国家=下層の人間を犠牲にするDV親

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タイムラインの写真 – 美しい日本の憲法をつくる国民の会 | Facebook

無題

「憲法改正への提言」という連載を美しい日本の憲法を作る国民の会という右派市民団体が行っているのですが、そこに載っていた『池内ひろ美』氏の憲法改正推進文が、まさに家族のグロテスクな部分を強調する感じの文章だったので、メモとして記事に残しておきます。

家庭内で暴力を振るう父親も、子どもを虐待する母親も、親に背く子どもも、家族が攻撃されたら…と述べていますが、家庭内で暴力を振るわれている人間は家族が攻撃されたらどう感じるか、想像したことがあるのでしょうか?

DVをしている人間が、外的にだけ防衛反応をすることを、さも『家族を守っている』かのように表現していいのでしょうか?それは『家族を汚していいのは自分だけ』というような歪んだ独占欲が出てきているだけではないのでしょうか?

家庭内で暴力を振るう人間や、子どもを虐待する母親が『家族が攻撃された』と思うときには『児童相談所や警察の介入』も含まれるのではないのでしょうか?国家介入が攻撃だと認識されている場合、その家族を守る行動は推進されるべきことでしょうか?

というか国家のことを話すときにDV親の話とか持ちだすのは非常に不味いと思うんですけど、それにすら気づいてないんでしょうか?家族社会学に沿って家庭内暴力も肯定的に捉える学説でも唱えているのでしょうか?

もしかして家庭内暴力を国家による徴税とか執行機関(警察官や消防署員など)による実力行使みたいなものだと思っているのでしょうか。それで家族社会学とかネタにも机上の空論にも程があるのではないですか?

そんなことをいいながら『隣人から家族についての口汚い悪口を流布されたとき、家族が傷つけられたとき、立ち上がり外敵に向かいます。それが男であり父親です。』とさも男だけが外敵に立ち向かうようになっているのは男性として「理不尽」といいたいですね。

男性でも女性でも立ち向かうべきときは立ち向かうべきでしょうし、時と場合によっては女性のほうが適切な場合もありますし、同じ男性でも頼れる男性と頼れない男性がいるでしょう。それは当たり前ですよね?なのに男だというだけで外敵に立ち向かえと出兵命令をくだされる。理不尽では?

この人調べたところ、「私たちの世代はジュリアナで遊んだり、男の利用の仕方を知ってました。あなたが大事よって。 そうすると男はがんがん働いてくれる。 男を死ぬまで上手に利用できるんです。 これがいちばん賢い女です。」と述べていたり『トヨタ自動車の期間工について書いた日記(ブログ)の中で、「彼らは『トヨタ』を漢字で書くことができるのだろうか」などと記述』しているなど、要するにエリート女性として男性やブルーカラー労働者をこき使って、ひたすら自分が蔑んでいる存在の居るような、汚い場所に身を置かないようにしている世渡り上手な外道なのだと思います。ソース:池内ひろ美 – Wikipedia評論家池内ひろ美ブログ 「職業差別」で炎上 : J-CASTニュース

こんな外道野郎が推薦文を書いている状態で『美しい憲法』なんて言われたら、そりゃ上層階級の人間にとって『美しい憲法』であって、あらゆる下層に位置する人間を犠牲にする、とても美しく綺麗な国家(まるで失敗した社会主義国のような、理想だけ高く、実態を隠蔽する統制国家)が出来上がるのだろうと思ってしまいますね。

国民の命を守るとか言って国外と戦うことを表明されても、国内で迫害されてちゃ意味が無いというのがこの人達にはわからないようですし。(家族と家族構成員の完全一体化をしたり、国家と国民の完全一体化をしているという、マヌケな間違いも真剣に間違いじゃないと思っているようなので)

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