インチキ政治ジャーナリスト批判

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ダイアモンド・オンラインに『一大新勢力「民進党」への期待が一向に高まらない3つの理由』というものが掲載された。

一大新勢力「民進党」への期待が一向に高まらない3つの理由(上)|DOL特別レポート|ダイヤモンド・オンライン
一大新勢力「民進党」への期待が一向に高まらない3つの理由(下)|DOL特別レポート|ダイヤモンド・オンライン

記事の内容も批判するが、まずこの筆者の肩書に違和感を覚えた。『政治ジャーナリスト』

さて、政治ジャーナリストという肩書で検索すると、最近、長年取り組んできた無戸籍問題で注目を浴びている井戸まさえ氏のBLOGOSに転載された記事が出てくる。

「政治ジャーナリスト」を見分ける術

そこには以下のように書いている。

「国会議員秘書」「国会議員政策秘書」と書いて誰の秘書だったかを書かない人については、ちょっと慎重に見た方が良いと思う。

これは秘書に限らず、政治家もそうなんだけど(笑)

当然ながら、それを書くことが自分にとって「マイナス」だと思うから書かない。政治的中立性を保ちたい、という意図があるとしても、例えばどの雑誌に寄稿しているかとかを見れば、ある程度の「傾向」はわかるもの。

当時の働きぶり他がわかるといやなのだろうかな。

この記事が「憶測記事」かどうかはわからないが、人のことを書くなら、まずは自分のことも書いておけ、だよね。

 

さて、先程のダイアモンド・オンラインの記事には以下の記述がある

予め断っておくが、筆者は学者ではない。マッキンゼーでコンサルタントとして働いた後、国会議員政策担当秘書として政治の世界へ飛び込んだ。与野党の国会議員事務所で2年半働いた後、兵庫県第10区(加古川市、高砂市、稲美町、播磨町)より衆議院議員選挙へ出馬し、5万1316票を獲得するも落選。一民間人の感覚で政治の現場や裏側を見た経験を活かし、政治をできる限りわかりやすく面白く読者にお伝えしている。

この記述があることで、先程の井戸まさえさんの指摘は当たらないようになっているように思えるかもしれない。しかし、この後の記述の内容にも関わる、重大な事実が、この自白から抜け落ちている。

それは、出馬した時の所属政党と応援者だ。

まず国会議員政策担当秘書と名乗っているが、この国会議員とは新原秀人元議員のことである。そして、衆議院選挙には維新の党から出馬。応援者として現おおさか維新の会の清水貴之議員がいる。

そして維新政治塾の塾生であることも調べると分かる。要するに橋下維新の会の政治思想を持っている人間なのだ。それが『一民間人の感覚で』と、さも中立のように名乗っているのだから、呆れるばかり。
(ここまでの内容は、本人のブログにきちんと掲載されている 未来志向のススメ! ~松井雅博OFFICIAL BLOG : 【第1275話】あらためまして、松井雅博です!

要するに、このインチキ政治ジャーナリスト、松井雅博氏ののコラムを読む際には、橋下維新支持者の思考回路を分析する、という読み方をしないといけない。
基本的に政治ジャーナリストというのは胡散臭い人間の集まりなのだが、この人もそういう人なのだということだ。

 

さて、松井雅博氏本人の経歴や思想傾向の記述はここまでにしてこのコラムのアホくさ加減をここからは記述していく。

旧「維新の党」の議員は、そのほとんどが比例復活で当選している。すなわち、「維新」の看板もしくは「橋下徹」の人気にあやかって当選した人たちなのだ。

この記述は印象操作も甚だしいと言わざるを得ない。そもそも比例復活には自らの選挙区の得票が必要であり、その得票に橋下徹の人気が関わっていたかどうかは、関西以外では怪しいのではないか?

更に維新の党の議員には、みんなの党から移って、衆議院選挙で選挙区当選した人が存在している。(神奈川8区江田憲司、東京15区柿沢未途、長野3区井出庸生、兵庫1区井坂信彦)
また、参議院議員は一切橋下徹と関係なく、皆みんなの党時代に当選している人間だ。

維新の看板や橋下徹の人気にあやかった議員もいるだろうが、『ほとんどが』とか『人たちなのだ』と言い切るのは印象操作も甚だしい、と私は思う(そしてこういうところが維新塾出身の元橋下系候補者らしいなぁ、と思う。これ以降もそういう記述がいっぱいある。)

 

ここで筆者が言う「サヨク」とは、人々の不満につけこみ社会不安を煽り、現実離れした理想を掲げ、ひたすら「税金をよこせ」とあたかもお金が天から降ってくるかのごとく政府に乱暴な要求を行う姿勢、とでも定義しようか。民主党はもはや「サヨク」のレッテルを貼られてしまった。たとえ党名を民進党に変えたところで、この評価は変わらないだろう。

この筆者、とうとう『サヨク』という言葉を使い出してしまった。この時点でお話にならないと、また私は思う。『ひたすら「税金をよこせ」とあたかもお金が天から降ってくるかのごとく政府に乱暴な要求を行う姿勢』、そんなものどこに存在しているというのか、筆者はこの後に待機児童問題に触れ始めるのだが、そこもまた頓珍漢な認識でいるから、このような「サヨク」などという頓珍漢な定義によるレッテルを認めてしまうのだろう。

 

冷静に考えれば、自分の子どもを保育園に入れられなかったからと言って、憲法上の権利が侵害されているわけでもなく、「日本死ね」は言い過ぎである。

憲法上の権利を害されていないから、日本死ねと言うな、という主張。『机上の空論』という印象を受ける。

また、憲法上の権利が害されていない、と筆者は述べているが、状況によっては『勤労の権利』を害することがあるというのは、想像できないのだろうか。
「待機児童」は「働く権利・義務」を奪う憲法違反という考え方 | 吉田大樹 )

また筆者はこの記述の後にいくつかの数字を持ちだして以下のように語る。

 こうした事実に目を向けることなく、安易に不満を煽ることで必要以上に社会不安を高めてしまえば、ますます悪循環に陥るだけだ。

また、「年金がもらえない」と騒げば、本当に年金保険料を支払わない人が増えてしまう。現実は、確かに高齢者の増加によって国民の負担は増えるものの、みんながきちんと払っていれば、額が減ったとしても破綻するリスクは低い。

「世代間格差」という批判もよく耳にするが、年金を削減することが若者への配分を増やすこととは必ずしも言えない。若者だっていつか年をとるわけで、自分たちが将来もらえる年金を減らすことに他ならないのだから、世代間格差はより広がることになる。それに、明治、大正、戦前、戦後と人々は皆それぞれの時代において、様々な課題に直面しながら生きてきたのであって、今の若い世代が前世代と比べて著しく不遇な時代にあるとは筆者は思わない。

不安を煽るな(不満を煽る、と記述しているが、不安を煽るの誤字だろう)、この言葉はよく聞くが大抵その不安を煽るなという言葉によって、無視されていく細い現実がある。

この筆者は大きなデータを使って『このような事実があるのだから不安を煽るな』と述べているのだが、その大きなデータだけで個人の不安を解消できると考えているのだろうか?

挙句『人々は皆それぞれの時代において、様々な課題に直面しながら生きてきたのであって』と、『みんな苦労したんだから、今の若者も苦労するべきだ』と言うような自己責任論を口にしているのだから、呆れるばかりだ。

新党は保育士の賃上げ法案を提出する意向のようだ。だが、国が全国の保育士に1万円ずつ配るなど、愚策以外の何物でもない。

この一万円というのは、多分介護福祉に従事する人への法案のことなのではないか?
民主党 | 介護・障害福祉従事者の人材確保に向け処遇改善特別措置法案を提出

確かに、保育士に関しても当初報道は1万円の増額だったのだが、その後提出された法案は5万円の増額だ。そして、それは新党になる前に提出されているのだが、そんなことも知らずに『提出する意向のようだ』などと呑気に語っているとは、どういうことなのだろうか。( 保育士給与5万円引き上げ法案 野党5党が提出 | NHKニュース )

 

保育所の問題は、はした金をばらまけば解決する問題ではない。たとえば、規制緩和で民間企業参入を促進させ、保育士人材を幅広く獲得するとともに、財源を地方へ移譲し、地方ごとの事情によって保育所増設を可能にしてやることが必要である。

でました、なんでも規制緩和!

これまでの保育所関係の規制緩和・地方分権については、朝霧市議会議員の黒川しげる氏や、三鷹市議会議員の半田伸明氏の指摘を見聞すれば『何にも意味は無いし、むしろ実態が複雑化し悪化する』方向に動くことは明白なのではないだろうか。

3/12 2000年代保育園政策はどう展開されたか~待機児童問題の誤情報による責任論を回避するために: きょうも歩く

 

そもそも、動物としての本能である子どもを作り育てるというシンプルな営みが困難になっていること自体、おかしな話なのだ。総理大臣や政治・行政に助けを求めるのも一つの手だが、現代人が自らの生活・価値観を見直す契機にもならねばならないし、政治家も有権者に媚びるだけでなく、そうした厳しい意見も伝える存在でないといけないと思う。

もう理屈もへったくれも無い記述としか言いようが無い。『動物としての本能である子どもを作り育てるというシンプルな営み』だそうな。トンデモ科学にでも即引っかかりそうな記述である。

更に政治や行政に助けを求めずに『現代人が自らの生活・価値観を見直す契機にもならねばならない』だそうな。個人の自由より、社会や国家の方針に自らを合わせよという主張だろうか。流石維新政治塾に入るような人である。しばき思想極まれりである。

 

この政党不信を抜本的に解決するには、一度、現存の政党をすべてガラガラポンして、新しい政治家を国会に送るべきだと思う。

郵政選挙、政権交代選挙、日本維新の会、減税日本。これらは新しい政治家を議会に送った。しかし待っていたのは不祥事の嵐ではなかったか。

確かに政党不信の解決は必要だし、ガラガラポンも必要だとも思うが、新しい政治家が全て解決してくれるとは私には思えない。
おおさか維新の会系には新しい問題児足立康史が誕生しているわけで。
そういう意味では『民進党が本当に支持を受けるためには、もっと新しい顔ぶれを仲間に巻き込まねばならない。候補者の選定・育成・評価をしっかりとやるべきだ』という誰でも言える一般論は正しいと言えるのだが。

自民党がバラバラでも批判を受けないのは「強い与党だから」であり、野党がバラバラだと批判されるのは、実は政策や思想が問題なのではなく、「弱者の集合体」でしかないところにクリティカルな原因があると言えよう。

最後に、この強者だから批判されず、弱者だから批判される、という構図が本当ならば、これが日本社会の縮図であり、大きな問題点なのではないか、という事を考えてしまう。

そして、強者ばかり生きやすい社会を作るであろう、民営化を煽ってばかりのおおさか維新の会のような思想は絶対に反発し続けようと思った。

 

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