めたあとの、工事中止について脅された市長が、それまで「法律違反はしていない」と言い続けていたのに、ひっくり返して法律など知らんみたいなことを言い出したことからも多少うかがえるのではないか?(このシーン記憶違いの可能性もあるがたしか言ってたはず)
それまでは法律を盾にしていたが、実際は違法の可能性がある、しかし法律なんかどうでもよくて、実際には自身の2選目のために道路を作りたかったかのような言動が出てくる。
そういう感じで、脅されてももう引き返せないみたいな市政だった市長が計画変更をできたのは、あの最後の大火事で建設中高速道路が燃え落ち計画変更ができる余裕ができたから。
その余裕ができたうえで、自分の街が失われる可能性があるような火事が起こったことで、動物とメイベルが自分の街が失われたということに寄り添うことが出来るようになったから、ではないかと思う。
そういう意味で一連のポジティブな結果はメイベルの(誰かにとっては迷惑な)行動がなければ起きなかったことばかりであるように思うが、一部の人達は黙って池がなくなり、動物たちが無理やり狭い地域に移住させられ、それに皆が慣れる事が平和だと思うのだろうか。
(ちなみにこのへんの点について映画とは全く関係ないが関連するようなツイートを見たのでここに貼っておきます。権威主義体制や独裁なら『議会が荒れるインセンティブが市民の代表たるべき議員にない』から荒れない。議会で喧嘩が起こるのは(健全かは別として)民主制が機能している証左というのは、重要な見方の一つな気がします。)
また、ジェリー市長のモーニングルーティンのシーンがあるが、アメリカのホームドラマによくありそうなテンプレ的な「理想の白人家庭」的な描き方をされているように見え、あれはむしろあの流れで見せられると、私には自分の周りだけ綺麗にしているやつ、みたいに見えてしまった。
キングジョージとジェリー市長、同じ(動物)市民に話しかけるシーンでも、キングジョージは相手に寄り添うためなのに対し、市長は自身が支持されていることを確認するための方法であったと言うか。
そりゃメイベルと比較したら他人が見えていたのかもしれないが、市長は支持者しか見えていない人であったように見える。あの映画では明確には出てこなかったが、あの市長に、支持されないからと必要なのに放置されてる施策や人がいるのではないだろうか。(明確に描かれなかったが、ヘルパーさんを必要としていたおじいさんとかも、もしかするとそういう市政に後回しにされた人なのかもしれない、とか思ったり。)
また市長の支持者も市長の支持者で、偽市長が人間優生思想的な発言で煽りだし、そのうえで「虫を殺したことがあるか?」という冷静に考えると謎な質問をしだした際に「今殺したぞ!」と言い出すという、変なことをしても疑わないどころかむしろ自分から積極的に忖度して行動するような事態になってしまっていた。
それでも(むしろそんなに加熱していたから?)、市長は街を多数派にとって便利なものにし続けないと選挙に勝てないと思い続けていたことについても色々考えてしまった。
最後に、この映画をもっとシンプルにビーバー可愛い!楽しい!と見れる自分でいたかったな、と最初の方で思ってしまったが、それでも結局ビーバーが可愛くて面白い!というのはそうだな!と思えたのはとてもよかったです。

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