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外交 外国関係

韓国への指摘を相対化してみる

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韓国の大法院が下した、元徴用工の個人請求権に関する判決を巡って、韓国という国に対して色々と言及されています。
私は、そこで司法の動き方などが韓国特有であるかのように語る議論に違和感を抱いたので、なぜ違和感を抱いているのか述べていこうと思います。

司法と政治判断

まず、韓国の大法院が裁判にて導いた見解は以下のハンギョレ新聞の記事が参考になると思います。
私のこの記事では、この判断自体の個別具体的な賛否は示しません。もっと一般論的なことを論じます。

その一般論的なことを述べる際に、この裁判にも関わる重要な点は、条例の成立というものには多少なりとも重要なところで「政治判断」というものがつきものだということです。
今回の裁判の俎上に上がっている日韓財産・請求権協定でも政治判断で決められていることは、万人が認めるところだろうと思います。

町田さんは「日韓は当然、徴用工の問題も意識していた」とし、「30年以上(朝鮮半島を)統治したから色々な問題があった。全部議論したら、いつまで経っても国交正常化できない。お互いが事情を理解したうえでの政治決断だった」と語った。

「日韓、徴用工の問題も意識」協定結んだ53年前の事情:朝日新聞デジタル 

それが裁判で裁かれるということについて、どう考えるか、というのが論点として出てくるのだろうと思います。

日本では、統治行為論などの、条約を出来る限り尊重する方向性の論理があるということが、砂川事件の判決によって目立っていますが、一方でそういう裁判所の判断について批判があるというのは周知の事実であろうと思います。

また、原発訴訟など、専門知識が必要な領域ををどう裁くかということでも日本の裁判所は苦労していますし、どうすればいいかについての議論も存在しています。

今回の韓国の大法院が下した判断については、日本が向き合っているこれらの問題(政治判断などの専門的判断を裁判所がどう扱うか)と共通する物があるのではないでしょうか?
個人的には、日本での反応の中には、原発について差し止めの判断が下った際の、裁判所に対しての批判的反応と似たような物があると思っています。

司法と常識・民意

ここで原発を持ち出したことによって連想する人もいるとは思いますが、裁判所が民意を反映した判断を下すことについての是非も、今回の反応には関係してきているでしょう。

先程リンクを張った、科学技術をめぐる裁判についての論述でも触れられているのですが、政策形成訴訟というものがあり、そのような政策に関連する訴訟ではどうしても「判決の社会的影響」などが考慮されて判断を下すことになってしまいます。

フジテレビが嫌韓を煽り立てるために書いたとしか思えない記事に以下のような記述があります。

これまで韓国の司法が「法と証拠」だけに基づいて判断しているのではなく、「世論」や「政権」を意識して、法を超える「国民情緒法」に基づいて判断しているとの批判を受ける判決を下してきた

日韓関係炎上!?徴用工裁判と韓国司法の闇 - FNNプライムオンライン

こういう言説を見聞する際に気をつけないといけないのは、ここまで触れたように、世論や政権を意識した判断をしているのは韓国の司法に限らないということです。
例えば、アメリカの裁判所とトランプ政権の駆け引きなんかはよく見聞するのではないでしょうか?

政策形成型訴訟が存在し、そこにどこまで深く関わるかで各国の司法に違いがある、というのが本来の観点であり、そこで韓国の司法は積極的に政策形成に関わる方向で動くことが多い、ということなのだろうと思います。

そこで「情緒的」と言い出すのは、煽り過ぎかつミスリード的であると私は思いますし、それを韓国特有であるかのように述べてしまうのも違和感があります。

例えば、日本でも刑事裁判の方面で裁判員裁判を取り入れる(本来は民事裁判でやるべきという指摘が多い)などの「日常感覚や常識を取り入れる」方向での司法改革が行われていたりしますし、どのようにそういういわゆる「常識」を取り扱うかというのは、日本の司法でも課題になっていると言えるように思います。

そう考えれば、『「法と証拠」だけに基づく厳格な判断』という概念を韓国の司法の対の概念であるかのように扱うのはおかしいと私は思うのです。

この点に関して、中央日報の記事のインタビューに興味深い言及がありました。


-大法院の判断に同意するか。

 「同意しない。当初、韓日会談には賠償要求が含まれていた。ただし、日本と連合軍側の48か国が締結したサンフランシスコ講和条約には、韓国が条約当事国として含まれず、賠償を請求することができなかった。講和条約によって規定された後続措置によって、請求権・財産権交渉が行われ、韓国は日本に賠償・補償・請求権の入り乱れた要求を出した。ここで、韓国が直面した現実を総体的に見なければならない。経済的に国民所得100ドルにもならない最貧国であった上、南北関係でも劣勢だった。韓国の立場としては、対日外交を突破口として経済と安全保障問題を解決するために、外交的選択をしたわけだ。協定が対日過去清算という問題を完璧に解決することが出来なかったということは、誰もが知っている。そうするしかない状況だった。判決を下した大法官(最高裁判事)らが当時の交渉に当たったとしても、それ以上の結果を導くことはできなかったはずだ」

ー司法部が請求権協定を無力化したという指摘もある。

 「大法官たちは天界にいる仙人の立場で見ているようだ。司法部のせいにはしたくない。彼らは法理の観点だけから判決を出したのだろう。韓国の憲法では35年の植民支配が不法だとされているが、一方で請求権協定には不法という言葉が出てこないため、その違いを見つけて指摘するのは簡単だ。国際政治の現実まで考慮していれば、このような判断は下せなかったはずだ。司法部の形式面だけからみれば、植民支配されていた35年の間に起きた全ての不法行為について損害賠償を請求できることになった。そうなった瞬間、歴史戦争が始まり、1965年体制の根幹が崩れることになる。行政部の責任が重くなった」

強制徴用:韓国の専門家「国際政治を考慮しない判決、同意しない」

「法理の観点だけ」で判断したからこうなったということを述べ、その上で証拠として国際政治の現実を採用してほしかったというようなことを述べているわけです。

こういう議論があることを考えると容易に『「法と証拠」だけに基づく厳格な判断』なんて言ってはいけないことが理解できるのではないかと思います。

外務省出身の元国会議員の緒方林太郎氏が以下で述べているのも、上記インタビューで触れられているような当時の「交渉の背景」的なものを証拠として採用されている交渉記録を解釈する際などに取り入れてほしかった的なことじゃないかと思います。

私はハングルが全く読めないので、判決文を直接引用する事が出来ません。なので、韓国メディアの邦字報道を見てみました。仮にこの報道にあるようなものが裁判所の判断であるとするなら、元担当として言えるのは「そういう事を言う人間が出てくる事が交渉当時から想定されていたから、条約交渉過程で丁寧に財産・請求権協定で請求権を外していったのよ。」という事です。それはそれは緻密な交渉を、先人はやっている事は私がよく知っています。
 
 これだと、日本がかつて韓国に残してきた財産、権利、利益について返還すべしという議論が出て来かねません。この手の条約というのは、全体の中に「貸し」と「借り」があります。日韓基本条約と日韓財産・請求権協定は全体としてのバランスの中で成立しています。一つが崩れると、全体のバランスが崩れます。

緒方林太郎 「日韓財産・請求権協定」

証拠に内在する常識と民意についてどう扱うかというのは、多寡も含め常日頃から各国の司法を取り巻く議論の一つであるのではないでしょうか?

民主的と安定

これらを踏まえた上で、なぜ韓国に対して批判的な声が多くなっているかというのは、以下の記事を読むと見えてきます。

「約束を守らない」というと、人間性の評価につながるような、道徳的な言葉が使われがちですが、道徳的な見方を混ぜ込むのは適切ではないように私は思うのです。
そうではなく、「正統性が不安定である」「何が正しいかが不安定である」ということが、韓国という国に関係して活動することが困難であると思われる理由なのだろうと思うのです。

物事の正統性が不安定なので、どこまでがお互いの共通認識なのか判断できず、将来を予想して活動することが困難である、ということが「常識」「まともな国」云々という粗雑な言葉に込められている本当の主張なのだと思うのです。

この辺に関しては、例えばブレグジットで企業流出騒動とか、トランプ政権への政権交代で企業が懸念みたいな、そういうものと同一軸にある懸念なのではないかと思うのです。

更にいうと、日本での民主党への政権交代時の初期に日米の核密約や沖縄基地問題についてなどの外交面の見直しなど様々な検討をして挫折していること。
その後に、政権の座についた安倍総理が「国民の強い信任を得て、一層強力な経済政策を展開していく。国民の信任は強い外交の源泉でもある。継続こそ力だ」「どうしてこんなにこの数年間で首相が変わったのか。私は最初に一年間で終わらざるを得なかった政権の担当者として、大きな責任を感じている。挫折した経験を生かしていきたい。国民の皆様に不安を二度と抱かせない政権運営をしていきたい。政治の混乱と停滞に終止符を打つためにも、安定的な政権運営を行っていくことが我々の使命であろう」と述べ、それが経済界などの支持を得ているということも、この懸念に関連する事項ではないかと思われます。

また、個人的には、ブラジルの大統領に極右と言われるボルソナロ氏が選ばれ、その理由の一端として「秩序回復」が述べられていることや、『「規律正しい」日本は、理想とする国の一つ』と語っているらしきこともつながっていうのではないかと思うのです。

もう一つ、ボルソナロ氏勝利の要因は、「秩序回復」の訴えだろう。この国は汚職と犯罪により社会秩序が大きく損なわれている。ボルソナロ氏はこれに対し、強権で対処すべきだと主張する。「ブラジルのドゥテルテ」と言われる所以だ。ボルソナロ氏は軍司令官出身であり軍政へのノスタルジーを隠さない。

 国民は軍政にいい記憶はなく、ようやくの思いで1985年、民政移管を果たしたはずだが、ここまで秩序が乱れては強権支配もある程度は仕方がないと思うようになった。ボルソナロ氏はこの声を巧みにとらえた。「責任能力を14歳に引き下げろ」、「銃の所持を自由化せよ」というのは今の国民感情にうまくマッチする。

ブラジルで「極右旋風」が吹き荒れた3つの理由

そう考えると現在の世界情勢としては成熟した社会とはどういう社会なのだろうか?というのが問われている時代だと思うのです。
それを踏まえた上で、韓国について「成熟した社会とは言えない」と評するのを見ると、私は丁寧さに欠けているのではないかと思うのです。

また、民主的であること、つまり選挙結果により社会が変化・混乱することをどう考えるのかというのも、日本でいうと民主党への政権交代やら55年体制やら住民投票やらで論じられていることなのではないかと思うのです。

さいごに

今回は、あえて日韓の関係史的観点は出来る限り省きました。
そういうものを抜きにすることで見えてくるものがあり、それが様々な国に対して論ずる際に重要なのではないか?というのが主張の一つであり、今回は反応があまりにも「韓国」に囚われすぎているのではないか?ということが私が違和感を抱いた一旦だと考えたからです。(関係史について参考にした記事を最後にリンクしておきます)

物事について直接的に反応するより、もっと大きく開いて、外の物と関連付けて考えていくことをしたほうが良いのでは?と私は今回は考えています。

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