興味乱舞に引きこもれず

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権利保護の緊縮削減に反対するブログ

政党 民主主義

立憲民主党、国民民主党、各々の矜持

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週プレニュースが、2日続ける形で、国民民主党代表玉木雄一郎氏と立憲民主党代表枝野幸男氏のインタビュー記事を掲載しています。

この2つのインタビュー記事を読み比べると、両党が接近しきれない理由がほのかに見えてきて面白いと思いました。

このインタビューの中で重要だと思ったのは、まず自党をどう認識しているか?という部分です。

国民民主党代表の玉木雄一郎氏は、国民民主党について以下のように表現しています。

──とはいっても、国民民主党は民進党から割れた希望の党が、さらに分裂し、民進党と再結集したことで生まれた、という経緯があります。この"まとまらなさ"は、まさに民主党のトラウマを体現しているかのように思えるのですが。

玉木 いいえ。実態はむしろ逆です。われわれは数合わせの行動に走った集団と見なされがちですが、希望の党への移行は当時、民進党代表だった前原誠司議員の提案を受け、昨年9月の党の両院議員総会で機関決定したこと。われわれはその組織決定に従って行動したんです。だから、むしろ「一番スジを通した集団」だと自負しています。

──数合わせで動いたわけではない?

玉木 もちろん。私たちは批判や支持率の低下を受けても、定位置で自らの政策を訴えてきました。その姿勢は一貫しています。

──定位置とは?

玉木 右にも左にも寄らない、現実的な改革中道政党のポジションです。奇をてらう発言や政策をぶち上げれば、有権者の注目も集まり、それなりの人気取りはできるでしょう。でもそれはしない。今の定位置で愚直に私たちの政策を掲げていく。このポジションがなくなると、自公政権に代わって現実的な政策を掲げて政権を担う政治的主体が政界から消えてしまいます。

国民民主党こそ筋を通した集団であり、我々の位置こそ中道であり、現実的である、という自認です。
この筋を通したというのは、支持率が低下している現在、数少ない拠り所といいますか、誇れるものとして大事にしているように私には思います。

しかし、国民民主党が筋を通した、となると、どこかに筋を通していない集団がいることになるように思えます。
そして、自党より支持率が上の集団と協力する場合、支持率通りの関係になることについて、拒否感も強いことになるでしょう。
『奇をてらう発言や政策をぶち上げれば、有権者の注目も集まり、それなりの人気取りはできる』わけですから、支持率の高い政党の下に集うことについて、人気取り政党となぜ協力しないといけないのか、という疑問が浮かんでもおかしくはありません。
私は、そういう国民民主党としての自認、誇りみたいなものと、他党と協力することについて、どう折り合いをつけるのかが個人的には興味があるところです。

過去に、玉木雄一郎氏が、党首として政権を取るタイミングと自身が国のトップになるタイミングをずらして発言したことについて、それで一政党として残るのは相当困難なのでは、という趣旨のことを書いたのですが、そこにも関わってくる話であると思います。

玉木雄一郎氏の政治資金パーティーに関する報道で考えたこと

一方、立憲民主党の枝野幸男氏は、自党についてこう述べています。

──ただ、野党がバラバラに戦うことで、与党が漁夫の利を得るという意見もあります。

枝野 野党の5党1会派それぞれの持ち味を生かす形で切磋琢磨(せっさたくま)して、複数の選択肢を示すことが、野党各党が最大限の票を得ることにつながる。野党が非自民という共通項で「共闘」しても、それは消極的で後ろ向きな選択肢を示しているだけです。
民主党は非自民の勢力を結集して政権を獲(と)り、そして瓦解(がかい)した。この失敗を二度と繰り返したくない。昨年10月2日に立憲民主党を立ち上げ、私の旗を明確に有権者に示しました。この意見に賛成する人はどんどん入ってきてくださいと。その旗を「共闘」による政策のすり合わせで、ブレさせるつもりはありません。

──国民民主党の呼びかけに冷淡に見えるのは、「共闘」することで民主党時代のトラウマを有権者に呼び起こすことを恐れているのでは?

枝野 その見方はあまりに皮相的です。そもそも私の認識では、立憲民主党は民進党(民主党)から分かれた党ではなく、ゼロから建てた「新しい家」。もちろん、民主、民進の両党は私に貴重な政治体験をさせてくれた場ではありますが、昨年10月2日で"過去の歴史"になりました。

(略)

──ただ、立憲民主党はいわゆる中道左派の政党で、政権を狙うためにはもう少し、支持のウイングを右に伸ばす必要があるとよく言われますが。

枝野 それはまったくの間違いです。国民にとっては、よい政治をしてもらうことがすべて。どこの党に何人の議員がいるとか、どことどこの党がくっつけば政権を狙えるとか、そんなことが国民の主要な関心事とは思えません。そんな"永田町の論理"からいかに距離を置くか?が私たちのテーマだと思っています。
先月中旬に訪米して肌で感じたんですが、とにかくワシントンはアンチ・トランプ一色でした。でも、トランプ氏や、思想的・政策的にその対極にあるサンダース氏を2年前の大統領選で躍進させたのは、そんなワシントンを毛嫌いする米国民だったんです。こうした潮流はアメリカだけでなく、日本でも起こっていると思うんですね。

──日本の有権者もアンチ永田町になっているというわけですか?

枝野 そう。例えば先の自民党総裁選で石破茂議員が渋谷で演説をしたとき、街頭で最も熱狂的に石破議員を応援していたのは、左派と呼ばれている人たちです。彼らは石破議員がタカ派でゴリゴリの改憲論者とわかっている。だけど、石破議員は永田町のチマチマした論理や損得勘定で動いていない分、安倍さんよりはましな選択として、あれだけの声援を送った。
同じようなことは昨年10月の総選挙でも感じました。立憲民主党も損得抜き、負け覚悟で戦ったから、あれだけの支持をもらうことができたんです。だから、わが党の立ち位置は「草の根民主主義」。今後も永田町の常識を逆張りするくらいのことをやっていくつもりです。


立憲民主党は民進党から別れた党ではなく「新しい家」である。
今後も永田町の常識を逆張りするくらいのことをやっていくつもり。

この辺の自認は、玉木雄一郎氏が述べていた自認と真逆の性格を持つもののように思います。

一方が筋を通し、一方はあえて筋から外れて新しい家を作った。
一方は(永田町内で)愚直に政策を掲げることを矜持とし、一方は永田町の論理に逆張りするくらいのことをすることを矜持としている。

この相違が、国民民主党と立憲民主党の党運営の距離に溝があるように見える理由の一つなのだろうと思うのです。

例えば、以下の玉木雄一郎氏の発言も、下手をすると「立憲民主党は美味く責任逃れをしやがって」という感情が起こっている可能性があることを示唆しているように思います。

──ただ、野党が政策や立場の違いを超えて集まることに懐疑的な有権者は多いですよ。民主党と同じ轍(てつ)を踏むだけじゃないかって。

玉木 そうですね。民主党の失敗の記憶は今や、政界の「ババ」と化しているという論があります。現在、野党の多くの政治家がそのババを押しつけ合って、「自分は民主党の失敗とは無関係だった」と主張しているように見える。
正直に言うと、われわれもこのババを負う責任はないはずです。私は民主党政権の時代は1年生で政務官ですらなかった。国民民主党には民主党時代に政府入りした経験がある議員も少ない。
でも、私はあえてババを喜んで引き受けますよ。そして、失敗したことへの反省、検証をやり遂げる。それこそが、有権者が抱える野党へのトラウマを払拭(ふっしょく)する方法なんだと思います。

永田町の論理と永田町に逆張りという話で言うと、この辺の共闘の距離感などもそれが出ている部分でしょう。

──玉木議員は、野党共闘についてどうお考えですか?

玉木 自公政権に代わる野党政権は連立政権しかありえません。小選挙区制度の下で自公政権を倒すには、野党側もいくつかの政党がまとまるしかない。だから、先の代表選でも私は統一会派、共同選対をつくろうと、立憲民主党に提案した。

──でも、立憲民主党は共闘には消極的ですよね。

玉木 はい。残念ながら枝野幸男代表からは、なかなか色よい返事がありません。
でも、ふたつの党を足したら、十分に自公を凌駕(りょうが)する議席数を取れる。事実、昨年秋の衆院選の比例得票は立憲民主党が1100万票、当時は希望の党でしたが、われわれにいただいた票が960万票。対する自民は1850万票で、野党票のほうが多かった。
この数字は政権交代を望む国民が多いことを示しています。立憲民主党と国民民主党がまとまれば、いつでも政権交代は可能な状況にあるんです。
立憲民主党は野党第1党です。安倍政権打倒という共通の目標に向かって、枝野さんにはリーダーシップを発揮してほしい。

この玉木雄一郎氏の発言、私は、得票の安易な足し算をしていることなどがまさに「永田町の常識」のように見えます。
また、希望の党には、中山恭子氏などの勢力と小池百合子氏の勢力が混ざっていたことは、忘れてはいけない事実です。
中山恭子氏は2013年の参議院の維新比例区にて30万の個人票がありましたし、小池百合子氏も一定の集票力は有ったと思います。
そのような現実を誤魔化しては行けないように思います。

また、玉木雄一郎氏は、枝野氏の決断ですべてを決着させようとしています。
個人的に、前原氏の決断もそうなのですが、現在の国民民主党は執行部などがすべて責任を背負うことを理想形だと思っているように見えます。
国民民主党は上がすべて責任を背負うことで、下が自由に動けるようにする形が基本形なのだろうと思います。

一方で、枝野氏は、そういう上が責任を全て背負う形を避けようとしているように見えます。

先程の「ババ」の話もそうですが、共闘でいうと、以下の考え方がそれに当たります。

──共闘と連携はどう違うんですか?

枝野 連携であれば野党同士の政策のすり合わせはいりません。選挙であれば、参院選1人区(選挙において定数が1名の選挙区)の調整はしますが、それは「野党の共同選対」が決めたものであってはならないと考えています。

──なぜ?

枝野 2年前の参院選では、1人区において野党候補の一本化を実現しましたが、実は政党同士での調整は一切していません。各地域ごとに、市民連合に象徴されるような有権者の動きのなかで、自民党の対抗馬をひとりに絞れというプレッシャーを受けて、各政党がそれぞれに応じた結果として、そうなった。
中央(野党の共同選対)が決めた政党間の駆け引きの産物ではなく、市民の要望によって候補者が一本化する。私は、1人区において野党候補が勝つためには、それしかありえないと思っています。

この連携法、政権構想を前提としない参議院であるから出来る可能性が生まれる大胆なものです。

ここは私の推測なのですが、枝野氏は、中央の駆け引きのみにしてしまうと、そこに注目が集まってしまい、野党間の駆け引きの内容とそれへの賛否に論点が集まってしまい、それが良くない結果を生むであろうと推測し、それを避けようとしているのではないかと思うのです。
また、中央の駆け引きでは野党関係者が納得する形は作れないという判断でもあると思うのです。
なので、戦場を中央から地方に変え、地域の動きに注目を集めることで、「中央での駆け引きが始まり、それが当事者と観察者に面倒な感情を産み、結果として関係がギクシャクしていく」というループだったり、ひたすら執行部が駆け引き内容について突き上げられる状態を打開することを模索しようとしているのではないか?と。

これ以外にも、枝野氏は草の根民主主義という理念の元で、中央の政党が一元的に背負ってしまっている責任を、有権者や地方組織などに分散させようとしている動きが多いように見えます。

これを悪く言うと「上が背負うべき責任を回避しようとしている」という話にもなるのですが。

過去に、立憲民主党がボトムアップ型、国民民主党がトップダウン型を志向しているように見えるけど、実態は立憲民主党はトップダウン型で議員に自由がなく、国民民主党のほうがボトムアップ型のように国会議員が現場で自由に動いているように見える、という話を見かけましたが、それはここらへんの「責任を背負う(ことを矜持としている)」国民民主党執行部と「責任を分散させる(ことを矜持にしようとしている?)」立憲民主党執行部という違いが生んでいる面もあるのではないか、と思ったりします。
(もちろん党が票をどのくらい持っているのか、という執行部の強さの違いもあるでしょう)

こういう両党の違いを見ると、連立政権を形成するにしても、政策だけではなく、組織運営の仕組みの違いというか、組織としての性格の違いみたいなレベルの話でも、ギクシャクしそうだなぁ、という印象を受けました。

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